第95話 戦う竜の乙女は一人待ち
僕は久しぶりに会ったベス様に紅茶を注いだカップを差し出した。
「……良い香り。ホントにお茶を
テーブルの上のソーサーから持ち上げたカップに鼻を近づけて、また少し背の伸びた彼女は目を閉じて香りだけを堪能しているようだ。
火のような真っ赤な髪は相変わらずだけど、まるで男のようなベリーショートになっていて、それを初めて見た時は少々面食らってしまった。
聞けば、作業に邪魔だから思い切ってバッサリ切ったのだと言う。
元々、女の子らしくない子だったけど、ここまでとは思わなかった。
カワッタネ、と僕が言うと「あなたほどじゃないわ ! 」と笑われた。
そう言えば一年半ほど前は欠けていたベス様の歯も、コウが「創造魔法」で残った歯の部分を増殖させて、形を整えてくれたんだったっけ。
「……ミツカイサマハ オチャガスキダカラ」
「そうね ! あのどんな飲み物でも湧き出る魔法の水差しから、よく紅茶とコーヒーとかいう苦いだけの飲み物を飲んでた ! 」
ベス様は懐かしそうな、渋い様な、不思議な表情。
恐らくあの、この世界には存在しない飲み物の味を思い出したんだろう。
そして僕も自分のカップを傾ける。
我ながら上手に淹れることができた。
コウの好きなお茶に興味をもって最初にティーセットで淹れた時は苦味のみを抽出したような
僕は少し微笑んで、言う。
「ミツカイサマガ イツキテモイイヨウニ ヨウイシテル……」
「……そうだね」
ベス様は少し困った顔になったけど、多分、いや確実に誤解しているし、そうでなくては困る。
来るわけがない。
あのクソ野郎が。
「『百年戦争』が終わったのに、まだ納得できずに抵抗してる人達もいるし、新しく国を一から作っている最中みたいなものだから、忙しいんだよ ! きっとそれが一段落したらまたライノのところにも来てくれるようになるよ ! 」
にかり、とベス様は励ますように元気よく笑った。
僕が口を開こうとした時、外から家全体を震わせるような雄叫びが聞こえてきた。
「な、なに !? 」
「ダイジョウブ」
僕は扉を開けて外に出る。
そこには案の定、
「滅茶苦茶吠えてるけど、な、なんて言ってるの !? 」
後ろからついてきたベス様が耳を塞ぎながら聞いてくるが、竜人族は人間族と別の言語を使うわけではないから、彼女がわからないなら僕にもわかるわけがない。
ただ、経験上、あのグリーンの鱗の男が何を求めているかは理解できた。
「タブン コノハーレムノ ヌシニケンカヲ ウッテル ハーレムヲ ノットロウトシテ アブナイカラ サガッテ」
そう言って僕は男の前に進み出る。
すると奴は「お呼びでない」とでも言うように大きく首を振ってから、また吼えた。
「……コノ ハーレムノ ヌシハ イマイナイ ダケド ボクニカッタラ コノハーレムノ ヌシニナッテイイ」
「イ゛イ゛ノガ ? 」
男が凶悪に顔を歪めた。
愉悦の表情だ。
「イイヨ ソノカワリ マケタラ オマエモ ハーレムニ ハイッテモラウ」
「ヒヒヒ ズデニ オドゴニ マゲダ オンナニ マゲルワゲ ナイ ! 」
身長2メートルほどの男は金色の瞳で、僕の女の子の証である真っ赤な鱗に覆われた身体を上から下までを舐めるように見る。
少しばかり嫌悪感が駆け巡るが、我慢だ。
周りを囲む女の子達は、新しく入った子ほど、何か期待を込めたような目で男を見ているし、逆に最初に入った子は憐憫の目で男を見やる。
何の合図もなく男は飛び掛かってきた。
コウの金色の鎧に比べて、ひどく緩慢な動きだ。
ゆるやかに丸太のように太い右腕を大きく振って、鋭く伸びた爪で僕を切り裂こうとしているのだろう。
なんの戦略もない、竜人族が本能的によくやる攻撃方法だ。
僕はそれを難なく躱して、少しばかり昔のことを思い出す。
戦闘中だけど、それくらい余裕のある相手であることは間違いない。
ベス様が昆虫を観察して、そのまるで知性があるかのような行動に感嘆していた時、それを見ていたコウが虫はプログラムされている行動を本能的に繰り返してるにすぎない、だからその自らの行動の意味を分析して改良、発展させる知性とは違う、と異世界の知識を珍しく披露したことがあった。
普段コウが彼の世界の話をする時は「ヤキュウ」とかいう丸い石のボールを投げて、それを木の棒で打ち返すというまるで意味のわからない遊びのことが多かったのに。
まあ……皆でそれを遊んだ時は、楽しくないことはなかったけど。
ともかく、その本能と知性の違いはなんとなく頭に残った。
それは小さな頃からベス様の花蜜農家で奴隷として使われたことによるものだろう。
どうすれば仕事を効率よく済ませることができるか、と算段をつけたり、ベス様に文字を教えてもらって子ども向けの本を読んだり、あとは少しばかり自分の運命を恨んで、それについて考えたり、と。
そのせいで逆に考えすぎて決断するのが苦手になっちゃったけど、それでも良かったと思う。
純粋な
でも僕はコウやそのさまざまな戦闘スタイルを持つ仲間と何度も模擬戦を重ねて、考えた。
