第126話 一度女の身体に入った液体を飲む男


 朝焼けの密林、まだ暗さを残した空に昼間とは違って黄色味を帯びた太陽が上ってくる。


 白い天蓋テントを内側から照らす明かりが、外から照らす陽光におされて見えなくなる頃、シャロンはその内の一つから外に出て、伸びをした。


 その天蓋の中では昨夜の報告と今日の行動が協議されていて、つい先ほどそれが終わったのだ。


 彼女はどこか恨めしげに朝日を見つめ、少しでも身体とそれに劣らず疲労の蓄積した心を休ませようと自らの天蓋へと向かった。


 決定した本日の行動は大まかに分けて三つ。


 一つめは本来の目的であるポイズンドラゴンの駆除。


 これはポイズンドラゴンの魔石によって街の下水処理施設を正常に稼働させるために絶対に必要なことだ。


 ポイズンドラゴンの毒の魔石がなければ、海へと汚水がそのまま流れ込み、魚への悪影響となり、それは漁業を主とするこの群島の島民にとっては死活問題となる。


 その下水処理に使用する魔石は劣化が早く、数年で取り換えねばならぬために毎年大規模な駆除によってストックしているのだ。


 二つめはアンデッドドラゴンの調査。


 昨晩、フィリッポ達が帰還していない二つのパーティーの捜索に出向いた際、遭遇したアンデッドドラゴン、およびゾンビについて調査しなければならない。


 彼らの報告によれば恐らく二つのパーティーはアンデッドドラゴンの犠牲になったという。


 しかし奇妙なのはこの島にアンデッド系のモンスターが出たというのは初耳である点だ。


 さらにポイズンドラゴンならばそれほど苦戦することもなく倒すフィリッポ達三人でも倒せなかった。


 そのため調査に向かうメンバーには人間族の最大の攻撃である「共同魔法ジョイント」を使用するための魔法使い達を編成させなければならない。


 三つめは昨夜、天蓋の中で発見された不審な死体、およびサンドロ達への襲撃者の捜査。


 これらに関連があるかどうかは不明だが、捜査する場所がベースキャンプとその周辺である以上、同時進行で進めることとなった。



 これに加えて、領主の娘であるルチアナの警護もしなければならない。


 彼女の護衛も兼ねたご自慢のパーティーメンバーの3/4が仲良く戦闘不能となっているからだ。


「……猫の手でも借りたいって顔だね」


「ええ、嫌がるなら猫から引きちぎってでも……というくらいには」


 もし現代日本でこのような発言をすれば、たとえ一般人であっても公的に謝罪せねば、市井しせいの善良な猫好き市民に自宅を誹謗中傷のビラで飾り立てられるはめになるだろうが、異世界の、そしてさほど猫好きでもないこの徹夜明けの疲れ切った女には関係ない話だ。


「……あなたは今日もポイズンドラゴンの駆除に回ってもらいます。昨日みたいな成果を期待してますよ」


 昨日、駆除した五体の内、一体はシャロンの目の前で紫煙をくゆらせている魔法人形マジックドールが単体で狩ったものだ。


 はいよ、と真っ赤な唇の片端を吊り上げる疲れ知らずの女を少しだけ羨ましげに睨んで、歩き出したシャロンの背に再びソフィアは声をかけた。


「……安心しなよ。今日あたり救援がくるから」


「救援 ? 」


 いぶかししげな顔で振り向くシャロン。


「そうさ。ああ、ちょうど来たみたいだね」


 そう言うソフィアの視線の先を追うと、朝焼けの空を何かが飛んでいるのが見えた。


 遠くて黒い点にしか見えないが、それを見つめる彼女の表情から、シャロンは誰が来るのかを理解した。


 不意にその点の周りに、いくつか点が増えた。


 上昇して少し落ちて、また上昇。


 空中での不規則な動きは羽ばたきによるもので、おそらくジャイアントバットであろう。


 朝が来て眠りにつく前に、最後の食事をとろうとでも思ったのか、彼に向かっていく。


 彼はあからさまに動揺したようで、高度が乱高下しながら、ジャイアントバット達の攻撃をなんとか避けているようだ。


「……むしろこちらから救援に向かった方が良さそうですね」


 呆れたように呟くシャロンにソフィアは苦笑いを返した。


 やがて、一日の快晴を約束するような朝焼けの空に稲光が走ると、煙を上げながらジャイアントバットどもは墜落し、しばらくして雨の代わりに血まみれの男が空から落ちて来た。


