第六十三話 私が私には幸せになる権利があると思えたなら
「大抵の事では平静を失わない自信があったのだが、全く本当の危機は完全に予想外の所から来るから本当の危機なのだ、とは良く言った物だ」
消えたロスヴァイゼの方を見ながらカシーク提督が呟いた。
「こちらの男はどうしましょうか、ヒルト様。罪状としては暗殺未遂、と言う事になりますが」
エアハルトが気を失ったままのミクラーシュを拘束しながら言う。
「取り敢えず事情は聞きたいし、憲兵に突き出すのはやめてウチの家で個人的に捕まえておきましょう。何か憑りつかれてたみたいだし、本人の意思で襲って来たんじゃないかもしれないしね」
そう言いながら私はミクラーシュのステを再確認する。
統率57 戦略24 政治19
運営25 情報83 機動5
攻撃7 防御17 陸戦80
空戦7 白兵95 魅力15
素でも普通に強いな。
白兵が下がってるのは当然として……他の能力には変化は無さそう。
魅力15は素だったのか……
「さて、女神のせいで傷は治ったが車は派手に壊れてしまったし、公爵令嬢が突然泣いて逃げ出した事実は変わらぬし……どう取り繕いましょうかな」
カシーク提督がだいたいロスヴァイゼのせいで無残な事になった自分のエアカーを見やった。
「えーっと……」
「ま、公爵令嬢に関してはベルガー少佐が浮気していたと勝手に勘違いしていたのが解消して恥ずかしさでいても立ってもいられず逃げだしたとか、そんな風に適当に誤魔化しておくとして」
待てや、と言いたいが七割当たってるんだよなあ……
「ひとまず二人は落ち着ける所に行かれると良いでしょう。俺やあの女神がいる前では出来ぬ話もあったでしょうからな。この男は後で責任を持ってマールバッハ貴族屋敷にでも送り届けますよ」
「カシーク提督も……ありがとう、ございます……この御礼は、また改めて必ず」
やっぱり、とてもいい人だった。
……いや、無条件に誰にでも優しくしてくれる人では無いのは前世で顔を合わす度に激しくやり合ったから良く知っているんだけど。
誠実さには誠実さで、勇気には勇気で、悪意には悪意で、卑劣さには卑劣さで応じるような人なのだろう。
悪意や卑劣さには特に三倍返ししてくるけど。
私とエアハルトはその場の事を全てカシーク提督に丸投げし、一旦二人でそこを離れる事にした。
私の携帯端末にはエウフェミア先生からの通知が連打されているが、それも「心配しないで下さい」と返信するだけで後は放置する。
今の私にはエアハルトとの間で決着をつけなくてはいけない事があった。
無言のまま従うエアハルトと共に私はしばらく歩き続ける。
かつての私は、自分の足で街中を歩くなどと言う事は決してしなかった。
ヒルトとしての自分を自覚した今でも、そんな自分の変化を疎ましく思う事は無い。
どうやら私は本当の所は、貴族としての贅沢で不自由のない生き方より、どこにでもいる少し豊かなそれでも節度ある庶民として生き方の方が好きだったらしい。
そのまま黒鷲宮が見下ろせる位置にある高台へと移動した。帝都中心部の美しい景色が一望できる。
大帝アルフォンスが黒鷲宮の建設地を決めた時、廷臣達は皇帝の居城を大衆から見下ろせる位置に建てる事に激しく反対したが、アルフォンスは「わざわざ多大な公費を使って実用性に乏しい建物を作ろうと言うんだ。せめて観光名所にでもならなきゃ後世の笑い物だよ」と一笑に付したと言いう。
ただのヒルトラウト・マールバッハであった頃の私は、その逸話に込められたアルフォンスの意図を理解する事は全く出来なかった。日高かなみであった時の私も、ただアルフォンスは皇帝と言う地位に似つかわしくない謙虚な人物であったのだろう、と思っただけだった。
今なら、もう少しアルフォンスが頻繁に見せたリベラルさの真意が分かる気がする。
アルフォンスは多分怖かったのだ。ごく普通に人々を見下ろせる場所に自分が居続ける事で、いつか自分も変わってしまう事が。
アルフォンス自身は恐らく政治的野心などは乏しく、ただ本当に必要に駆られて独裁者になっただけだったけど、それでも絶対的な権力と地位と言う物がどれだけ人を腐敗させるかを歴史から良く学んでいた彼は、あらゆる機会で自戒する事でそれを防ごうとしていたのだろう。
