第百話 いいえ、女の勘です

「パルマー中佐。ここから私がお話しする事は、常識的に考えれば連盟軍人であるあなたにとっては耳を貸してはいけない内容だと思います。ですがそれでもあなたにお話しする事には何かの意味があると信じてお話しします」


「殺し文句と言う物ですね。ひとまずお聞きしましょう」


「近い内に連盟で大規模なクーデターが起こる可能性があります」


 私がそう言うとパルマー中佐は首を横に傾げた。その動作を取ると実年齢よりずいぶん幼く見える。


「クーデター、ですか。誰が?」


「現在は連盟宇宙艦隊副司令長官であるはずのアデルモ・エピファーニ大将を始めとした軍内部の対帝国強硬派です」


 これは私の前世でティーネの三星系奪還後に起きた事件だった。

 帝国に三星系を奪取された物の、すぐに再奪還作戦を実行出来ず、逆に講和へと傾こうとした連盟評議会主流派に不満を持った軍部の一部が決起し、一度は太陽系を始めとした連盟の主要星系を制圧するまでに至る。


 最終的にクーデターは鎮圧されるが、その過程で連盟の穏健派議員が数多く暗殺され、さらに内乱によって連盟の国力・軍事力も大きく低下すると言う私にとってはかなり望ましくない結果になる。

 残念ながら当時の私は連盟で起きたクーデターに大した関心は抱いていなかったので詳しい情報は知らないが、それでも止めるために出来る限りの試みはしておかなくてはならないだろう。


「確かにあり得ない話ではないように思えますが、はっきり首謀者の名も上げてそこまで言われるからには、何か確たる根拠がおありなのですか?」


「あります。ただそれをお伝えする事は今は出来ません」


「証拠なくそう伝えられても、私としては帝国からの連盟に対する分断工作である、と判断する事しか出来ませんが」


「そうでしょうね。それを否定する説得の材料を私は持ちません。だからお願いする事しか出来ません。どうかあなたが捕虜交換で連盟に帰ったら、これをあなたの上官であるショウ・カズサワ提督に伝えて頂けませんか?」


「返答をする前に一つお聞きしますが、何故この話を私に?あの敗走では、私よりも高位の士官で捕虜になった者もいたでしょう?」


 パルマー中佐は特に考える素振りも無く、そう尋ねて来た。


「あなたの上官のカズサワ提督は強硬派のクーデターに賛同されるような人間ではない。その確信があるからです」


 前世で連盟のクーデターに関する情報収集をさぼりまくっていた私だけど、それでもさすがにカズサワ提督がクーデター討伐の立役者になり、さらに地位と名声を高める事だけは知っていた。

 向こうで何が起こるのか詳しい事がさっぱり分からない以上、最低限の事だけ伝えて後はカズサワ提督が勝手に全部何とかしてくれる事を祈るしか今の私には出来ない……(他力本願)


「帝国にとっては連盟でクーデターが起きるのは悪い事ではないのではないですか?」


「現状の帝国にとってはそうかもしれません。ですが私としては連盟内で帝国対強硬派が勢力を増す事も、連盟で大規模な内乱が起きる事も望んではいません。そして帝国その物もそれを望まないような方向に変えていければ、と思っています」


 和平を望んでいる、とまでは言えなかったし、ここで言うべき事も無いだろう。


「エースなどと呼ばれるようになると、良くこう尋ねられるようになります。戦闘機のパイロットとして最も重要なものは何か?と」


 不意にパルマー中佐がそんな事を言った。


「それは?」


 彼女がその話を始めた意図を理解出来ず、私は取り敢えず相槌を打つ。


「周囲の情報を余す所なく把握し、それらの中から必要な物を瞬時に判別し、それに応じて適切な戦術を構築する能力……つまりは、勘の良さ、です」


 身も蓋も無かった。

 OODAループの提唱者であるジョン・ボイド大佐が泣くぞ。


「その私の勘が言っています。閣下は信用出来る、と。もし帰還が叶えば、今のお話はカズサワ提督にお伝えする、とはお約束しましょう。その後の事は、もう私がどうにか出来る事ではないでしょうが」


