第102話 爬虫類人族の女の記憶



 まだ太陽も少しだけ顔を出して世界を覗き見ている頃、ちゅんちゅんと雀が鳴く声に混じってコンコンと窓ガラスを叩く音がした。


 その小さな音とリズムに、大きなベッドの上に二つ並んで見えている黒髪頭の一つが反応した。


 緑の鱗を全身にまとった爬虫類人リザードマンの女だ。


 窓の外の男は少しだけ驚いた顔をするが、女が手で示すサインの通りに一階のドアへと向かうため、張り付いている壁をするすると音もなく下りていく。


 小さな音とともに鍵が開き、外にいた男はするりと工房の中に入り込んだ。


「……首尾は ? 」


「昨日の二人の行先はバッチリっす ! この家から飛び出した時、なんだか負傷してたみたいで……それに気をとられたのか、こっちの尾行にはまるで気づいてなかったっす ! 」


 リンの問いかけに、任務の成功に興奮が冷めやらないのか、爬虫類人リザードマンの男は大きな声で報告する。


「静かに…… ! 私は単独で捜査してることになっとるから…… ! 」


「す、すいません。それにしてもリン様の方は大丈夫っすか ? 昨日のあいつらにわざと捕まるなんて無茶しすぎっすよ」


 昨日、リンはわざと人間族が見れば少しの違和感を抱くように「擬態ぎたい」した。


 まだまだ残暑であるこの群島で、初冬の格好をし、爬虫類人リザードマンの人間とは異なる体臭にも臭い消しを使わなかった。


 そして離れた場所から完璧に人間に「擬態」した男が彼女を見守っていたのだ。


 その結果、釣れたのが昨日の二人組であり、その釣りの代価として彼女は暴力を受けるはめになったのだが、どうやらそれだけの危険をおかした甲斐かいはあったようだ。


「……行方不明の爬虫類人リザードマンが誰一人いないこの空き家に連れ込まれた時は失敗したかと思うたけど、人間族の同胞に助けてもろたわ。……それでも百の信頼を置くことはできんわ。先に送り込まれた捜査班が全員行方不明になっとる以上はな」


「そうっすね。爬虫類人リザードマンの仲間ですら信頼できないのかもしれないのに……人間の同胞ならなおさらっすね。でも一緒のベッドに寝てたってことは……落したんすよね ? 」


 爬虫類人リザードマンは容姿を自在に変化させて他の種族に「擬態」することができる。


 それを利用してターゲットの種族にとっての美男美女へと変化して、近づいて情報を得る方法をとることがあるのだ。


 まず第一に情報を得た後は体内で生成した睡眠毒や催眠毒で、相手を眠らせてうやむやにすることがほとんどではあったが。


「あ、ああ…… ! も、もちろんや ! うちにメロメロにしたったわ ! 」

 

流石さすがっすね。ベッドで人間族に『擬態』してなかったから、どうしたのかと思ったっすけど」


「あ、あんな奴、『擬態』するまでもなかったわ ! 」


「…… そんなことあるんすか ? 人間族は人間族の女を好むと思うんすけど……。まあ、とりあえずここはいつまた奴らが来るかわからないっすから、仲間が用意した隠れ家に移動するっす」


「わかったで。あ、でもちょっと待ってな……」


 リンは軽い足取りで二階へと向かう。


 そして一階に残された男に、リンの声が微かに聞こえてきた。


「……別の場所に……そんな顔せんでよ……うちかて寂しいんやから……絶対また会いに……昨日言うてた海人族の女とは……うちの国に来て……うちが面倒みてあげる……え ? 何それ……そんなん通らへんで……昨日『擬態』なんかせんでええ、そのままのうちが一番綺麗とかこっちが恥ずかしくなること言って……ん……そんなことでごまかされへん……あ…… 」


(……な、なんかおかしいっすね ? どっちかと言うとリン様の方が……それに……)


「……しゃあないなぁ……でも、うちが一番やで……うん……約束や……」


(ごまかされたっ── !? リン様 ! メロメロにするどころか、都合のいい女になってるっすよ ! )


「さあ行こか ! 」


 機嫌良さげに下りてきたリンをなんとも言えない顔で迎えて、男と彼女はするりと工房を後にした。



────


 ジョンはリンが部屋から去った後もベッドの上で天井を見つめながら、昨晩のことを思い出していた。


(昨日……リンが色んなタイプの人間の女やエルフの女に「擬態」して迫ってきた時、また白昼夢を見た……)



 白い霧が立ち込めた工房二階の寝室。


 不定形な霧のベールの向こうにぼんやりとした影が見えた。


 そしてその影はするりと男に近づき、その背中に両腕を回す。


「……私たち爬虫類人リザードマンと同盟を結びたいのなら、王の娘である私をあなたの側室の一人に加えてもらいますわ。知っての通り私達はどのような姿にもなれますから、飽きることはないと思いますわ」


 すぐ近くなのに霧ではっきりとは見えない顔が妖艶にわらい、様々に変化していく。


 ──変わらなくていい、と男の口が勝手に動いた。


 過去そのままに。


「あら ? ひょっとして気を使ってますの ? そんな必要なんてありませんのに。この関係は所詮、戦略的なものです。それに……人間族が私たち鱗を纏う者がどのように見ているか知らないとでも ? そうだ ! それならば本音しか言えないようにしてあげますわ !」


 ちくり、と男の背が痛んだ。


「今、あなたに注入したのは『恩寵おんちょう』の強い私にしか生成できない特別な毒ですわ。ご安心くださいな。死にはしませんから。ただとんでもない激痛でのたうち回ることになりますの。……嘘をつくとね」


 霧に覆われた顔は、ようやく本来の爬虫類人リザードマンのものとなり、挑発的にわらう。


 それはどこか自嘲的でもあった。


 ──恥ずかしい話なんだが……俺は、女が大好きなんだ。どうしようもなく、たまらないほどに、と本当に恥ずかしいことを恥ずかしげもなく男は言う。


「は ? 」


 ──だから爬虫類人リザードマンの女であるお前の艶やかな黒い髪も、綺麗な金色の瞳も、少し低めの鼻も、少し大きめの口も、緑の鱗に覆われた顔や身体も、大きな胸も、大きなお尻も、全部好きなんだ。そのままの、爬虫類人リザードマンの女であるお前がたまらなく好きなんだ、と男はつらつらと語る。


「……呆れたわ。どうやら本気で言ってるみたいね。まあいいわ。なら他に何かリクエストはないの ? 」


 ──ある。お前の本当の姿は見せてもらったから、次は……心も曝け出して欲しいな、と男の口が動く。


「……考えておきますわ。あなたが私に心を捧げてくれるなら……」


 そう言って、霧に覆われた緑の影は顔を男の胸にそっと触れさせる。


 そして、刻印が打たれた。


 ふっと霧が晴れた。


 それなのに彼の腕の中、緑の影は消えなかった。


 それは白昼夢の中の女ではなく、リンだった。


「あ、あんた……なんちゅう恥ずかしいセリフを言うんや…… ! そんなん言われたら……うち……」


 どうやら白昼夢の中で言った言葉のいくつかは実際に彼の口から音声として飛び出し、目の前のチョロめの爬虫類人リザードマンの女にもクリティカルヒットをかましていたようだった。



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