「ゴジラ」(1954)……初の国産怪獣映画にして不朽の名作
製作国:日本
監督:本多猪四郎
制作:田中友幸
原作:香山滋
脚本:村田武雄、本多猪四郎
音楽:伊福部昭
特殊技術:円谷英二、向山宏、渡辺明、岸田九一郎
出演:宝田明、河内桃子、平田昭彦他
原因不明の漁船沈没事故が相次ぐ中、大戸島を台風が襲う。島が受けた被害は、明らかに風雨によるものだけではない、何か巨大な生物が島を横切ったことを物語っていた。東京から派遣された調査団は、山の向こうから現れた、巨大な怪獣の姿を目撃する。怪獣は大戸島の伝説になぞらえてゴジラと名付けられた。政府は海中に姿を消したゴジラに対し攻撃を行うも、ゴジラはそれをものともせず、ついに東京湾に姿を現す――。
本作は日本初の怪獣映画であり、記念すべき「ゴジラ」シリーズの第一作でもある。主役の怪獣ゴジラは、作品によって出自が異なるが、この第一作目では「海生爬虫類から陸生獣類に進化する途中の古代生物」が「海底深くに潜んで彼らだけの生態系を築いていた」ものの「水爆実験によって住処を追われた」ことによって人々の前に姿を現した、という設定。「恐竜が放射線の影響で変異・巨大化した」という平成シリーズでの設定と混同されがちだが、まったく別である。
映画のネタ元として、1954年3月に起こった第五福竜丸事件や「原子怪獣現わる」が挙げられる。東宝の田中友好がこれらを下敷きにしてプロットを考案。仮タイトルは「海底2万マイルから来た怪獣」というもので、これは「原子怪獣~」の原題を元にしたものであり、同作の影響力を見て取れる。正式に制作がスタートしてからは、「G作品」というコードネームで極秘裏に進められ、7000万という巨費が投じられた。これは当時の平均的な制作費の3倍以上であり、経営難に陥っていた東宝からすれば、まさに社運を賭けた一大プロジェクトであったろう。
原作を執筆したのは小説家の香山滋。監督に本多猪四郎、特殊技術には円谷英二が据えられた。円谷英二は戦前より先進的な撮影技術を研究し、戦中も戦意高揚映画に携わり、その手腕を発揮していた、特撮の名手であった。「キング・コング」に強い感銘を受けていた円谷英二は、ゴジラもストップモーションアニメで撮影することを考えたが、技術と時間の問題から断念。着ぐるみとミニチュアが採用された。以降、これが日本の怪獣映画のスタンダードな撮影方式となった。
完成した映画は同年11月3日に公開され、一部マスコミには「ゲテモノ映画」と叩かれながらも900万人以上を動員する大ヒットとなった。ゴジラが人々の心を掴んだのは、終戦直後という時代性を反映したのも一因だろうが、何よりも特撮映像の迫力あってのことだろう。ゴジラの身長は、コングやリドサウルスを遥かに凌ぐ50メートル。あらゆる建物よりも巨大な生き物が、下界を見下ろしながらのし歩く。通常兵器による攻撃も、高圧電流も効果はなく、ビルは壊され、車は踏まれ、逃げ遅れた人々は口から吐き出す白熱光で焼き殺され、やがて東京は一面火の海と化す。避難所にはおびただしい数の負傷者が並び、親を亡くした子は泣き喚き、女学生が祈りを捧げる――ここまで徹底的かつ悲劇的なまでの破壊描写は、それまでの怪獣映画には見られなかったものだ。その演出にはスタッフ陣の戦争体験も反映されているという。それこそが本作のアイデンティティを形作っている。プロットは似ているが、「原子怪獣~」の焼き直しなどではないのだ。
この「ゴジラ」以降、日本でも映画やテレビで大量の怪獣作品が生み出されることとなる。「ゴジラ」もシリーズ化され、何度かの断絶を挟みつつも、60年以上に渡り新作が作られ続けており、ゴジラは映画界を代表するキャラクターとして今日でも広く認知されている。
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