第34話 家族


(……やったか…… ? )。


 これでダメなら、いよいよ逃げることを考えねばならない。


 そんなコウの心中とは逆に、蟻人は静かに佇んでいた。


 ふいに、何かが蟻人に向かって飛んでいく。


 それは見事に命中し、かぁん、という安っぽい金属音を立てて床に転がった。


 両側に取っ手のついた鍋だ。


「あ、当たった…… ! 」。


 思わずその場にそぐわない可愛らしい声の方を見ると、エルフの少女が震えながら鍋を投擲とうてきした姿のままでいた。


 その後ろにも何人ものエルフの女性が、あるいはほうきを掲げ、あるいは包丁を構えて、廊下から室内に突入しようとしている様子だ。


「あんた達……なんで…… ? 」。


 両肩から血を流すアデリエンヌがそう呟いた時、蟻人が崩れ、大きな音を出して手足が床に転がった。


 それはまるで中身のない鎧のようだった。


 外骨格を残して全てコウの攻撃で焼き尽くされていたのだ。


「た、倒した !? あ、あなた、ひょっとして『鍋魔法』の使い手だったの !? 」。


「そんなわけないじゃない ! 」。


「……あなたの夫になる男は大変ね。夫婦喧嘩が始まった途端に台所の鍋を隠さなきゃならないなんて……」。


「だから違うってば ! 」。


「アデリエンヌ様 ! 大丈夫ですか !? 」。


「誰か回復薬を持ってきて ! 」。


「何 !? この暑さ !? 」。


 女達はかしましく入室してくる。


 それは非日常の戦いが終わった合図だった。


「スー、私の言葉を守らなかったの ? 」。


 アデリエンヌが厳しい口調で水妖精ウンディーネに問う。


「違います ! スーはちゃんと皆に逃げるように言ってくれました ! 」。


 白い薄手のワンピースを着たエルフの少女が、かばうように言った。


「じゃあなんで !? 」。


「……だってアデリエンヌ様はここでの皆のお母さんでしょ ? 家族を見捨てて逃げるなんてできません ! 」。


「へっ ? 」。


 思ってもみない返答に、思わずアデリエンヌは間の抜けた声を出してしまった。


「そうですよ。料理を教えてくれたし……」。


「読み書きや計算だって ! 」。


「私が風邪を引いた時なんてずっと看病してくれてたじゃないですか ! 」。


「嫌な客の相手をした後はこっそりお菓子をくれたり……」。


 次々と、声があがった。


 市民権を買うためのお金を得るためとはいえ、こんなことをさせて恨まれているとばかり思っていた彼女は、虚を突かれたような顔。


 やがてそれは泣き顔へと変わった。


「……馬鹿ね。あなた達。『自分を最優先にしなさい、お金以外は信じるな』って教えたのに……。それに……家族だって言うなら、お母さんじゃなくてお姉さんでしょ ? 」。


 アデリエンヌは泣き顔のまま、笑った。


 つられてエルフの少女達も笑った。


 今はなんとか非日常の戦いを生き延びることができた。


 しかし次の瞬間にはまた自由になるための戦いが始まる。


 それは戦闘ではなくても、戦いなのだ。


 そして彼女達はそれを共に戦う戦友であり、家族であった。


 水妖精ウンディーネのスーはそんなエルフ達の輪を少し離れた所から見ていた。


(……これがアデリエンヌ様の言っていた「自分よりも大きなもの」か……。そしてそれがアデリエンヌ様の生きる意味……)。


 スーは、エルフ達がその絆を確認する中、懸命に風と水差し型のアイテムから湧き出る水で、石造りの床を溶かしかねないほど熱せられた蟻人の外骨格を冷やしている二人を見やる。


「これ絶対危ないって ! 床が溶けて溶岩になったら火事になるって ! 」。


「いくらなんでもやり過ぎだったんじゃないの !? 」。


「あれだけの高熱じゃないとあの固さは貫けなかったんだよ ! 」。


「ホントに !? 」。


 自分達の世界からなかなか帰還してこないエルフ達に代わって、消火活動に勤しむ二人。


 スーはもう一度エルフ達の方を見て、少しだけ寂しそうに笑って、彼女達に背を向けて飛んだ。


「……何ちんたらやってるのよ。『御使い』、私に『恩寵おんちょう』をよこしなさい ! 」。


「えっ ? そうかお前は水妖精ウンディーネか ! 」。


 コウは素早くウエストバッグ型のアイテムボックスから小さな杯を取り出し、魔力を込めてその中に花蜜を創り出す。


 それを奪い取るように持ったスーは一気にそれを飲み下した。


「足りない ! もう一杯 ! 」。


「お、おう」。


 コウは指を妖精サイズの小さな杯につけて、再び魔力を込める。


 湧き出た花蜜は再びすぐに飲み干され、三杯目を飲んだところで、ようやくスーは満たされたようだ。


「よっしゃあああああ !! 」。


「うおっ !! 」


 スーが景気づけに床に叩きつけようとした「恩寵」を授けるための超貴重な「百年戦争」における生命線とも言える杯をコウはヘッドスライディングのようにして両手で受け止め、死守する。