戦うこと自体も楽しかったけど、それを分析して、工夫していくことにも没頭していった。
僕はなかなか攻撃が当たらずに業を煮やした男が、怒りに任せて爪の重量を大幅に増す「重力操作」を発動させた攻撃を仕掛けてきた時、あえてそれを迎え撃つ。
とんでもない質量で振り下ろされた男の爪を逆向きの「重力操作」で上方に対して質量を発揮した僕の爪で弾き飛ばしてやった。
男の顔が驚愕に歪む。
明らかに僕の鍛えに鍛えた「重力操作」の
そして僕は腕が上がって空いた男の懐に飛び込んで、威力を上げるよりも加速させることを優先して縦横無尽に振るう爪に重さを加える。
この竜人族が授かった「重力操作」の恩寵は鍛えれば自分の身体はもとより、さらに自分の周囲にあるものにも影響を及ぼすことができる。
舞った血しぶきの落ちる方向を操作して、痛みに叫ぶ男の瞳に落し、血が目的地に着地した瞬間に僕は上に向かって頭から落ちていく。
そして数十メートルほどの高さで、今度は足から、必死で顔を拭う男へと、死なない程度に重くなって落ちていく。
結果、凄まじい音とともに地面に小さなクレーターが出来上がり、その中心には少し前まではグリーンだった鱗が徐々に赤く変色していく竜人が俯せに地面にめり込んでいた。
その体色の変化は性別の変化であり、完全に屈服した証だ。
「やっぱりライノは強いね ! 」
戦いが終わってベス様が笑顔で駆け寄ってきた。
「でも……今のこいつも女の子になってハーレムに加わることになるんだよね ? 」
「ソウ」
「こんなに人数が増やしてどうすんの !? もう十人目でしょ ! 」
ベス様が周りの女の子達を見渡して、叫んだ。
「ダッテ コノハーレムノヌシハ ボクノアルジノ ミツカイサマダカラ オンナノコガタクサンイレバ ミツカイサマ ヨロコンデ キテクレルカナッテ オモッテ……」
「いやいや ! あの希代の女好きの御使い様でもこれだけの数の
「ソウカナ…… ? 」
「そうよ ! 」
わかってるさ。
こんなことで妖精族の女にしか興味のないあいつがここへ来るわけがないし、来てもらっても困る。
でも僕の支配下に竜人を集めているのは、そんなバカげた理由だってことにしておかなきゃならない。
僕は地面から引っ張り出した新たなメンバーを仰向けにして、回復薬を振りかけてやる。
この子は大事な兵隊だ。
コウが帰って来た時のための。
「……そういえばライノも御使い様に負けて女の子になったんだよね。こんなに強いライノに勝てるんだから……やっぱり御使い様はすごいわ ! 」
ベス様は感心したように言った。
だけど正確には違う。
あの悪魔の力すら取り込んだ金色の鎧には勝てなかったけれど、それは純粋な一対一の勝負じゃないから、僕の心は、魂は屈服しなかったし、コウの「創着」の鎧との勝負でも僕は負けなかった。
あれは神の解放者を名乗る強敵との戦闘だった。
金色の鎧の兜が割れて、僕は初めてコウがどんな顔をして戦っていたかを知った。
考えてみれば当然のことだった。
あんなに優しい人が敵とはいえ、相手を傷つけ、殺すことを望んでするわけがなかったんだ。
それでも、この世界を護るため、皆を護るため、僕を護るために……必死で戦ってくれてたんだ。
それを理解した時、僕の心は、魂は、コウに膝を屈した。
負けたのに、妙に心地よかったのを覚えてる。
最初は急に女の子になっちゃった僕に戸惑ってたけど、結局強引に迫ったら受け入れてくれた。
不思議なことに世界の中で人間族だけは他の十一の種族から、そういう対象としての魅力をもって見られることが多いけど、その逆は稀だ。
エルフや妖精みたいにほとんど人間と変わらない外見なのは別として。
自分で言うのもなんだけど、よくこんなに彼と姿の違う
50メートル以上の身長になった巨人族のチェリーとも潰されそうになりながら愛し合っていたし……。
ひょっとしたらただのとんでもない変態にすぎないのかもしれない。
「ネエ ベスサマハ ハジメテ ミツカイサマニ アッタトキノコト オボエテル ? 」
ふと思い立って、聞いてみた。
「当たり前じゃない ! あれは毒で意識を失って死を待つばかりだった時 ! 御使い様が口づけで私を救ってくれた ! 今でもはっきりとあの時にすぐ側で見た美しい
ああ、そうだ。
皆、コウを忘れてしまっている。
そしてそこにあいつが上書きされているんだ。
今、この世界で僕だけがコウのことを覚えている。
竜人族のもう一つの恩寵、「状態異常無効」によって。
あいつを殺そうと思えば、できるかもしれない。
でもそれは最終手段だ。
今は待つのが最善なんだ。
きっとコウは帰ってくる。
僕だけがコウのために今も戦ってる。
そう思うとなんだか痺れるようにゾクゾクするんだ。
「どうしたの ? 何か可笑しかった ? 」
「ナ、ナンデモナイヨ」
知らぬ間に笑顔になっていたようで、僕は慌てて、取り繕うように言った。
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