第55話 やがて相老いの百合となれぬことを悟りて



 雷が弾けた音がした。


 冬場、身体に帯電した静電気が何かに流れるという、よく見る光景。


 それがレベル99になったらこうなるだろうという光景。


 ネリーの身体から彼女をまもるようにほとばしり続ける雷が人狼であるレイフが振るった爪に落ちたのだ。


「グッ…… ! 」。


 漆黒の毛皮が焼け焦げるが、月光を浴びてすぐにフサフサの毛が生え変わる。


「……小さい頃の勇者ごっこを思い出すわね」。


 「恩寵おんちょう」を授かり、今や本物の「勇者」となったネリーが少しだけ懐かしそうに微笑んだ。


「違います ! あの時は……こんな風に勇者と……あなたと戦ってなかった ! 」。


 レイフは足元に転がる拳大こぶしだいの石を拾い、思い切りネリーに向けて投じた。


 纏った雷がそれに反応して迎撃するが、その次の瞬間に襲い来る爪に対して雷は対応できなかった。


 革の鎧を簡単に切り裂いて、人狼の爪はネリーの脇腹を引っ掻いていった。


「さすが『勇者』の肉体ですね。内臓までは届かなかった」。


 レイフが爪についた血を確認しながら、言った。


「……あなたとよくやったのは勇者キャロリンとその友である人狼アルゼニーごっこだったね……」。


 傷を意にも介さずにネリーは再び剣を構えてレイフに対峙する。


 彼女がまだ幼い頃、生母せいぼと暮らしていた隠れ家の近くには人狼族の小さな集落があった。


 ある日冒険心に誘われて小さな子どもにしては遠出をした時、同じような小さな人狼に出会った。


 貴族のめかけの子として母と二人、人目ひとめを避けて隠れ住む人間の子と集落には同じような年代の子どもがいない人狼の子。


 二人が遊ぶようになるのは自然の成り行きだった。


 当時レイフは伝説の人狼アルゼニーに憧れていた。


 二百年ほど前、魔神の配下の魔王が悪魔と蟲人、そしてモンスターを率いてこの世界に攻め込んできた時、人間族の女勇者キャロリンを中心として十二の種族の御使みつかいがそれぞれの女神の神具を携えて集結し、激しい戦争の末、見事退けた。


 そのキャロリンの一番の友が人狼のアルゼニーであり、二人は勝利の後、祝勝の宴の最中、姿を消した。


 一説には王族との婚姻が定められていたキャロリンがそれから逃れるためであったという。


 この二人の物語は演劇となり、絵本となり、広く知られていた。


「集落のおさがね。その二人が隠れ住んだのがこの場所で、自分達の集落の始まりもキャロリンとアルゼニーの二人だって言うんだよ ! 」。


 黒い髪から小さな黒い狼の耳をぴょこぴょこと動かしながら、褐色の肌の幼い人狼が嬉しそうに話す。


 変化前の人狼はそれほど人間とかけ離れた姿をしてはいない。


 そして二人は木の棒と小さな爪をたよりに日が暮れて家に帰るまで、冒険に出る。



 ギィン !


 長剣と大きな爪がお互いを弾き飛ばし、二人は距離をあけた。


「……今でもアルゼニーになりたいの ? 」。


 肩で息をしながらネリーが問う。


「……いいえ、私がなりたかったのは伝説の人狼アルゼニーではありません。私がなりたかったのは……『キャロリンとアルゼニー』だったんです。世界を救えなくても、強くなくても……互いに想いあって、互いに自分の全てを捧げられる相手が欲しかったんです…… ! 私は…… ! 」。


 ある日、人間族の少女は姿を消した。


 少女の家も、もぬけの殻だった。


 レイフは毎日少女の行方を捜したが、見つけることはできなかった。


 レイフの中に残っていたのはネリーとの思い出と二人で交わした誓いだけだった。


「……強くなったね。あの頃はゴブリン一匹にも泣きながら逃げてたのに……。ああ、いろいろ思い出してきた ! 二人でキャロリンとアルゼニーのあの場面も再現してた ! 」。

 ネリーはあの頃のように、笑った。


「……忘れてたんですか ? 私はあの日からずっと忘れることはなかったのに…… ! 」。


 人狼の顔が恨めしげに歪む。


 ネリーはそれに構わずに笑顔で続ける。


「……私、ネリー・アルクインは我らの神、十月の女神ミシュリティー様に誓います……」。


 その言葉に人狼は顔を背けて、絞り出すように言う。


「…………やめてください……何を今更……」。


 互いを永遠の友とすることをそれぞれの神に誓う勇者と人狼の物語で二番目に盛り上がるシーン。


 二人が自分達で再現していたそれを改めてネリーがやり始める。


 



 二人が再会したのは数年後、領主の城だった。


 若くして領主お抱えの人狼部隊に採用されたレイフはメイド服姿のネリーを見つけた。


 ほとんど白に近いプラチナブロンドの髪に灰色の瞳、透き通るような白い肌。


 全てが黒い自分とついであるかのような少女。


 信じられない思いで思わず駆け寄ると、少女は驚いた顔から一瞬微笑んで、すぐに能面のように表情を消した。


 仕事以外のことをしていると叱られるから、とそれだけ言って足早に去って行く少女。


 次の日からレイフはネリーのことを目で追うようになる。


 非常時以外は時間の融通がきく偵察・戦闘専門の部隊であることが幸いした。


 そしてネリーの境遇と自分の無力さを嫌というほど思い知る。


 そんなネリーが唯一人間らしい表情を取り戻すのが、彼女の腹違いの兄といる時だけだった。


 それを見たレイフは少しの安堵あんどとその十倍以上の嫉妬の思いに苦しめられた。



「……日ののぼる時は私が、月の昇る時はあなたが互いの剣となり盾となり……」。


 ネリーは舞台役者のように朗々と誓いの文言を発していく。


「……もうやめてください。あなたは勇者キャロリンじゃないし、私は伝説の人狼アルゼニーじゃない…… !! あの二人のようにはなれない…… !! 」。


 もはやレイフは悲痛を通り越して、泣き声だった。


「……魔王に打ち破れし時は、互いを永遠の友とし、魔王を打ち破りし時は互いを永遠の……」。


「やめてって言ってるでしょ !!!!!!!!!!!! 」。


 再び人狼の爪と勇者の剣が火花を散らす。


「私達は彼女と彼のように結ばれることはないのに !! あなただってそれを分かっているのに !! 」。


 激しい動きによってこぼる涙が月光を反射して銀色に光った。





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