第155話 選ばれし者




 まるで暴風雨のような戦いを経て彼女の前に立っていたのは、頭が二つ、腕が六本、脚が八本の異形だった。


 安普請の工場の壁はその戦闘という災害に耐えきれず、もはや遺構いこうと化していた。


 少し離れた所には、動かない身体をなんとか引きずって避難した爬虫類人族リザードマン達。


 そして近くの地面から生えた人間の頭のいくつかはトレイによって踏み潰されて、砕けた頭蓋から、その中味をぶちまけていた。


 彼女の後ろには地に伏した勇者達。


 そんな地獄のような状況で、モレーノの狂ったような哄笑こうしょうだけが彼女の鼓膜を震わせていた。


 いつも通りに燦燦さんさんと降り注ぐ陽光を、どうしてか冷たく感じながら、呪文の詠唱を終えたシャロンは一歩、前へ出る。


「……お待たせしたようですね」


「いいさ……。俺の気が長いのはよく知ってるだろう ? 」


「ええ……。大陸からこの群島に渡ってきて……なかなか馴染めない私の面倒を根気よく見てくれましたからね……」


 彼女は、昔を思い出して、ほんの少しだけ口角を上げ、続けて言う。


「最後に……一緒に踊ってください。つれないあなたの心臓ハートを射抜いてみせますから…… ! 」


 牢屋の前に捨て置かれていた愛用の杖を構えたシャロンに、トレイは不敵な笑みを二つの口で返す。


「ああ……いいぜ ! お前が勇者達がやられている間に長い詠唱を完成させたそれは『絶対貫通』の風魔法スキルだろ ? そいつで心臓を撃ち抜かれたら、やられちまうかもしれんな…… ! 」


 彼の二つの頭に無数に開いた瞳が一斉にシャロンの杖の先に焦点を合わせた。


 それは空気が歪むほどの圧力を蓄えて、パチンコ店のオープンを待ちわびて平日の朝から並ぶ行列のように、その解放を今か今かと待ち構えている。


 とても射程距離が短く、詠唱もとんでもなく長い、実戦にはあまり向かないスキル。


 だがどんな分厚い装甲も一枚だけは必ず風穴を空けて貫通するというスキル。


 色々な思いが去来する彼女の胸に、不思議と怒りはなかった。


 父の同族である爬虫類人族リザードマンが酷い目に遭っても、彼女自身が自らの出自をうとんでいる以上、彼らのために怒る理由はそれほどない。


 今はただただ、人間の枠を超えてしまった男をどうにかしてやりたい思いでいっぱいだった。


「ひひひ…… ! 無駄ですよぉ ! 『勇者』ですらトレイさんには手も足も出なかったんですから ! 蜥蜴一匹で何ができるっていうんですかぁ !? トレイさんは特別なんです ! 人間の限界を超えて進化しています ! このまま成長していけば、その力は神にだって至るかもしれない ! そうすれば私は神をつくり上げた創造神ですよぉ ! 」


 モレーノの金切り声が響く。


「そうだ…… ! 俺は特別なんだ…… ! 神に選ばれた人間なんだ…… ! だから俺だけがあの薬を飲んでも肉塊になり果てることなく、進化したんだ ! 」


 六本の腕を大きく広げて、トレイは悦に入ったような顔となる。


(選ばれた人間……ですか。確かにそうですね……。あなたはあの男と一緒で選ばれた人間ですよ……)


 シャロンは彼女の理不尽な八つ当たりの対象と定めた男の顔を思い浮かべ、それから走り出す。


 男の一番上の右手が手刀となり、袈裟懸けに振り下ろされ、女はそれをわかっていたかのように身体を回転させて躱す。


 男の左の手刀が切り上げられて、女はそれを身を屈めてやり過ごし、男の脇に回る。


 まるで約束組手のように、舞うように二人は戦う。


 とは言っても、男は薬の材料となり得る女を殺す気はなかった。


 だから手加減をしていたし、女に戦闘訓練を施した時の癖で、彼女が良く知る攻撃パターンを無意識に選んでいた。


 それに今の男は自分に絶対の自信があった。


 脳を勇者の雷に焼かれても、回復するどころか、もう一つの頭まで生えてきたのだ。


 恐らく心臓を貫かれた所で、その数が増えて、さらに強力な存在となるだけであろう。


 自然、防御はおろそかになる。


 だが女は撃たない。


(……まずいですね。サンドロに無理やり鎮痛剤を生成させて打ったけど……効果がどれだけ続くか……。早く防御して…… ! )


