第110話 オークション前の一週間 その3




 ザァーザァーの波の音とパチパチの火の音だけが聞こえる。


 昼間はどこまでも見えた海も、この暗闇の中では少しも見ることができない。


 ソフィアは炎の光が砂浜を円形に照らす、その中に座り、ジョンはその光に背を向けるように横になって寝ていた。


 昼間とは違って、少しばかり寂しげにその背中を見つめた後、ソフィアは光の届かない海へと視線を向けた。


 昼間とは違って、暗い海はそこから化け物でも這い出してきそうな、もしくは逆に引きずり込まれそうな、そんな恐ろしさを彼女に与える。


 温度を感じるセンサーなど備え付けられているはずもない、簡素な造りの魔法人形マジックドールの彼女は、それでもぶるりと震えた。


「……この身体で寒さを感じるなんて出来ないのに……」


 そう呟いてソフィアは自嘲的にわらう。


 さっきもそうだった。


 ジョンが体内の魔素タンクに魔素を補充するため、彼女の背中に当てた手がどうしようもなく温かった。


「……夜に起きてるなんて……久しぶり……」


 魔法人形のソフィアは魔素節約のためと、エミリオが人間らしさを求めたために、夜は機能を停止していた。


「けど、これが本来の魔法人形の使い方なんだよね。眠らなくてもいい魔法人形に一晩中見張りをさせるとか……」


 彼女は木製であることが丸わかりの自分の手を見つめた。


「エミリオは私を人間として、ソフィアそのものとして見てくれたし、私を再現したような身体を作ってくれた。当たり前だけど、ジョンは違う……」


 ソフィアは再びジョンの背を見た。


「……でも……粗末に扱われてるわけでもない。私に気を使ってくれているのは良くわかる……。なんて言うか……ジョンは私のことを……心を持つ魔法人形ソフィアとして見ている気がする……」


 彼女は立てた膝に顔を埋めた。


「……どっちが私…… ? 身体は間違いなく魔法人形。だけど……私の心は……人間なの……それともただの魂石に記録された記憶と人格で、魔法人形の機能に過ぎない…… ? 」


 寂寞せきばくとした夜の海から遠ざかるように、彼女は焚火の明かりの近くに、にじり寄る


 明るさを感じても、彼女が温かさを感じることはない。


 その代わり、火に身を焦がされても熱さに苦しむこともないだろう。


 今、彼女の心を焦がしているのは彼女自身だった。


 ──ソフィアがそうなりたいんなら仕方ないな。


 不意に日中のジョンの言葉がソフィアの頭をよぎった。


「……あの時は『普通の人間並みの身体があれば十分』って答えたけど……それは人間ソフィアの願いだ……私は……本当はどうなりたいんだ ? 」


 彼女がエミリオと暮らしていた時は悩む必要はなかった。


 エミリオが彼女に求めたのは人間ソフィアの代役であり、そのために彼女が作成されたからだ。


「……ジョンは私にどうなって欲しいんだろ ? 本気で私を世界最強の魔法人形にしたいのか」


 ソフィアは、何の変化もないはずなのに、彼女に様々な表情を見せる男の背中に再び目を向けようとして異変に気付いた。


 バリ、ボリ、と何かが無理やりに砕かれて奏でられる嫌な音がしていた。


 彼女は咄嗟に腰に手をやるが、人間だった時、冒険者だった時、彼女の危機を幾度となく救ってくれた鞭は、当然ない。


 少しだけ自嘲してから、ソフィアが音の発生源を探ると、どうやら砂浜に並べておいた瞬跳蜻蛉テレポートンボの死骸の辺りのようだ。


 その暗闇に目を凝らすと、二つの黄色い光がまたたいた。


 1 メートルほどの間隔を置いて、並んだ二つの光。


 それは星空の光とは違って、獰猛な食欲を宿していた。


 ソフィアは無言で横たわるジョンを揺する。


「ん…… ? どうした ? ……一人で起きてるのが寂しくなったか ? 」


「何バカなこと言ってんのよ…… ! 逃げるわよ ! 早く…… ! 」


 焦るソフィアとは裏腹に、ジョンはゆっくりと起き上がると火のついた焚き木を一本、手に取って音のする方へ投げた。


 暗闇の領土に焚火の明かりが飛び地として侵略すると、そこに浮かび上がったのは瞬跳蜻蛉テレポートンボの死骸を一口で噛み砕く、黒い鱗に覆われたシードラゴンの成体だった。


