第四十二話 作戦続行-シュテファン星系会戦⑦-連盟side-
二つの連盟艦隊には勝利がもたらした高揚と一時の平安が訪れていた。
数的劣勢の元に開始された戦闘で、理想的な各個撃破により敵の三分の二までも打ち破ったのである。
その高揚感は兵達だけでなく、第三艦隊の旗艦シーサーペントの艦橋の艦隊幕僚達をも包んでいた。
圧勝、大勝、完勝、と様々な形で勝利の大きさを表現する言葉と、この作戦を立案した事になっているメローの才幹を称える声がかわされる。
そんな空気の中、ショウ・カズサワは一人、これは良くないな、と肩をすくめていた。
元々彼の目的の根幹はこの戦略的意義の乏しい星系の争奪戦から連盟が撤退する事で、帝国艦隊に損害を与えるのはそれを軍上層部に納得させるための餌に過ぎない。
連盟側は星系の放棄と引き換えに帝国艦隊に打撃を加えた事で満足し、帝国側は傷を負いながらも星系を奪取した事で面目を保つ、と言う想定であったのに、敵艦隊が自分が想定した中でももっともまずい動きをしたせいで、予想以上の戦果がここまで上がってしまっている。
皆はその戦果に浮かれているが、思わぬ勝利にはしゃいで当初の作戦から踏み外すような事があったら危ういぞ、と彼は考えていた。
「カズサワ」
メローに声を掛けられ、彼は立ち上がって司令官席まで歩いて行った。
メローも想像以上の戦果に高揚しているのか、表情が普段よりも明るく柔らかい。
「第五艦隊のベロノソフ中将からこのままシュテファン・アイゼンに待機している残り一個艦隊に攻撃を仕掛けてはどうか、と言う発案が来た。あの艦隊が護衛している揚陸部隊を叩けば、ひとまず帝国軍にあの惑星を占拠される事も避けられる。まさに我が軍の完全勝利となる訳だが、君はどう思う?」
当然そうなるよなあ、とショウは少し困った顔をした。
ここで残る一個艦隊を撃破し星系の占領まで阻止すれば、長い帝国との戦いの歴史の中でも稀に見る完全勝利と言う事になる。軍人であればそこに食指が伸びるのは当然であった。
「自分は反対です」
ショウは明確にその意思をメローに伝えた。予想外の返答にメローは少し首をかしげる。
「ほう、何故だ?」
「司令もご理解の事とは思いますが。我々がここまで優位に戦って来られたのは星系を最初から放棄すると言う戦略的な飛躍が作戦面での自由を生み、それによって敵の精神的空隙を衝く事に成功したからです。ここに来て改めて帝国による星系の奪取まで防ごうと考えれば、その優位を自ら捨てる事になりかねません」
「しかしすでに我々は敵三個艦隊の内、二個艦隊を撃破した。当初の戦力的劣勢は単純に覆っているのではないかね」
「確かに、数の面では我々がある程度優勢になっています。しかし我々も二度の戦いで相応の損傷は受けましたし、物資も消費しています。それに対して残る敵艦隊は全くの無傷な上、我々が先に撃破した二個艦隊の残存艦も合流しているでしょう。圧倒的な優勢が保証された訳ではありません。万全を期すなら当初の作戦通りこの辺りが潮時でしょう。元々二個艦隊で三個艦隊を迎撃するだけでも普通に考えれば無理な事なのです」
それにせっかくのこの不毛な星の取り合いの一つを終わらせられる機会を失いたくない———とまではさすがに言えなかった。
「准将、さすがに少し消極的過ぎるのではないか。我が第三艦隊も第五艦隊も連戦連勝で意気が上がっている。逆に敵は味方を失い消沈しているだろう。勝ちつつある我々がここで退くのは道理に外れるように思うのだが」
普段は徹底してショウの作戦を認め、それをそのまま忠実に実行に移す事だけに徹してきたメローが、この時は彼に反論した。
二度の勝利の感覚が彼を酔わせて強気にさせていたのかも知れず、目の前に見える歴史的大勝利と言う偉業に目がくらんでいたのかも知れない。
そしてあるいは、間もなく退役する事を表明しているショウを前にして、彼無しでも自分はやれると言う所を見せたいと言う単純な対抗心が働いたのかも知れなかった。
