第122話 滑る男達
地面に投げ捨てられて、なお燃え続ける松明の明かりを反射しながら、分厚い刃が空気を乱暴に切り裂き、うなりをあげた。
ぐちゅり、と粘度の高い音がして腐肉がフィリッポの大斧によってはじけ飛ぶ。
間髪おかずに、その切り開かれた腐肉の穴に追撃が加えられる。
ロレットの長剣だ。
さらに腐肉を切り開くが、その化け物の大木のような首を落とすには至らない。
小さく舌打ちをしたロレットはすぐに屈みこんで、前に転がる。
その彼のすぐ上をすさまじい圧の何かが通り過ぎていった。
化け物の反撃である右前脚が横薙ぎに振るわれたのだ。
四つん這いの化け物の腹の下に転がり込んだ行き掛けの駄賃に、すぐ上の腐肉で構成された巨大な腹に斬りつけながら、化け物の左側から転がり出て行く。
そんなロレットを気にも留めずにフィリッポを襲おうと長い首の先の巨大な顎が彼に向かって大きく開かれるが、鈍い大きな音とともにそれは防がれた。
サンドロが放った巨大な氷塊が腐肉の頭を打ち砕いたのだ。
化け物がよろめく間にフィリッポは体勢を立て直し、腹の下から出たロレットは化け物の後ろに陣取る。
「キリがないぞ ! こいつは一体何なんだ !? 」
荒い息のフィリッポが吐き捨てるように言った。
大きな胴体部分はポイズンドラゴンと似た形状だが、その先の長い首に巨大な爬虫類の頭は見たことの無いものだ。
長い首を合わせると十メートル近い、それが全て腐臭を放つ腐肉によって構成されている化け物。
先ほどからいくらダメージを与えても、まるで効いている様子がないのだ。
「なんてしつこさだ……。まるで旦那から夜の生活を拒否されてやり場のない性欲を
「あんたは人妻を何だと思ってんすか ? 」
ロレットらしい
「このままだとジリ貧でいつかやられるっす。逃げるにもあのアンデッドみたいなドラゴン、腐ってるのに意外と素早いんで、単純に背中を見せて逃げるのは危険っす。だから奥の手を使うんで、しばらく時間稼ぎして欲しいっす ! 」
そう言うと、サンドロは後ずさり、呪文を詠唱し始める。
フィリッポとロレットは再び腐竜へと向かうが、さっきまでは動きが違った。
致命の一撃を加えるために化け物の間合いにまで深く入り込むことはせず、浅く踏み込んで攻撃しては離れていく。
そんな時間稼ぎのための戦い方であっても、腐竜との戦闘で
鈍い音がした。
ロレットが、骨の露出した腐肉の尾で吹き飛ばされた音だ。
その衝撃によって舞い散る腐肉片の中、太い木の幹まで一直線に背中から叩きつけられる。
「……ガッ」
彼が描いた空中の軌道をそのまま追って、腐った肉を揺らして化け物が走り出した。
「ロレット ! 」
慌てて腐竜の背を追うフィリッポ。
(……クソ……まだ死ぬわけには……ダメだ……身体が動かない……こんなことならさっさとあの二人を囮にして……逃げておけば……)
鎧に包まれた身体は木に衝突した衝撃によって動かないが、娼館で知り合った錬金術師からもらった兜に守られた頭は、しっかりと迫りくる化け物を認識していた。
そしてその化け物の後ろから必死な顔をして駆けてくるフィリッポの顔も。
ズシャ、と大きな音を立てて腐竜が腹ばいとなり、そのまま彼の脇を通り過ぎて入ったのだ。
「な…… !? 」
茫然と巨大な四本の脚をばたつかせながら滑っていく怪物を見送ったロレット。
「ぐおおおおおおおっ !? 」
「うわ !? 」
そして彼は腐竜と同じように盛大に滑ってきたフィリッポの突撃をくらうはめとなる。
「間に合って良かったっす……」
絡み合い、罵声を浴びせ合うロレットとフィリッポを眺めながら、サンドロは安堵の息をついた。