 太く短い脚で彼らの本来の生息地である海中から、食欲に扇動されて陸に進出して来たようだ。


「……まるで巨大ワニだな」


 日中に海上で見た個体に比べると小さいが、それでも 10 メートル近い巨体。


 「錬金術師」と簡素な魔法人形の二人連れパーティーなど、いやたとえ B 級の「剣士」「魔法使い」「僧侶」「戦士」の四人パーティーでも勝てるかどうか怪しい相手だ。


「なんで逃げないの !? 食われちまうよ ! 」


「大丈夫だ。あの瞬跳蜻蛉テレポートンボにまだ毒が残って……」


 得意げな男のセリフは凄まじい音量の咆哮にかき消された。


「……毒に苦しんでる苦悶の声にしては随分元気そうじゃない ? 」


「……おかしいな。ひょっとして成体には毒の耐性でもあるのか ? 」


 発声器官としての役割を終えた大きな口を、捕食器官として活躍させるため、シードラゴンは動き始める。


 その接近する圧力は揺れるはずもない砂浜が振動しているようにソフィアには感じられた。


「ど、どうするの ? 」


「だ、だ、だ、大丈夫だ…… ! 」


 まるで安心できない、大丈夫を不安で満たされたどころか溢れ出しているソフィアに返すと、ジョンは口元の髭に手をやる。


 すると不思議なことに空手からてであった手の中に二つのきらめく魔石が握られていた。


「これを付けといてくれ ! 万が一にも壊したくない ! 」


 そう言うとカイゼル髭をぺりっと剥ぎ取り、ソフィアの木製の顔に張り付け、ジョンは彼女の前に立つ。


「……創着そうちゃく


 虹色に煌めく魔素が彼の身体を覆ったかと思うと、それは「創造魔法」によって物質へと変わっていく。


 衝撃吸収機構に、人工筋肉に、そして全身を覆う緑の鱗に。


爬虫類人リザードマン !? ジョン、あんた爬虫類人リザードマンが人間に擬態してたの !? 」


「……一応、竜人ドラゴニュートした鎧なんだが……」


 情けない声で振り返った全身を竜人の鎧で包まれた男の胸には白い光を放つ魔石、右手の甲には瞬跳蜻蛉テレポートンボから摘出された黄色い魔石があった。


 そして右手の拳、第三関節、つまりは誰かを殴る時に有効活用される部分からは四本の爪が飛び出しており、その爪は甲に嵌め込まれた魔石の効果なのか、電を纏い、空気を弾けさせていた。


 隙間なく竜人の鎧を纏ったジョンは一歩踏み出し、空気をその爪で切り裂き、はじけさせながら、右手を突き出した。


 バチィィィィイィイイィイィインンンン、と暗闇に青白い閃光が走り、突進してきたシードラゴンの巨体が浮き、後方へ弾かれる。


 砂を巻き上がらせながら、鼻先というべきか、口先というべきか、その身体の最先端を焦がした巨大な化け物は踏みとどまり、未だ少しも後退しない戦意を雄叫びへと変えてみせた。


 木製の小さな身体全体が空気とともに震えるのを感じたソフィアは、思わず後ずさりしそうになるが、そんな彼女を引き留めるものがあった。


 彼女を化け物から遮る男の背中だ。


 ふいにシードラゴンがその巨体からは想像もつかないほど俊敏に反転した。


 つい一瞬前まで不揃いの巨大な牙が並ぶ凶悪な顎があった場所は後ろ脚に取って代わられ、その先には、しなりにしなった尻尾がごうと音を立てながら、ジョンの上半身を下半身から吹き飛ばそうと迫る。


 凄まじい炸裂音が響き、夜だというのに何匹か瞬跳蜻蛉テレポートンボが夜空に飛び上がった。


 ジョンの胸の魔石が、魔素を鱗と人工筋肉、衝撃吸収機構を最硬で最高の状態にするエネルギーへと変換していなければ、彼の上半身も夜空を舞っていたことだろう。


 その丸太よりも太い尾を受け止めた竜人は、対抗したわけではないだろうが化け物と同じように反転して後ろを向く。


 そしてその過程で肩に担いだ化け物の尾をフルパワーで引き落とす。


 すると化け物の巨体が宙を舞い、背中から砂浜に落ちた。


 いわゆる背負い投げをシードラゴンの尻尾にかけたのだ。


 震度 3 ほどの揺れを気にする間もなく、ジョンはその無防備な真っ白い腹へと飛び乗り、魔素を右手へ集中させると再び暗闇と空気が雷光によって裂かれた。


「……慰撫する雷トルネオ・パラ・コンソラ


 右手が正確にシードラゴンの心臓の上の外皮に当てられ、そこから発せられた恐ろしい電圧が、その生命力溢れる動きを乱れさせ、阻害し、そして止めた。


「……ふう」


 ただ相手を感電死させるだけの技に大仰おおぎょうな名前をつけた男は、満足げに息を吐く。


 すると編まれた竜人の鎧がほどかれ、元の魔素へと戻っていく。


 それは竜人が人間の男に戻ることでもあった。




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