第八十六話 司令官交代-三星系の戦い③

 しばらく沈黙が続き、先にアクス大将が息を吐いた。


「エーベルス大将に任せれば勝てると言うのか?」


「少なくとも現状では一番マシな選択肢でしょう。そして仮に失敗した所であの女一人が責めを負えば済む話です。遠征軍がまとまりも明確な方針も欠いた現状のまま、なし崩し的に本格的な戦闘に入り、いたずらに戦力を浪費するよりはずっといいのでは?」


「しかし、今からわしがエーベルス伯に指揮権を委ねると言うのは、その、いささか無責任と言うか」


 パッツドルフ上級大将が消え入りそうな声で言う。

 現状を放り出して十八歳の、しかも立ち位置としては政敵である少女に後を任せると言うのは体面一つ考えても簡単な事では無いと思っているのだろう。


「別に現状が困難なのでエーベルス伯に委ねる、なんて正直に言う必要はありませんよ、パッツドルフ侯爵。体調不良なりなんなりを理由にして一時的に指揮を続ける事が困難になった、と言って頂けば良いのです。遠征軍の中で大将の階級を持つのはエーベルス伯とアクス大将の二人だけ。アクス大将が反対なさらなければ、自然とエーベルス伯が代理の司令官になるでしょう」


「なるほど」


 パッツドルフ上級大将がホッとしたような顔を見せた。内心ではさっさとこの仕事を他の誰かに任せたいと思っていたのかも知れない。

 飾り物の大将がこんな重責を任されて気の毒だと思う一方で、政治的配慮を理由にこんな無責任人事がまかり通ってしまう帝国軍と帝国の体質そのものにちょっと怒りを感じてしまう。


「しかし、エーベルス大将が司令官代理になったとして、反発する者達は出ないだろうか?」


 アクス大将は考え込む素振りを見せながら尋ねる。作戦の遂行と言う面から見ても、自分の立場と言う面から見ても、案外そう悪い話ではないのかもしれない、と思い始めたようだ。


「中央艦隊の提督達は概ね渋々ながらエーベルス伯の実力を認め始めています。アクス大将が明確にエーベルス伯を支持されれば、消極的ながらも従う事でしょう」


「彼らはそうかも知れん。しかし貴官以外の門閥貴族達はどうなる?カシーク中将などは今回の命令違反を犯した提督達の指揮権の剥奪と拘禁を進言しかねんが、あの者達が大人しくそれに従うとは思えん。下手をすれば同士討ちすら起こしかねんぞ」


「そこは、私が上手く取りまとめます。エーベルス伯に全体の指揮を委ねるのと同時に、命令違反を犯した門閥貴族の提督達とその艦隊は一時的な処分として私の指揮下に入るように命じて頂けませんか?あの者達も私に従うのであれば受け入れやすいでしょう」


「それで貴官は遠征軍の恐らく三割以上を率いる立場になり、この遠征が上手く行った場合はエーベルス大将に次ぐ功績を得る算段が付く、と言う訳か。計算高い事だな」


 さすがにアクス大将は鋭かった。


「計算高く全体の勝利を自分の利益にも繋げようとする人間の方が、損得勘定すら出来ずに意地を張って全体を負けさせる人間よりはマシでしょう?」


 私は出来る限り不敵な表情を作った。


「ツェルナー中将を始めとする提督達の暴走。あれも貴官が画策した訳ではあるまいな?」


「まさか。そこまでやりませんよ。いずれ暴走するだろうなとは思っていましたし、止めようと思えばひとまずは止められたのに、止めなかったのも確かですが」


 私の返答を受け、アクス大将は少し目を閉じて考え込んだ。色々と計算しているようだ。


「ツェルナー中将達は門閥貴族の中の派閥としてはフライリヒート公爵派であろう。貴官とエーベルス大将だけが功績を立てる事に対して何も言っては来ぬのか?」


 アクス大将は門閥貴族達の介入を嫌ってはいても、その影響力を完全にはねのけようと考えるほどの硬骨の持ち主でもないようだった。その辺りはザウアー元帥とは明らかに違う。


「フライリヒート公爵家とのすり合わせは済んでいます」


 公爵本人とすり合わせが出来てるとは言ってないけどね。


「うむ。マールバッハ公爵家とフライリヒート公爵家の同意が出来ているのならわしは何も言う事は無いぞ。後はアクス大将とマールバッハ公爵令嬢の二人で相談して良いようにしてくれ」