 女が焦りを感じ、右の手刀がその身を掠めてよろめいた時、トレイの右の顔が弾けた。


 最後の魔力を振り絞って、隙を作るためにサンドロが氷塊を放ったのだ。


 それでも女は撃たない。


(…… !? シャロンさん……どうして…… !? )


 魔力切れの代価にトレイの鼻から一筋の血を流すことに成功したサンドロはドサリと再び倒れ込む。


「……トレイ部隊長、せっかくの男前が台無しですよ。私が惚れるくらいの良い男なんですから」


 そう言って女は男の右の顔を見つめる。


 戦闘に水が差され、二人はそれほど遠くない距離で見つめ合う。


「へっ…… ! おめえが人間だったら……いや、そんなことを言っても意味がないか……」


 男は苦笑して、今まで攻撃に使っていたた右手でゆっくりと鼻血をぬぐう。


 それこそが女の待ち望んでいた瞬間だった。


「『無空間エアポケット』…… ! 」


 パン、と空気が、いや空間が弾け飛び、男の右手が飛んだ。


 どうやら女の全てを賭けた一撃は、急所でもなんでもない男の右手首辺りに命中したようだ。


「どういうつもりだ…… ? 」


 血を盛大に吹き出しながらも、もこもこと肉が盛り上がり、元に戻り始めた右手を掲げて、男は首をひねる。


「……私の最後の皮肉とでも受け取ってください。あなたとは手を切らせてもらいますってことですよ」


 魔素切れの悪寒が激しく内臓を突き上げる最中さなかにもかかわらず無表情で女は言う。


「……まったく、相も変わらず可愛げのない奴だな……。まあこれから薬を生産するだけの家畜に愛想も必要ないか……」


 男の二つの顔が同時に溜息を吐いた。


「もう一つ……最後に忠告なんですがね……」


 片膝をつきつつ、女は男から目を逸らさない。


「なんだ ? 」


「あなたは他者とのつながりを軽視しすぎですよ。……爬虫類人族リザードマンの親愛の刻印を打たれた者に毒はほとんど効かなくなります。それは毒を主たる攻撃手段とする爬虫類人族リザードマンにとって致命的なことです。それなのにそんな刻印を打つのはどうしてかわかりますか ? 」


 女の問いの男は首をひねる。


「…その者ならば……絶対に爬虫類人族リザードマンの敵とならないという証でもあるからです。親愛の刻印は……一生に一回……どんなに強い恩寵を持つ者でも二回までしか……それも本当に心から……それこそ命の恩人か……一生を捧げる相手か……本気で想わないと打てないのです……」


 男は、彼がかつてポイズンドラゴンから救った爬虫類人族リザードマンのことを思いだしたか、少しだけ上を向く。


 だが悪びれたりはしない。


「……だからどうした ? そんなのはあいつが勝手にしたことだ。一方的な想いにこたえる義務なんてねえよ ! 」


 男は唾を吐いて、言い放つ。


「……そうでしょうね。私は半分爬虫類人族リザードマンで……そのことにコンプレックスがあって……あまり爬虫類人族リザードマンのことが好きではないんですが……それでも……あなたに刻印を打った者に変わって……返してもらいました…… ! 」


 女の爬虫類を思わせる金色の瞳がギラリと光る。


 男は怪訝な顔をして、いつもの癖で右手で頭を掻こうとして、その異変にようやく気付いた。


「な、なんだこれは…… !? 」


 欠損した右手は回復しようとはしたのであろう。


 手首の先は巨大な赤い肉塊となって脈打っている。


「……毒が効かないってことは身体の恒常性ホメオパシーが高いってことです。だからあなたは刻印の効果でギリギリ人間の姿を保っていられた……」


 女が撃ち抜いたのは男の右手首にあった爬虫類人族リザードマンの刻印であった。


「それが無くなったらどうなるでしょうね…… ? あなたは確かに選ばれた人間でしたよ。ただし神じゃなくて爬虫類人族リザードマンにね。そのつながりを断ち切ったのあなた自身ですよ…… ! 」


「こ、この野郎 ! なんてことしてくれたんだ ! よくも……よくも ! 」


 男が激昂する間にも、右手の肉塊はどんどん増大し、やがて本体を飲み込んでいく。


 それは他者との絆を自分勝手に切り捨て利用した挙句、自我を増大させた男に相応しい姿であった。


 男は巨大なピンク色の肉塊となると、うねうねと動きだす。


 地上に出ている人間の頭から溢れ出している脳髄と血の臭いに向かって。


「ひぃ、ひいいいぃぃぃいいい !? く、来るな ! 来るな ! た、助けて…… ! 」


 その近くに一緒に埋まっているモレーノは先ほどとは違った金切り声をあげる。


 やがてその声は肉の海に埋まって、消えていった。


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