私自身、それでかつてはどうしようもなく腐敗していたのだからこそ、その恐ろしさが良く分かる。
私は高台のさらに一番高くなった所で足を止めた。近くにはベンチもあるが、座る事はしない。
「エアハルト、今からもう一度、私がどんな人間だったか今度は詳しく話すわ」
私はエアハルトと向き合うとそう切り出した。
「はい」
それから私は、かつて自分が犯してきた数々の過ちを語り始めた。
エウフェミア先生を処刑した事やエアハルトやコルネリアを間接的にとは言え殺した事、自領の民衆を虐殺する命令を出した事などを語るのはやはり胸が締め付けられる思いがしたが、それでもどうにかもう泣き出す事は無く、はっきりした言葉で詳しく語れた。
エアハルトは途中で言葉を挟む事無く黙って聞いている———さすがにコルネリアが彼の妹だと言う事を伝えた時は表情が動いたが。
話し終えた後、私は一度エアハルトから視線を外し、空を見上げた。
ルッジイタを照らす恒星であるキルギスからの日光は生物の生存にはやや強いため、ルッジイタは地球と比べてかなり分厚い大気層によって守られている。
そのためなのか、ルッジイタの空は地球の空と比べてさらに青く見えた。
「自分がやった事の酷さも重さも良く分かっているつもり。だけど私はもうそれに付いて嘆いたりしないわ。終わってしまった事は仕方が無くて、今はその罪を償うために私に何が出来るかを考える時だから。私が敢えてこんな話をしたのは、私がこれだけの事をやるような人間だと知った上で、それでもあんたが私に忠誠を尽くしてくれるか、もう一度聞きたかったから」
「当然です」
エアハルトは即答した。
「どうして?今の話で分かったでしょ?私は本当は最低の人間よ。エアハルトは相手が公爵令嬢だからって無条件で信奉するようなバカな人間じゃないでしょ?それにエアハルトの才幹なら、ティーネやカシーク提督の所に行ったって十分にやっていける。ううん、誰の下でも無く、一人の軍人として立とうとしても、多分エアハルトなら頂点に近い所に手が届く。それなのに、何で私なんかにこだわるの?君君たらざるとも臣臣たらざるべからず、なんて奴隷根性だったらさっさと捨てて欲しい」
「……非礼を承知でお話しします」
エアハルトが今度は少し間を置いてから口を開いた。
「十年前のあの日、行く当てもなく路傍に倒れていた私に手を差し出してくださったあの時から、私にとってヒルト様は唯一絶対の主です。何があろうともあなたの側にあって尽くし続ける、と私は心に決めています。それは純粋な忠誠心や恩義ではなく、私自身の勝手な私利私欲です」
「えっと、つまり?」
「あの日出会った時、私にはヒルト様の事は天使のように思えました。その天使に私はずっと恋焦がれています」
エアハルトは顔を耳まで真っ赤にしながらそう答えた。
「……もっと早く言いなさいよ、バーカ」
私は———
もう泣かないと誓ったはずなのに、たちまち溢れて来そうになる涙をぐっとこらえた。
「申し訳ありません。臣下の身で許されざる想いでしたので」
「……性格の悪い女だなあ、って思わなかったの?」
「本当は心優しい方だと信じていました。まあ、たまに疑いましたが、それでもどうやら間違っていなかったようです。ギリギリで」
「こいつ」
人を見る目があるんだかないんだか。
私は、意図的にそれ以上の自分の感情の高まりを抑えた。
そうしないと、本当にここで満足して立ち止まってしまいそうだ。
「……そう言う事なら、もう謝らないわ。お礼も言わない。惚れられた強みに付け込んでこの先も使い倒してあげる」
「はい」
「その代わり……もし、この先、私が私を許せたなら、私が私には幸せになる権利があると思えたなら……その時にはあんたに私を幸せにする権利を上げる」
「……」
「返事は?」
そう言って私は手を差し出す。
エアハルトは黙って私の手を取り、跪いた。
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