第六十二話 ”ありがとう”

 意識が現世に戻ると、目の前にはそのままロスヴァイゼがおり、エアハルトとカシーク提督の立ち位置も変わっていなかった。


 どうやら現実世界で経った時間は一瞬だったらしい。


「しかし何なんだったんだ、この化け物は……俺は左腕だけで済んだが、ベルガー少佐は中々酷そうだな。あまり動くな。内臓を痛めているかも知れん。と言うか寝た方がいい」


 カシーク提督がエアハルトとミクラーシュを交互に見やりながら言った。

 エアハルトは相変わらず立ったまま私を守る姿勢を取っているが、無理をしているのが一目で見て取れた。


「エアハルト……それにカシーク提督も、ごめんなさい」


 エアハルトは言わずもがな、カシーク提督の方も身を挺して私を庇ってくれたせいで大怪我をさせてしまった。

 前世では終始対立してて全くいいイメージは無かったけど、味方側になると物凄くいい人だった。


「ほれ、さっさと見せろ。サービスで治してやるわい」


 ロスヴァイゼが面倒くさそうに二人の前に立った。


「治せるんですか?」


「貴様、女神を舐め過ぎでないかのう……」


だって完全に戦闘要員のステータスしてるから……いやそうじゃない。


「な、治せるんなら是非お願いします」


 私は慌てて頭を下げた。

 うむ、とロスヴァイゼが鷹揚に頷き、戸惑っている二人に対して手をかざす。


 ロスヴァイゼの手が柔らかく暖かな光を放ち、二人がそれぞれ驚愕の声を上げた。

 小さい物も含め、傷は一瞬で治ったようだ。


「ヒルト様、いったいこの方は何者なのです?」


「女神、とか言っていたが」


 エアハルトとカシーク提督がそれぞれ私とロスヴァイゼを交互に見る。


「えーっと……色々話しても?」


 私はロスヴァイゼに確認を取った。


「さすがに誤魔化しようが無いしのう。敵の存在も考えると妾の存在が多くの人間に知られるような事態は勘弁じゃが、貴様が信用出来る人間に話す程度なら良かろうよ」


「分かりました。じゃあ……」


 エアハルトはまだしも明確のティーネの部下であるカシーク提督に全て打ち明けてしまって大丈夫だろうか、と思わない事も無かったが、もうしょうがない。


 私はここまでの事情を一から二人に説明した……ただし私が他人の能力が見える事と、具体的な未来に起こる出来事に関しては伏せたまま。

 この二つの関しては私の切り札みたいなものだ。


「なるほど」


 話を聞き終えたカシーク提督が頷く。


「道理である日突然、人が変わられたようだ、と思いましたよ」


 エアハルトも驚いたどころかむしろ納得したような様子だった。


「あ、二人ともすんなり信じてくれるんだ……」


「どれだけ常識から外れているように思えても、目の前で起きた事を否定するほど頑迷ではないつもりですからな」


 カシーク提督が澄ました表情で答えた。


「とにかくロスヴァイゼ様は色々な意味で私とヒルト様の恩人であるようですね。ありがとうございます」


 エアハルトは素直にロスヴァイゼに頭を下げる。


「うむ、素直で良いのう」


 ロスヴァイゼが満足そうにうなずいた。


「しかし今の話の通りだとすると、五年後にこの男に憑りついていた『敵』の本隊が責めてくる訳ですか」


 カシーク提督が倒れたままのミクラーシュを見下ろす。


「この男は私の前世では今統合参謀総監部にいるイェレミアス・フォン・フレンツェン大佐の部下でした。ひょっとしたら『敵』の尖兵として帝国軍内にすでにある程度の勢力が潜入して暗躍しているのかも知れません」