「兵の士気が高まっているのは確かです。それは喜ばしい事でしょう。しかし同時に我々指揮官に勝利に浮かれ、敵を侮る心理が生まれてしまっては非常に危険です。敵が消沈していると言うのも希望的観測に過ぎません」
上官の慢心を真っ向から諫めた訳で、大変失礼な発言だったかもしれない。
メローはさすがに一瞬不快そうな表情を見せたが、それでも声を荒げるような真似はしなかった。内心はどうあれ、その辺りの自己コントロールの上手さが、彼の美点であった。
「そうか、君はいつも通り慎重だな」
「恐縮です」
「君の意見は参考にさせてもらう。もう一度ベロノソフ中将と協議しよう」
これはダメだな、とそのメローの返答の口調からショウは悟った。ベロノソフ中将はかなり積極的なようだし、恐らくメローもその意見に引っ張られるだろう。
反対して下さいね、と敢えて念押しするような事はショウはしなかった。実際に残存戦力を見れば連盟側が優勢なのは確かであり、その状況でこれ以上攻撃を控えるように進言するだけの明確な根拠がある訳ではない。
それに、言うだけの事は言ったのだ。それを聞き入れるかどうかはもうメローの問題であり、本来ショウにどうにか出来る事では無いはずだった———今まではほとんど100%進言が通って来ただけで。
自席に戻ると、ロベルティナ・アンブリスとジェームズ・クウォークの二人から通信が入ってくる。
「先輩!やったっスよ!私やってやったっスよ!来た見た勝ったって奴っスよ!見ててくれたっスか!?」
まるで主人を相手に芸を見せて褒めてもらおうとする犬のような勢いでロベルティナが迫ってくる。
「見てた見てた」
ショウは投げやりに答えた。実際、攻勢に限った話であれば、彼女の勇猛さと動物的な勘から生成される戦術指揮能力にはショウも一定以上の評価を下しているのだが、今は彼女が何だかこの宙域の連盟艦隊全てに漂う楽観的空気と前のめりの積極性を体現しているように思えてしまい、手放しで褒める気にはならない。
「何か気になる事が?」
ショウのそんな反応に気付かず、一人で盛り上がっているロベルティナを他所に、ジェームズが怪訝そうな顔で尋ねて来た。
「恐らく当初の作戦を変更してこのまま残る帝国の艦隊にも攻撃を仕掛ける事になるだろう。それがどうにも気に喰わなくてね」
「えー、いいじゃないっスか。このまま残る敵艦隊もコテンパンにしてやりましょうよ。どーせ楽勝っスよ」
「なるほど、全軍がこのロベルティナのような浮かれぶりで、その空気に合わせて作戦を変え、勢いだけで戦おうとしている。そこが引っ掛かっているのですね、先輩は」
ジェームズの方はある程度ショウの危惧を理解したようだった。
そっちの方向にロベルティナの顔があるのが分かっているかのように、画面の中で彼女の方を指さしながらそう言う。
「まあ、そう言う事だね」
こちらが本当は惑星上にはいない、と言う事から始まった戦いだった。もうそれから随分と時間が経ち、敵は当の昔に心理的動揺からは脱しているだろう。
残った敵の艦隊にその意思と能力があれば、こちらからの更なる攻勢を予測し、それに備えるだけの時間は十分にあった。
戦争において心理的効果は絶大な効果を持たすことがあるが、同時にどんな奇抜な作戦によって生じた心理的効果であっても、時間が経てば経つほど薄れてしまうのだ。
万全の体制を整えているかも知れない敵に、兵だけでなく指揮官までもが浮ついた状態で挑む……これはひょっとしたらかなり危ない事になるかも知れないぞ、とショウは思っていた。
「今度はこちらが、何て事にならなきゃいいが」
「指さすんじゃないっスよ!」とジェームズに噛み付くロベルティナと、それを適当になだめながら考え込むジェームズを交互に見やりながら、ショウは独り言ちた。
二十分後、作戦続行の通達が全艦隊に出された。
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