第六十一話 少女は慈悲深き女神に再び導かれ

「もっと掛かるか、あるいはずっと思い出さぬのではないかと思っていたが、意外とすぐに思い出したな」


「エアハルトが自分を裏切ったと思い込む事で辛うじて悲しみと罪の意識を軽減していたのが、一瞬でひっくり返されましたから。その時のショックは、とても『他人の記憶』の物じゃありませんでした」


「なるほどな」


 ロスヴァイゼが鷹揚に頷く。


「でも、どうしてこんな事を?」


「別に目的は最初に話した通り、この世界の人間を救う事で違いないわい。ただ、貴様をそのままやり直させてもどっち道ダメそうな気しかしなかったからのう。自分が選ばれた特別な人間だ、と言う凝り固まった思い込みを消して真っ当な人間にするには、一から別の真っ当な庶民の家庭に育てさせるのが良かろうと思ってな。中々貴様に会う転生先が見付からず、とんでもない過去の時代になってしまったが」


「どうして最初に教えてくれなかったんです?」


「本来なら何十年も日高かなみとしての人生を歩ませて貴様がどう言った人間になるか見定めてから送り出すはずが、不慮の事故で突然死んだからのう。貴様がヒルトラウト・マールバッハとしてのアイデンティティを取り戻した時、どんな人間になるか不安だったのだよ。ずっと思い出さぬならそれはそれで良かった」


「……そんな風に不安視されても仕方ない人間ですからね、本当の私は」


 ヒルトの記憶を自分の物だと認識した時、襲って来た罪悪感と後悔、自己嫌悪は生半可な物では無かった。

 どれだけ酷い所業でも所詮他人事、と思い込んでいただけに猶更だ。


 一体自分の傲慢さのせいでどれだけの無駄な血が流れたのか。


「ま、思っていたよりは貴様も後悔はしていたようだな。記憶は無くとも日高かなみとしての人間性に若干、影響が出る程度には」


「私が物心付いた時からどうしてだか軍事史や戦略論に興味を持っていたのも、そのせいだったんですね。今なら、分かります」


「それだけ前世の自分の無知ぶりを最後には嘆いていた、と言う事であろうな」


「けど、どうして私だったんです?例えばティーネとかカシーク提督とか連盟のカズサワ提督みたいなもっと凄い人に『真の危機』の事を伝えてやり直しをさせた方が良かったんじゃ?」


「元々90点を出せる人間が100点を出した所で平均点はさほど上がるまい。それよりは元がマイナス200点の人間が50点になった方がよかろうよ。それぐらい貴様がこの世界に与えた悪影響は大きいからの」


「分かるような分からないような」


「ま、それにどうせ誰にやらせた所で成功する保証など無かったしのう……貴様は確かに愚かな大罪人であったかも知れないが……それでもそこまで魂の腐った人間には見えなかった。一度ぐらいはやり直しの機会を与えてやっても良いかと思った。それもあるかのう」


「……ありがとう、ございます」


 私は心の底から礼を言い、頭を下げた。


 そのおかげで、少なくとも私が勝手にしていたエアハルトへの誤解が解け、彼に謝る事が出来た。

 それだけの事でも、どれだけ感謝してもしたりない。


「フン、礼を言うより先に仕事をしろ。結果を出して罪を償え。従者との誤解が解けたぐらいで満足して腑抜けていたら、それこそ別の人間に交代させるからな。妾が一度に干渉させられる人間は一人だけなのだ」


 ロスヴァイゼの口調には少しだけ照れ隠しの色があった。


「分かってます、よ。私の罪を償うため……そして私の大切な人が生きる世界を守るため、私は戦います」


 仮にそれが出来た所で、私自身に、その世界で生きる資格は無いのかも知れないが。


「……ま、仕事さえしっかりすれば後は貴様がどう生きおうと妾は興味は無い。せいぜい自分で自分を赦せたと思う程度に頑張ってみるのだな」


 私の内心を読み取ったようにロスヴァイゼが肩を竦めた。


「私は、赦されますか」


「貴様に罪を償う事が出来ると思っておらねば、償え償えとくどく言わんわ。そして償うと言う事は、例えどれだけ大きな罪であっても赦されると言う事なのだ。妾が赦すと言っておるのにそれを信じず自己憐憫に浸るのは不敬であろう」


「……」


「それに、貴様がどんな人間であろうとそれを赦し、共に罪を背負って償うとまで言ってくれた者があろう。その者の想いを無碍にするでないわ」


 今度のロスヴァイゼの言葉と表情には、ただの憐れみを超える慈悲がはっきり表れていた。


「……はい」


 堪え切れず、私は俯く。

 こんな私の事でも手を差し伸べ、すくい上げてくれる神様がいたのだ。


「調子に乗るなよ!全ては貴様が罪を償ったらの話であるからな!」


 ロスヴァイゼが頬を赤くして手を無意味に振り回しながら言う。可愛い。


「……良し、だいぶ立ち直ってきました」


 ロスヴァイゼの様子に思わず噴き出した後、私は顔を上げ一度自分の頬を叩いた。


「立ち直り早いのう、貴様。ま、やる気を失っておらぬようで何よりだが」


 彼女の横に、あの時と同じく渦巻く光の縁が現れた。


「いつだって前向きなのが私の取り柄ですから」


 私はあの時と同じようにその光に向かって踏み出した。


 あの時と違い、今度は自分が犯した罪の重さも大きさもはっきり認識しながら。

 それを思えば自分に授けられたチャンスがどれほど寛大な物であるかを噛み締めながら。

 目の前の女神の優しさと慈悲深さに言葉では出来ないほど感謝しながら。


「お父さん、お母さん、改めて先立つ不孝をお許しください。私はきっと、もうそちらの世界には戻りません。だけど、今まで育ててくれてありがとう。ごく普通の、あまり我儘は許されない庶民の子どもとしてしつけてくれてありがとう。真っ当な人の愛し方を教えてくれてありがとう。おかげで私は、大切な人間を、今度はちゃんと愛せそうです」


 その言葉を残して、私は再び光の円をくぐった。

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