「か、回復薬を…… ! 」


 はいはい、とソフィアがいつの間にか手にしていた瓶の中味を降り注ぐと、血まみれの男の血と傷が流れ落ちて、半裸の男となる。


「ふう、助かった。クソ蝙蝠こうもりどもめ、さすがは動物が優勢になると動物側につき、鳥が優勢になると鳥側につく陰湿で卑劣な害獣だ。人が気持ちよく朝の空を飛んで油断しているところを襲って来やがって…… ! 」


 イソップ童話、「卑怯なコウモリ」の内容まで持ち出してジャイアントバットを罵って、少しは気が晴れた男は改めてソフィアに向き直った。


「ソフィア、大丈夫だったか ? 工房の書置きを見て、すぐに飛んできたんだ」


「大丈夫かってのはこっちのセリフだよ。だいたいあんた工房を出る時に回復薬を 10 個以上持って行ったはずじゃないか ? なんで使わなかったんだい ? 」


「あ、その、全部使っちまってな……」


「ふうん、海人族の女と派手に喧嘩でもしたのかい」


「ま、まあそんなとこだ……」


 真っ赤な唇の両端を上げて、目を細めてソフィアはジョンの首元の傷跡を見つめた。


 今ほどかけた回復薬によってたちまちに跡も残さずに完治したジャイアントバットのつけたものとは違う。


 鋭い牙をもった人間に噛まれた跡だ。


(……上半身は前から傷跡だらけだったけど……あんな傷跡はなかった……。でも、あれだけ上質な回復薬で消せない傷跡……。昔、聞いたことがある。深い、深い情念とともに付けられた傷はどんな回復魔法や薬でもその跡が消せないって……。だとしたら、この男はどれだけの相手に恨まれているのだろう……)


「そ、そう言えばお土産があるんだ」


 シャロンのどこか爬虫類を思わせる灰色の瞳に気づかずに、ジョンは腰に巻いた黒い革製のウエストバッグ型のアイテムボックスから古びた酒瓶を取り出した。


「へえ、大分熟成されてそうなワインだね」


「海底の沈没船の中にあったんだ。ソフィアはワインが好きだったろ ? 」


 そう言って、彼の装着したひげ型万能ツールの片端が細い触手となり、さらにくるくると螺旋状になり、コルク抜きへと変わっていく。


 ポン、と軽い音とともに封印を解かれた深い緑色の瓶からは香ばしいナッツのような香りが漂う。


 そしてそれをアイテムボックスからとりだしたグラスに注ぐと、琥珀こはく色の液体が朝日を反射して、煌めき、揺らめいていた。


 それはシャロンが普段から目にする赤いワインとも白ワインと違っていた。


 グラスを傾けたソフィアはしばらくその香り高い黄金の液体を口の中で転がしてから、飲み下した。


「ちょ、ちょっと待ってください ! 」


「ん ? どうした ? 」


 その余韻を楽しんでいるかのようなソフィアに代わって、ジョンが急に取り乱したシャロンに向き直る。


「な、なんで……飲めるんですか !? ソフィアは魔法人形マジックドールなのに…… !? 」


「なんだ……そんなことか。味覚を感じるセンサーも取り付けてあるし……飲んだものは体内で保存されているよ。いざという時はその液体をソフィアの体内から放出して、飲むことも可能だ。まあ……ソフィアが飲んだものは全部同じ場所に保存されて混ざってるから味の保証は全くできないが……」


「そ、そうなんですか……。でも……ソフィアから出た液体を……飲むって……」


 この時シャロンが頭の中で思い描いたのは、ソフィアがトイレで大量に体内の水分を放出する場面であったし、それを直接むさぼり飲むジョンの変態としか言えない姿であった。


「い、嫌…… ! やっぱりあなたって超のつく変態だったんですね…… ! ソフィアにそんな卑猥なことをさせるなんて…… ! 」


 顔を真っ赤に染めながら、杖の先端をジョンに向けるシャロン。


「な、なんだ急に !? 」


 触ったわけでもないのに、匂いを嗅いだ「触らない痴漢」として逮捕されるほどの理不尽な理由で攻撃されかけているジョンは焦る。


「まあ落ち着きなよ。シャロン、これを見て」


 そんな二人に割って入ったのソフィアだ。


 彼女は空のグラスに左手の人差し指を差し出すと、そこから先ほど彼女に流れ込んだ琥珀色の液体が再びグラスへと注ぎ込まれる。


「あ……え…… ? 」


「見ての通り、こうやって体内に保存した液体を放出するんだけど……一体どんな勘違いをしたのか私に教えてくれないかい ? 」


 淫靡に真っ赤に唇の両端を上げるソフィア。


 シャロンはどうしようもなく恥ずかしくなり、ジョンが自らのために用意した新しいグラスに注がれたワインを奪いとると、それを一気にあおった。




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