彼が発動した氷魔法「アイスバーン」によって、彼の半径 1 キロほどがスケートリンクのようなツルツルの氷面となり、そんな環境に適応していない腐竜を派手に滑らせたのだ。
「さて……ここからはあの化け物が氷面の上を上手く歩けない内に逃げないと……」
ほとんど魔素を使い果たしてふらつく身体をなんとか動かそうとして、彼は自らが作り出した氷面によって、派手にすっころんだ。
────
「……少し良いですか ? 」
「……ああ、ここまで来れるんならね」
樹上のソフィアは樹下のピンク髪の女にすげなく答えた。
おそらく、いや確実に「魔法使い」の彼女はここまで上ることなどできないだろう、という予測の元に。
「そうですか……」
シャロンは少し思案した後、杖を地面に置いて、するすると木に登り始めた。
ソフィアが目を丸くしている間に、シャロンは彼女が座る枝に同じように腰かけた。
「……意外と肉体派なんだね。あの部隊長の部下だから ? 」
「……あんな脳筋と一緒にしないでください」
軽く鼻を鳴らして、ソフィアは思い出したように煙管を吸うが、どうやら煙草が燃え尽きてしまったようで、軽く首を振った彼女は小気味良い音を立てて椅子代りの枝に煙管を叩きつける。
すると吸い口の対極にある火皿の中の燃え尽きた煙草が下に落ち、彼女は新しい煙草を指で丸めて火皿に備え付けた。
それから右手の人差し指を火皿に近づけると、その指の先から小さな炎が生み出され煙草を炙っていく。
なんとも言えない香りが漂い、ソフィアは吸い口を加えてそれを味わいだした。
「……便利なものですね」
「これかい ? 」
シャロンの言葉に、ソフィアは右手の人差し指を立てて、再び火を灯してみせた。
「ジョンのやつ、どういう仕組みかはまったくわからないけど私に『嗅覚』を備え付けたんだ。それで人間だった頃よく吸ってた煙草を楽しんでたら、『火をつけるのに便利だろう』ってこんな余分な機能までつけて……」
口調とは裏腹に緩み切った顔のソフィア。
そんな彼女の顔を見つめ、シャロンは口を開く。
「……本当、まるで人間みたいなんですね。ソフィア、あなたは人間なんですか ? それとも
「何バカなことを聞いてんだい。私が人間のわけないだろ ? この作り物の身体のどこが人間なんだい ? 」
不思議そうにシャロンを見つめ返した黒い瞳と、その白い肌の顔、黒い髪は人間そのものにしか見えなかった。
「その……何て言うか、あなたの魂石には人間だった時の記憶が転写されているんですよね。それに恐らく外見も人間だった時の容姿を再現しているんだと思います。ジョンならそれくらい簡単でしょうから……そんなあなたは……あなた自身は自分のことをどう思っているんですか…… ? 」
実際の所、今のソフィアの外見は人間ソフィアとは違っていた。
まずジョンと同じ黒髪ではないし、こんなに白い肌でもない。
顔は面影を残してはいるが、五割増しほど美形にしてある。
体形もかなり魅力的に、特にジョンの好みに寄せた。
それは彼女がまだデッサン人形の身体であった時、今現在の身体を作成しているジョンに何食わぬ顔で指示したことだ。
「要するに私のアイデンティティはどうなってるのかってことかい ? なんでそんなことを ? 」
「それは……」
俯くシャロン。
そんな彼女を訝しげに見て、ソフィアは煙を吐き出してから眼下の大量の天蓋に目を向ける。
そのほとんどの明かりが消えている中、また一つが消えた。
ふと夜風が吹き、正面から二人の髪を揺らす。
「……血の臭い ? 」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます