第98話 居抜きで開店する苦労知らずは胸弾む
「確かにここに仕舞ったはずなんだけど……」
メリンダは恨めしげに棚を睨んでいる。
「掃除した時にでもどこかにいってしまったんですかね ? 」
本気で鍵の居場所を尋ねるでもないシャロンの問いに、銀色のショートカットの頭を横に振って、メリンダは溜息を吐いた。
「これは始末書ものだわ……。けど幸いなのは、ジョンなら簡単に合鍵を作れるってことね。後でジョンに頼んで、その合鍵を私が渡したってことにしてもらおうかしら……いやいや、冗談だから ! 」
インラン・ピンクの髪の下、灰色の瞳が鋭くなったのを見て、メリンダは慌てて取り繕う。
「全く……融通がきかないんだから……」
「生まれ持っての性分なので。それよりも……あの男の『職業』ランクなのですが……」
「……低すぎないかって言うんでしょ ? 」
「ええ、以前警備隊の備品修理を依頼したBランクの錬金術師は、あんな風に一瞬で金属の形状を変化させることなんて、できませんでしたよ ? 」
「仕方ないのよ……。この方式で『職業』ランクを認定する時は最高でもBランクまで、と裏で決まってるんだから。知ってるでしょ ? Aランク以上を持つ冒険者には様々な特典があることを。だからおいそれと職員一人の判断では出せないのよ」
メリンダは小さく肩をすくめた。
「だから埋め合わせのつもりで工房を提供してあげたんですね」
「まあね。街からは離れてるけど、それでもあの辺りは錬金術師の工房が無いから住民にとっても助かるし、お互いにとっていい話よ。それに……これからは有能な『錬金術師』を確保しておかなきゃ……」
「……そうですね。では私も失礼します。そろそろ追いかけないと……一応あの男を監視しなければならないので」
今度またゆっくり遊びに来て ! 、というメリンダの声を背中に受けて、シャロンは往来へと出て、早足で男を追いかけた。
ところで、錬金術師には大きくわけて二つのタイプがある。
高ランクの恩寵を授かり、国や貴族、大商会のお抱えとなる者と、低ランクの恩寵を授かり、
後者はさらにアイテムや武器、日用品の作成・修繕・販売を行う者と、誰も思いつかなかった画期的な発明による一発逆転を狙う者とに分けることができる。
男が借り受けた工房のかつての主は、後者だった。
だからこそ商売には不向きな静かな環境に工房を構えたのだ。
「まるで隠者の庵だな……。こんな隠れ家的な佇まいで成功するのは、よほど美味いものかSNS映えするものを提供する飲食店だけだぞ……」
湿った土の上に立つ男の前には
「……一階部分が工房になっていて、二階が住居となっているそうですよ。……確かに少々、街からは歩かねばなりませんね」
「少々、か」
男はすでに暗くなり始めた空を見上げる。
ぶつぶつと文句を言いながらも、彼はその態度からは伺い知れぬほど、わくわくしていた。
無料で、しかも設備を整える必要のない居抜きで店を構えることができる幸運は、開店の苦労の代わりに、責任を負わなくても良い模擬店を開くような高揚感を男に与えていたからだ。
「とにかく入ってみるか…… ! 」
男は移動の疲れも溜まっているはずなのに、それを感じさせないような弾む足取りで近づいていって、止まった。
そして男はそれまでとは歩き方を変えて、静かに扉へと近づいていく。
シャロンも彼に
扉の向こうから、穏やかとは言い難い声が聞こえてきたからだ。
男とシャロンが中の様子を探ろうと耳を分厚い木製の扉に寄せた時、男の罵声に混じって、女の小さな悲鳴が確かに聞こえた。
シャロンは少し身を固くして、とりあえず家内の状況を探るために窓を探したが、そんな必要はすぐになくなった。
バアアアアァァァァァァァアアアアアアアンンン ! ! ! ! ! ! ! ! !
冗談みたいな大きな音と共に、ドアを勢い良く蹴り開けたジョンが何の策略もなく、工房に飛び込んだからだ。
「お前らぁぁぁぁああああ !!!!!!!!!!!!!! 俺の健全な店で、なに風俗店まがいのことをしてくれてんだああぁぁぁぁぁああああああ !!!!!!!!!!!!!! 」
彼のお店ごっこへの胸の弾みが、そのまま怒りとなって爆発したのだ。
仕方なく、シャロンも杖を構えながら彼に続いて突入すると、そこに異様な者達がいた。
薄暗い室内の奥にダボっとしたシルエットのローブを
そして彼らの足元には、この島では珍しい黒髪の女性と
「……自分の顔に自信が持てない現代の若者みたいな格好の割に大胆なことをしでかしやがって…… ! 」
「動かないでください。冒険者ギルド所管の物件への不法侵入、および婦女監禁暴行の疑いで逮捕します」
完全なる私怨で燃え上がる男と冷静に職務を遂行する女と対峙して、不審者二人は戸惑ったようだが、目配せしてすぐに動き出す。
「ッ ! ────ウインドガトリング ! 」
短い詠唱の後、無数の圧縮された空気の弾丸が息をつく間もなく撃ちだされる。
奥のレンガ造りの壁に着弾して弾ける空気弾の弾幕の中、不審者達は壁に少しの間を置いて並ぶ二の大きな窓ガラスをご丁寧に一人一枚ずつ頭から飛び込み、ブチ割って逃走する。
「……お、俺の店が……」
穴だらけで外が見える壁とほぼ枠だけになった窓の風通しの良すぎる惨状を見て、男は口から絶望を絞り出すが、すぐに我に返って倒れている女に駆け寄る。
「大丈夫か !? シャロン ! 回復魔法か回復薬を ! 」
「これを……」
彼女警備隊員が職務の際に携行を義務付けられている、それなりの効き目の回復薬を肩にかけた小さめのカバンから取り出し、ジョンに手渡して、自らは周囲の警戒に当たる。
「……近づくな ! 卑劣な人間が…… ! 」
少しの間、意識を失っていたのか、ハッとしたように顔を上げた女は二人に向かって
「金色の瞳に……鱗…… !? まさか
「いえ、
「そうか……。落ち着いてくれ。傷の手当てをするだけだ」
そう言って、なおも近づこうとする男を
「気を付けてください !
いつも無表情なシャロンが珍しく動揺の
「落ち着け。何もしないから」
そう言って男は敵意の無いことを示すためか、鞘の両端から伸びた太い革ベルトを肩から斜め掛けにして背中に背負った剣をゆっくりと身体から外して鞘ごと床に置き、さらに一歩近づく。
その時、割れた窓から遠慮がちに差し込む残りわずかな太陽の光が男の身体を照らした。
「……無駄に警戒したじゃない……。そうならそうと早く言ってや。その剣のベルトで見えなかったんだから……」
先ほどとは打って変わったような、まるで窮地に駆け付けた仲間に出会えたような安心と穏やかさが混ざったような表情だった。
「…… ? とにかく回復薬をかけるぞ」
ちょうど片手に収まるくらいの瓶の蓋を開けて、男は
「……もう大丈夫や。痛みも治まったわ」
「いや念のためにもう少しぶっかけておくよ」
「……これ以上かけたら床の上に池ができてまうわ。そんな小さな瓶のどこにそんだけの量が入ってたんや ? 」
全身が回復薬でずぶ濡れになり、びちゃびちゃになった床の上で女は少しだけ笑った。
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