第六十八話 大帝アルフォンスを思い出せ

「い、いやいや、どっかの原潜じゃあるまいしそんな事出来るんですか!?仮に出来たとしても、下手すれば二つに分かれた銀河が三つに分かれて、ますます混乱するだけになるんじゃ……」


「無論簡単な事じゃない。リスクも大きい。しかし武力統一が現実的に不可能ならこれがベターな手だと思う。現状、エーベルス伯に妥協を求めるにも最善の手だろう。もっとも彼女が連盟の打倒にこだわる理由の根幹が本当に平和の達成だとしたら、だけどね」


 先生が目を細めて言う。


「でも、三星系合わせても人口は二十億。せいぜい宇宙の人口の2.5%ですよ。そんな勢力で独立なんて出来るんですか?」


「君が自分で言っていただろう。戦争が起こる原因は恐怖、名誉、利益の三つだよ。逆に言えば相手にとって何が恐怖で、何が名誉で、何が利益かを理解した上で国を作れば戦争は防げる。全く、トゥキディデスは偉大かな」


「先生、トゥキディデス好きなんですか」


「戦略論から孫子、トゥキディデス、クラウゼヴィッツの三人が語った事を取り除いてしまえば恐らくほとんど何も残らないが、さらに三人の中で誰か一人選べと言われたら私はトゥキディデスかな。好みの問題に過ぎないし、彼らは三者三様過ぎて優劣など付けられない、と言うのが本当は正解だろうが」


 ちなみに三人の中だと私が一番好きなのは孫子だ。


「それで、具体的にはどうやって連盟と帝国の双方に攻められない国にするんです?」


「まず軍事力。決して単体では連盟と帝国の脅威にならず、同時にもし攻め込んで残ったどちらかと手を組まれた場合、無視出来ないだけのぎりぎりの戦力を有する。まあ、勢力均衡策の基本だな。この軍事力は将来的にはさておき、当座は君の艦隊が軸になるしかないし、それで十分だろう」


「でもその場合、帝国からその分艦隊が抜ける訳で……」


「そうだ。帳尻が合うように少なくともその分は連盟宇宙艦隊を叩かなくてはいけない」


 まあ、それぐらいは仕方ないかな。


「けど、軍事的均衡だけじゃ独立は保てませんよ。その理屈じゃ、もし帝国か連盟に政変が起きて出兵する事が困難になるような混乱が起きれば、すぐにもう片方の側が攻め込んできます」


「そうだね。なので独立した三星系に攻め込む事がそもそも利益にならない状況を作る事によって安全保障を強化する。逆に言えば攻め込む事で帝国も連盟も大きな経済的損害を被る事を容易に予測できるような国家にする」


「どうやって?」


「ツェトデーエフ三星系の最大の価値は、帝国と連盟を繋ぐエーテル航路が全てこの三星系で集中して交わっている事だ。もし三星系がどちらかの帰属ではなく中立国家になったらどうなる?」


「……交易!」


 帝国と連盟は公的には断交しているため、一切の民間交流は行われていない。

 エーテル航行の監視は容易なため、密貿易は非情に難しいはずだが、それでも毎年相当量の密輸品が帝国内で摘発されるほど、両国間の交易は商人にとって魅力的だ。


 もし中立国を通して正式に交易が出来るようになれば……


「ああ。出来る事なら帝国連盟間で商売をしたいと思っている企業は両国で数えきれないだろう。恐らく銀河の経済を一変させるほどの金と物が三星系で行き交う事になる。三星系の中立化と言う状態が一度莫大な利益を生むようになれば、帝国も連盟もそれを崩す事は難しくなる。大企業グループの意向を完全に無視して戦争を行う事は連盟はもちろん、帝国でも難しいし、何よりそうやって生まれる利益は両国の権力者、そして民衆達をも潤すからだ」


「だけど、今両国の経済は常態化した戦争での軍需を中心に回っているはずです。それが戦争から和平へ、軍需から民需の交易へと転換するのに抵抗は起きないでしょうか?」


「起きる、だろうな。両国の財界を説得するかねじ伏せるか。そこはもう私の領分じゃない。商業と経済の専門家を協力者にすべきだろう。ただ、一度これが実現すれば三星系の独立はかなり強固な物になる。戦争には金銭のため、と言う側面も全てではないにせよ確かにあるが、逆に言えば戦争をしない事が金銭を生み出すのなら、それ自体が強力な抑止力になるんだ。ついでに言えば軽く通行税を取るだけでも、三星系の防衛戦力を維持するのに十分な収入になるだろうしな」


「でも、それで数字上の均衡や利害はカバー出来ても、両国の感情……つまり名誉は収まるでしょうか?数百年そこを巡って数えきれないような死者を出して争っていた場所が独立国になるんですよ?最悪、理性的な判断を失った両国に同時に攻められる、と言う事になるんじゃ?」