 私はエウフェミア先生が分析していた事を思い出していた。


 フレンツェンも『敵』の尖兵だとして、その目的が帝国内で内乱を起こして帝国、ひいては人類を事前に弱体化させる事だとしたら、辻褄は合う。

 前世の私はそれに踊らされていたのかも知れない。


「それは、中々ぞっとしない話で」


 カシーク提督が肩を竦める。


「カシーク提督、私は出来る限り帝国と連盟、双方の犠牲を抑えたままそれを迎え撃てる態勢を作る事を目標にしています。どうせ信じてもらえないと思って今まで誰にも話していませんでしたが、知ってしまったからには協力して頂けませんか?」


「今は返答いたしかねますな」


 カシーク提督は首を横に振った。


「どうしてです?」


「俺は個人的にすでにティーネ様に忠誠を誓った身です。その俺が事情はどうあれティーネ様が知らぬ内にあなたの味方となればそれは背信になるでしょう」


 カシーク提督の返答はシンプルだった。


「なるほど」


「いっそここに他の皆を呼んで全て話してしまいますか?」


「……いえ、それはまだ、やめておきます」


 私は首を横に振った。


 エウフェミア先生はともかく、ティーネ達に全ての事情を話すのがいい事なのかどうかまだ分からなかった。

 このミクラーシュのような『敵』の尖兵がどこに潜んでいるか分からないし……それにいつまでティーネと手を携えていられるか分からない。


 自分がヒルトである事を思い出したからと言ってティーネへの敵愾心が復活したりはしなかったが、ティーネに対して感じる微妙な危うさのような感覚はそれとは別だった。


「でしたら今回の事は俺の胸の内にひとまず留め置きますよ……公爵令嬢が知っている未来とやらについて具体的に尋ねるのも、今はやめておきましょう」


 カシーク提督はすんなりと頷いてくれた。


「ありがとうございます……」


 今はティーネ達と完全な同盟関係にはなれない、と言う私の事情を理解してくれたらしい。


「下手な踏み込み方をしてまたこんな化け物に襲われるような羽目になっても困りますしな」


 そう言うカシーク提督の目は笑っていなかった。

 さすがに結構怖かったのかも知れない。


「確かに……次にこんなのに襲われたらどうしたらいいんです?ロスヴァイゼ」


「次は自力でどうにかせえ、と言いたいがのう……」


 ロスヴァイゼがしばらく首をひねった後、両手を胸の前で広げて向かい合わせ、気合と共に勢いよく手を合わせた。

 手を広げた時には、金細工の小さな髪飾りが出来ている。


「妾がこの世界に干渉するのは色々制限があってのう。毎度毎度助けてやる訳には行かんから次はこれで何とかせえ。妾の力を込めてある」


「これは?」


「貴様がこれを付けてさっき妾がやったように当身をすれば人間に憑りついている奴を追い出せるはずだ。まああんまり多用すると多分貴様への負担も大きいがな」


 当身って言っちゃったよこの女神。


「さっきみたいな相手に私が攻撃当てるってかなり難しそうなんですけど」


「そこはもう周りの人間の力でどうにかせえ。強いと言っても所詮人間の延長。何とかなろう」


 なるかなあ……


「負担もあるなら私が使う訳には行きませんか?」


 エアハルトが尋ねる。


「残念だが今妾が強く干渉出来るのはこの娘を通してのみでな。他の物が使えるアーティファクトを作る事が出来ん」


 ロスヴァイゼが首を横に振る。


「そうですか……」


 エアハルトが無念そうな声を出した。


「でも、とにかくありがとうございます……これの事だけじゃなくて、本当に、色々と……」


 私がそう言って髪飾りを受け取ると、同時にロスヴァイゼの体がまるで画像がブレるように歪み、不安定な物になった。


「ロスヴァイゼ?」


「む……そろそろ干渉が限界か……まあ相当派手にやったしの……しばらくは呼ばれても返事すら出来んと思うが、その間に死ぬなよ、ヒルト」


 ロスヴァイゼは私をそちらの方の名で呼び、それから私がもう一度御礼を言う暇もなく、まるで陽炎のようにわずかな光だけ残すと消えてしまう。

 その光の残滓も消え去ると、残ったのは彼女から手渡された髪飾りだけだった。


「ありがとう……ございました」


 私はもう一度御礼を言うと、髪飾りを付けた。

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