第二話 ハーゲンベック侯爵領討伐戦
確か今は帝国歴三四〇の二月。
半年の簡易教育課程を修了したヒルトはさらに簡単な高級士官試験をクリアし、いきなり大佐として戦艦の艦長になった後、たった一ヵ月で准将に昇進し、父親のハンス・フォン・マールバッハ上級大将が司令官を務める叛乱討伐軍の一角に加わっていた。
叛乱を起こしたのはこれも帝国の大貴族であるハーゲンベック侯爵。
宮廷内で政敵と口論になり、それがヒートアップしてうっかり相手を階段から突き落として死なせてしまった挙句、皇帝の沙汰を待たずに自領の星系に逃げて兵を挙げたと言う極めてしょーもない理由の叛乱だったが、それがどんな理由であれ戦争を起こせ、それに数万単位で平民の命を費やせるのが貴族社会の恐ろしい所である。
帝国宇宙軍が擁する戦闘用艦艇の総数は約四万隻。一個戦略機動艦隊は千五百隻から二千隻で構成されている。
そしてヒルト……つまり私はその内百隻の指揮を任される任務部隊司令として旗艦である戦艦「メーヴェ」の艦橋にいる。
十八歳の実戦経験どころか正規の士官学校も出ていない小娘に百隻の船とそれに乗る六万人を超える人間の命を任せるのだから何かもう無茶苦茶だが、ヒルトは本人が望めばその程度の我儘が簡単に通る身分で、そして神聖ルッジイタ帝国と言うのは残念ながらそんな人事がまかり通ってしまう国家のようだ。
もちろん誰もヒルトの指揮能力などはあてにしておらず、小規模な叛乱討伐の戦の後方に配置して、危険な実戦には参加させないまま、勝ち戦の指揮官と言う華やかな軍歴を与えてやろう、と言うハンスパパの親心が透けて見えている。
実際、ディスプレイに表示された戦況を見ても自軍は二倍以上の優位を誇っていて、一見すれば後方に配置されたこの任務部隊はこのまま何もしなくても勝てそうだった。
しかし実際にはこの後、帝国軍は後方から敵の別動隊の奇襲を受け、艦隊は大混乱に陥るのである。
「エアハルト、あんた戦況をどう見てる?」
私はなるべくヒルトらしい口調を心がけてそう訊ねた。
「はっ……」
ストレートな私の問いに、エアハルトは一瞬驚いたような表情を見せた。この傲慢で尊大な令嬢が、自分から意見を求めて来る事があるとは思っていなかったらしい。
「我が方の正面戦力二千隻に対し敵軍のハーゲンベック侯爵艦隊は八百隻で、数の上では現状相当な優位であります。このまま戦いが推移するならまず我が方の勝利は間違いありません」
「このまま、と言ったわね。そうでない可能性があるのかしら」
重ねて訊ねた私にエアハルトは一度息を吐いた。
「ハーゲンベック侯爵の保有する艦隊は全千隻ほどと予想されています、数が合いません。またこの宙域の近辺はデブリや暗礁地帯が点在しており、地理に不慣れな我が方は索敵に不利です」
「つまり、敵の別動隊が存在してこの宙域のどこかにあらかじめ潜んでいる。そしてそれがどこかのタイミングで奇襲を仕掛けてくる。その可能性があると言う事ね」
「はい」
「敵が狙って来るとしたら?」
「後方しか無いでしょう。隙の多い我が艦隊の後方を突破して陣形の中に入り込めば、我が方は同士討ちを恐れて効果的な迎撃が出来ません。そのまま艦隊中枢まで達する事も可能になります」
「概ね私と同じ見方ね」
私の同意にエアハルトはわずかに驚嘆の息を漏らした。
お世辞にもここまでの軍事教育も軍務も真面目にこなして来たとは言い難い世間知らずの令嬢がこんな切れ者みたいな事を急に言い出したらそりゃ驚くだろう。
「で、そこまで分かっててどうして今まで私に何も言わなかったのかしら?」
ちょっとだけ悪戯心に囚われて私はそう訊ねた。
「それは」
ここで初めてエアハルトは返答に困ったような表情を見せた。わずかに目が泳ぐ。
「ごめんごめん。理由は分かってるわよ。一つ目、今の所確たる根拠がない。二つ目、確たる根拠が無いまま私に忠告した所で聞く耳を持つとは思えない。そして三つ目」
私は3Dディスプレイを指で、撫で、やはり若干てこずりながらその縮尺を切り替える。
縮尺を大きくすると、味方の艦隊の後方にさらに五百隻ほどの艦隊が映る。
手柄を立てさせないために後詰と言う名目で大きく後ろに下げられた友軍の分艦隊だった。
「仮に危惧が正しかった所で、後方に後詰として待機している味方がフォローしてくれる……あのエーベルス提督が味方の弱点に気付いて備えていないはずがない。違うかしら?」
「その通りです」
脱帽したようにエアハルトは頭を下げた。
クレメンティーネ・フォン・エーベルス。
恐らく……いや、まず間違いなくロスヴァイゼが言っていた二人の天才の内の片割れ。
先帝の落胤で十二歳まで庶民として育ったが、先帝の崩御の直前に認知された事で突然に帝室の一員となり、それに留まらず次は軍人としての道を進むと短期間で数々の武勲を重ね、帝国歴三百四十年の時点で十八歳の若き伯爵にして少将として宇宙艦隊を率いている戦争の天才。
その勢いはこの先も留まる事は無く、この時代、帝国で英雄と言えば彼女を指す。
ヒルトにとっては突然現れて自分の帝位継承権も軍人としての階級も追い抜いて行ったライバルであり、卑しい身分の女から生まれたいけ好かない成り上がりであり、あらゆる面で彼女の自尊心を傷付ける憎悪の対象。
ヒルトがその短い人生の最後の数年で行う数々の暴挙のほとんどは、彼女に対する嫉妬と対抗心が根底にあると言っていい。
もちろん才能は微塵も及んでいなかったのでせいぜい足を引っ張るぐらいしか出来なかったのだが、それにしたってクレメンティーネの方からしても「頼むからはよ死ね」と思われてそうなぐらい、酷い事をたくさんした。
ただ幸いにも、今の時点では二人にはほとんど直接的な面識はない。
エアハルトのような身近な人間はヒルトがクレメンティーネの事を快く思っていないのは知っているだろうが、それでも表立って彼女の事を中傷した事もまだない。
ここでクレメンティーネに救われ、その事でプライドを傷つけられたヒルトが逆に彼女に敵意を抱くのが本格的な敵対の始まりだった。
助けられておいて逆恨みするのだからほんまにロクでもない女の子である。
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