「そこが一番難しい所ではあるな。ただ、人間も国家も概ね『自分が損するのはまだ我慢できるが、相手が得するのは耐え難い』と言う傾向を持っている。これが一番両者が頷く可能性の高い図だとは思うよ。無論通すためには様々な工作と交渉は必要だが」


「独立のための大義名分は?帝国と連盟を講和させるため、と言う訳には行かないでしょう」


「連盟は原則から言えばそれ自体は主権国家ではなく、あくまで独立した星系国家間の間で組まれた安全保障と経済協力のための組織機構に過ぎず、その加盟と脱退も本来はそれぞれの星系国家の自主性に委ねられる。ツェトデーエフ三星系は独裁国家からの民衆の保護と言う名目で連盟が奪取し、そのまま帝国への防波堤にするために特別保護領として数百年占領下に置かれているが、それは連盟の原則から言えば異常な状態なんだ。そして皮肉な事だが、その異常さを解消するために連盟の原則に基づいて独立を与えれば、同時に三星系に自分達の意思で帝国に戻る選択肢を与えてしまう。帝国の建国初期に、帝国に隣接していた星系がこぞって自ら編入されていったトラウマだな。そして実情はどうあれ、その倫理的な問題点に疑問を呈する政治家や市民団体は連盟の中にも少なくない」


「連盟の方の建前はそれで良くても帝国の方は?専制国家である帝国には領土に完全な独立を認める原則なんてありませんよ。属国としての独立じゃ最初から帝国よりになってしまって、意味がありませんし」


「なあヒルト。数百年前に曲がりなりにも民主国家の連盟に占領されて、それなりの自治権を与えられて、ただ『万が一にも選挙で帝国への帰属派が勝ったら困る』なんて理由で独立だけは与えられていなかった三星系が今更帝国に再編入されて、住民が幸せになると思うかい?」


「無理ですね」


 私は断言した。


「帝国は犠牲を払ってでも生まれ変わらなくてはいけない。いや、今こそ思い出さなくてはいけないんだ。この国の始まりは民衆に望まれて生まれた専制君主国家だったと言う事を。そしてその初代皇帝は完全ではなかったにせよ、かなり上手く民衆の望みに答えて見せたと言う事を。彼なら、三星系の住民だけでなく、帝国と連盟、双方に住む全ての人間のためだと堂々と言い切って、誰にも反対させずに三星系を独立させただろう」


 先生はこの人らしくなく、どこか感傷的な口調で言った。


「大帝アルフォンスの再来と言えるだけのカリスマと実力を持った指導者にこの戦略を実行させろ。そして彼の事を本当の意味で帝国に思い出させろ。君の目標を実現させるにはそれしかない、と思う」


「……先生は、人間の本質は善良だと思っていますか?つまり最後は人間の善性を信じて戦争を止めようとする事が正しいと思っていますか?」


「かつて自分達の権益を守るために独立運動を武力弾圧しようとした地球政府の政治家や軍人や彼らを無言の内に支持した民衆は悪人だったのかも知れない。それから数百年の間、明確な戦略も政策も無しに、ただ既得権益を守るためや個人的栄達のために戦争を続けた帝国と連盟双方の軍人達や、それを止める事が出来なかった民衆達も、悪人なのかもしれない。だが、彼ら彼女らは自分達が悪人だったからと言う理由で戦争を起こした訳でも戦争を止めなかった訳でも無いんだ。悪人であっても、戦争をする理由が無くなれば戦争を止める。そう信じられれば、それで、十分だよ」


 そう答える先生の顔は、どこか儚く、物悲しげに見えた。


 人間の醜さも愚かさも弱さも、嫌になるぐらいにはっきり見えて分かってしまうほどに頭がいい、と言うのはとても辛い事なのかもしれない。

 私は、そんな人に銀河中の全ての人間と向き合うような役割を求めたのだ。


「先生」


「何だ?」


「先生が私の味方になってくれて、本当に良かったです」


「おいおい、そんな風に感謝するのは上手く行ってからにしろ。成功すれば色々解決だが、失敗すれば目も当てられない結果になるんだからな」


 先生はすぐにいつも通りの軽薄な口調で肩を竦める。


「帝国と連盟と言う勢力に二分された銀河は、今度は三つに分けられる事になった。三国時代の始まりである、ですか」


 私も冗談で返した……いや、あながち冗談じゃないかもしれないけど。


「銀河三分の計、とか思ってても言うなよ。恥ずかしいからな」


「私が真っ先に思い付いてそれでも口に出さなかった言葉を……」


 私が吹き出し、それに釣られたように先生も笑う。

 もうその表情には、私が感じた不吉な印象など、どこにも宿ってはいなかった。

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