 フライリヒート公爵家の方の名前も出た事に安心したかのようにパッツドルフ上級大将が丸投げ宣言をして来た。


 軍の指揮はもちろん、帝国内の政治闘争にもあまり熱心な人ではないようだ。

 もうこの人はさっさと退役して自分の領地に引きこもっていた方が本人も周囲も幸せになれると思う。


 アクス大将が一度深々とため息をついた。パッツドルフ上級大将の無責任さに、真面目に考えるのが馬鹿らしくなったのかも知れない。


 この人も軍人としては決して無能な人ではない。

 もし遠征軍の総司令官がザウアー元帥だったら、士気は振るわないまでも一応は統率された軍の中でアクス大将も参謀長としての能力を十分に発揮し、連盟相手にそれなりの戦果を挙げ、三星系の奪取と言う目的は果たせないまでも完全に失敗とも言えない無難な結果を残す程度の事は出来ただろう。


 だけど、それではダメなのだ。

 戦術レベルの勝利を戦略レベルの勝利に繋げ、そして戦略レベルの勝利は政治的勝利に繋げる事を常にし続けなければ、この戦争は終わらせられない。

 帝国にも連盟にも、これ以上何のためなのか分からない犠牲者を出す事は出来なかった。


「総司令官が代理としてエーベルス大将を任命されるのであれば、小官は総参謀長としてそれを支持します」


 半ば白旗を上げるような口調で、アクス大将は言った。


 パッツドルフ上級大将の執務室から出ると、すぐ近くでエアハルトが待っていた。

 私は彼の隣に立つと、頭をこてんと彼の肩に預ける……記憶が戻ってからこれぐらいのスキンシップは自然と出来るようになっていた。


「お疲れ様です」


 エアハルトは驚きもせず、自然体で私に肩を貸して来る。


「疲れては無いんだけどね……何だか私ってやっぱり嫌な奴なのかな、って思って」


 ここしばらく、戦場にいると言うのに軍人としての仕事よりも、貴族としての影響力を使っての根回しや交渉の方に力を割いて来た。

 そこでは当然様々や駆け引きや恫喝、欺瞞が付きまとっていた訳で……


 必要な事だ、と言い聞かせてさっきみたいな調子でずっとそれをやってきたけど、だんだんと自分が汚れて来たような気がして来る。

 いや、元々持っていた自分の中の汚い物が滲み出ている、の方が正しいのかな。


「嫌な奴かもしれませんね」


 エアハルトがその姿勢のまま笑顔を私に向けて来た。顔と顔が接触しそうになる。


「ちょっと!顔が近い、近いわよ!後そこは肯定しないでよ!」


「顔を近付けて来たのはほとんどヒルト様の方じゃありませんか」


「そうだけど!」


 私達の横を呆れたような表情をしながら士官が通り過ぎて行った。


 艦内の廊下でこんな事をしていても、大貴族の私を咎めて来る者はほとんどいない。いるとしたら多分軍内でも三長官かあるいはマイヤーハイム准将ぐらいだろう。

 しかしさすがに仮にも提督があんまり堂々と自ら艦隊の規律を乱す訳にも行かないので、私はエアハルトから頭を離すと彼と並んで歩きだす。


「大丈夫ですよ」


 エアハルトが私の横で言った。


「何がよ」


「ヒルト様が表向き嫌な奴としても振る舞われても、本当はとても大切な目的のためにそれをされているのは私は分かっていますから」


「目的を見失うつもりはないんだけどね……ただ、怖いのよ。そんな風に嫌な奴をやっている内に、私は昔の私に戻ってしまうんじゃないかって。私がこんな風に変われたのは表面だけの事で、本当の私は昔のままなんじゃないかって」


「大丈夫です」


 エアハルトが重ねて言った。


「今度は何がよ」


「ヒルト様は確実に変わられていますよ。以前と違い、今は私やフロイト大佐やクライスト提督が周りにいます。その周囲でヒルト様をお支えする人間達との関係は、決して表面だけの物などではありません。他にもヒルト様の事を信じ、様々な形で手を携えようとしている方達がおられるでしょう」


「それは……」


「嫌な仕事は、我々にも委ねて下されればいいのです。辛くなったら、こんな風に吐き出して下されればいいのです。間違っていないか不安になれば、尋ねて下されればいいのです。そうして進まれる限り、ヒルト様はもう後戻りされる事はありませんよ」


 エアハルトは恥ずかしげもなくさらりと言った。


「そっか」


 私は少し足を止めて考えた。

 そうだった。今の私には私を信じて一緒に進んでくれている人達がいるのだ。

 今私がやっている事は決してかつての私がやっていたような、独りよがりな政治ごっこでは無いはずだった。


「行ってくるわ。そろそろ会議が再開だから。終わったらあわただしくなると思うから、先に戻って艦隊の準備をお願い」


「はい」


 私はエアハルトに見送られ、会議室へと足を進めた。

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