「ありがとうございます」


 私は頭を下げた。


「遠からず、帝国と連盟の間で大規模な捕虜交換が行われると思います。その時には必ず中佐が帰還できるように取り計らいます」


「それは、ご遠慮します。特別扱いをして頂くつもりはありません。捕虜になった者は数多くいるのですから。私の早期の帰還が叶わなかった場合には、また他の人に今の情報を託されるべきでしょう。私はあくまで個人としてあなたの危惧を聞かされた、と言うだけです」


 そこだけはきっぱりとパルマー中佐は言い切った。


「分かりました」


 余計な事を言ってしまったようだった。

 ……本人にはこれ以上は何も伝えず、ばれないようにこっそり裏工作だけしておこう。


「ところで、カズサワ提督について一つお伺いしたいのですが」


「何でしょう?」


「どうやら独身だと言う事はこちらが把握している資料からも分かりましたが……今の時点で恋人がいる様子はありますか?」


 パルマー中佐が先ほどよりも大きく首を横に傾けた。いきなり何を聞いてきているんだ、この子は?と言う顔をしている。

 そりゃそうだよなあ……


「……後輩のアンブリス准将とお付き合いされていると言う噂もありましたが、個人的には信憑性は低いと思います」


 あの狂戦士か……

 似合いと言えば似合いかもしれないけど。


「他に周囲の女性の気配は?」


「私が知る限りありませんね。何しろ二十代の将官ですから若い女性兵士達の間ではそれなりに憧れの的ですが、モーションを掛けてもすげなく袖にされた、と言う嘆きは良く聞こえていました」


「一体何を言い出しているんだ、と言われるかもしれんが」


「はい」


「もし向こうに戻れたら出来る限りカズサワ提督が女性とお付き合いするのを邪魔してもらえませんか。これはもう本当に完全に個人的なお願いで事情もお話し出来ませんが、多分とても大切な事なんです」


 本当に私は何を言っているんだろうなあ。

 私の唐突な意味不明であろうお願いに、パルマー中佐はすぐに返答はせず、かと言って困惑する様子も見せなかった。


「失礼します」


 そう言って立ち上がり、私の方に近付いて来る。エアハルトが動き掛けたが、私はそれを制した。

 パルマー中佐は私の頬を挟むように両手で触れ、じっと私の目を見つめて来た。

 近付くと際立つ神秘的な美貌。だけどそれ以上にその深い瞳に魅せられそうになる。


「まさかと思いましたが、閣下がカズサワ提督に恋慕されている、と言う訳では無さそうですね……そして多分とても大切な事だ、と言うのも本当の事のようです」


 しばらく私の顔を覗き込んだ後、何かに納得したようにパルマー中佐は頷き、私の顔から手を離した。


「それも、エースの勘ですか?」


「いいえ、女の勘です」


 パルマー中佐はにっこり笑い、席に戻った。


「事情は分かりませんが、それでも信じる事は出来ました。カズサワ提督に寄ってくる悪い虫がいれば出来る限り追い払いましょう」


 自信満々にそう言う彼女に思わず吹き出してしまった。


「どうされました?」


「いえ、我ながら突拍子もない事をお願いしたと思ったのにすんなり聞いて下さったので。銀河には変わった女性軍人が多いと思っていましたが、あなたはその中でもとびきりかも知れませんね。私が言えた事ではないですけど」


「たまに変わった女だ、と言われます」


 私は立ち上がった。


「中佐とお話し出来て良かったです。出来れば次は、戦場でも捕虜収容所でもない所でお会いしたいですね」


「ええ。私もそんな風に閣下とは再会したいですね」


 パルマー中佐は最後まで柔らかな表情のままだった。

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