 起き上がったコウの目に、壁の穴から流れ込んでくる水流が見えた。


 外の井戸の水が三階のこの大部屋まで空中を登ってきたのだ。


 じゅっと運良く水蒸気爆発も起こさずに外骨格と石床は冷えた。


 そして役目を終えて水からお湯になった液体はまた壁の穴を通って出て行く。


 スーが水の精霊魔法を行使したのだ。


「おお !? すごいな ! 」。


 コウの感嘆の声には応えず、スーはアデリエンヌの元へ行き、その頭上で小さく円を描くように飛ぶ。


 その軌跡が青い光の円となって、そこから雨のように細かい光が降り注いだ。


「……スー、ありがとう。四月の女神様の『御使い』から『恩寵』を賜ったのね」。


 アデリエンヌの両肩から流れる血はすぐに止まる。


 妖精が使う回復魔法の中でも水妖精ウンディーネのそれは効能が一番だった。


「アデリエンヌ様……うちの『御使い』がだらしないせいで負傷なされて……申し訳ありません」。


 空中でペコリと頭をさげるスー。


「そんなことないわ。私一人なら確実に殺されて……みんなはテロ集団の走狗そうくにされたか、食い殺されていたかのどっちかだったから」。


 そう言って、アデリエンヌはようやく冷えた蟻人の真紅の外骨格と燃え残っていた魔石を腹部のウエストバッグ型アイテムボックスに収納しているコウを見やる。


 先ほどの戦闘を見ても、動きや立ち回りは素人同然だった。


 だからこそ彼を勝利せしめた四月の女神の神具の凄まじさが理解できた。


(四月の女神様は他者を傷つけるアイテムを創造しないと聞いたことがあるけど……。宗旨替しゅうしがえしたのかしら ? でも……それなら……)。


「……アデリエンヌ様。私……あの男と『百年戦争』を戦ってきます ! 」。


 突然のスーの宣言に、エルフ達はざわめいた。


「スー、さっき私が言ったことは非常時だったからよ」。


「わかっています。……でも、私、アデリエンヌ様や皆が好きなんです。どうしようもないくらい……。だから私も皆のために戦うことを決めたんです。四月の女神様の『代理人』が勝てば、十月の女神は『主神』の座から退いて、人間達の勢力も大幅に弱まるはず……。そうなればエルフ達を奴隷に留めてなんておけなくなるはずです」。


 スーはニッコリと笑った。


「スー……」。


「スーちゃん……」。


 彼女が水妖精ウンディーネであることとは関係なく、生成された湿っぽい空気。

 それをもう一人の宣言が破った。


「……スーが行くなら、私も行く !! 」。


「セレステ !? 」。


 鍋を投擲したエルフだった。


 スーがアデリエンヌに救われてこの館へ来たのとほぼ同時期にエルフの居住地から移ってきた彼女は、スーとは姉妹のように過ごしてきた。


「何言ってるのよ !? あなたは妖精じゃなくてエルフなのよ ! 」。


「だいたいあなた戦えるの !? 」。


 再び場はかしましくなる。


 アデリエンヌはしばし考える素振りをしてから答えを出した。


「……いいわ。行ってきなさい」。


「ありがとうございます ! アデリエンヌ様 ! 」。


 その場で飛び跳ねて喜ぶエルフの少女。


「ただし……あなたと私達は無関係をよそおうし、あなたは四月の女神様の『御使い』に無理矢理、奴隷として使われているように装わなければダメよ」。


「はい ! 」。


「……じゃあ『御使い』に挨拶してきなさい」。


「わかりました ! 」。


 元気良く少女はコウの方へと小走りで向かう。


 スーは慌ててそんな少女を追っていく。


「セレステ ! 本当についてきてくれるの !? 」。


「当たり前じゃない ! まさか私を置いて行く気だったの ? 私はスーのことを姉妹みたいに思ってる。だからいつでも一緒だよ ! 」。


 花がほころんだような生命力にあふれた笑顔だった。


「……ありがとう。何があってもあなただけは守るから…… ! 」。


 すぐに二人はコウの元にたどり着く。


 広い部屋とはいえ、エルフ達のやり取りはコウとラナにも聞こえていた。


(この二人を仲間に加えると絶対にトラブルが起こる気がする……。コウ、上手く断って……)。


 そんなラナの心を知ってか知らずか、コウは食い入るようにエルフの少女を見つめていた。



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