第六十話 真実

「……知り合いかな?」


 カシーク提督が呆気にとられたような表情で私に尋ねる。


「えっと、そう……かな。あれより強い知り合いはいないので、呼びました」


 ロスヴァイゼが十メートルはありそうな木の上からふわりと飛び降り、私達を庇うように降り立った。


「……貴様……ただの人間ではないな」


 ロスヴァイゼと相対し、ミクラーシュが初めて構えを取った。


「敵を相手にわざわざ正体を明かしてやる義理は無いのう。妾は本来、伏せ札中の伏せ札であるし」


 それ以上の問答はせず、ミクラーシュは全力でロスヴァイゼに襲い掛かる。

 私の目には追えないような拳と蹴りの連打。


「なるほど、こいつは強いのう」


 しかしそれをロスヴァイゼはゆったりとした動作で踊るようにして次々とかわしている。


 そして流れるような動作でミクラーシュの懐に入り込み、右手を振るう。

 手刀が掠めたミクラーシュの首から鮮血が吹き出した。


 忌まわしげな顔でミクラーシュが首の傷を撫でる。すぐに血は止まったようだ。


「……」


 ミクラーシュは無言でブラスターを抜いた。私達を相手に使わなかったのは素手でも十分と判断したからか。


 そのまま無警告で数発を撃つ。しかしロスヴァイゼはそれを素手で受け止めた。


「拳と拳で語り合おうと言うに無粋な物を持ち出すでないわ」


 さすがに驚愕したミクラーシュに対し、ロスヴァイゼは地響きと共に足を踏み出すと、体当たりするようにして肘を打ち込んだ。


「ハァッ!」


 ……八極拳?


 ミクラーシュの巨体が浮き上がり、数メートル吹っ飛ぶとカシーク提督のエアカーにぶつかり、ドアをぶち抜くと車体の中に突っ込んだ。


「俺の……車……」


 呆然としたカシーク提督の声にわずかに悲哀が混ざった。


 壊れた車体の中から歪んだドアを蹴り飛ばし、ミクラーシュが出て来る。

 相変わらず無表情だったがわずかに焦燥の気配が見える気がした。しかし猛然と走ってくる。


「ふむ、体の構造自体は人間か。しかし先程の物も含めて傷は治っているな。大方憑依した相手の身体能力を限界以上に引き出すと同時に、再生能力を異常に上げる、と言う所かの。これはちと、この世界の人間が携帯出来るような武器で殺すのは少し難しいか。しかも肉体を殺した所で本体は別にいる……もう良い、分かった、十分だ」


 ロスヴァイゼはごく自然な動作でミクラーシュの胸に手を当てると、女神らしくも無い気合の声と共に彼に掌底を打ち込んだ。


 瞬間、凄まじい風が起き、それだけでなく雷光のような光がロスヴァイゼの手から起こってミクラーシュの体を通して、そのまま宙へと流れていくのが見えた。


 私ははっきりと目にした。その光に囚われるようにして、何か言葉にしがたい異様な存在の片鱗が、ミクラーシュの体から追放され、四散するのを。


 そしてそれだけの事で、エアハルトとカシーク提督と言う二人の白兵戦の達人を圧倒し、エアカーに轢かれても十数発のブラスターを受けても平然と戦い続けたミクラーシュは、地に倒れ伏した。


「……死んだのか?」


 カシーク提督が真っ先に声を出す。


「いや、憑いていたものを祓っただけよ。もっともまともに戻っておるかどうかまでは知らんがな」


「エクソシストか何かだったか、君は」


 カシーク提督の声が困惑を通り越して乾き切っていた。


「当たらずとも遠からずかのう」


 二人の会話は、ほとんど私の耳には入って来なかった。

 ひとまず危機が去ると、ぐちゃぐちゃになった感情がまた戻って来ている。


 誰に何を言えばいいか分からず、取り敢えずエアハルトに寄り添ったまま私が口ごもっていると、ロスヴァイゼが私の正面に立ち、微笑むと視線を合わせて来る。


 一瞬意識が途絶え、そして私はあの白い空間にいた。


 周りは白く輝くだけで、前後左右上下どこを見回しても壁も天井も床も何も無い世界。

 そして目の前にはロスヴァイゼ一人がいる。


「こうして話すのは数か月ぶりかのう」


「……ええ、そうです、ね」


「思い出した、と言っておったな。自分の罪が分かった、とも」


「はい……思えば最初からヒントはあったんですね。あなたは最初にこう言いましたよね。『日高かなみ。貴様には前世の罪を償ってもらう』って。でもよく考えれば、あの時の私は死んだだけでまだ転生していなかったから、その『前世』と言うのは日高かなみの人生の事じゃなくて、それよりさらに一つ前の事になる」


 他にもたくさんヒントはあった。


 エアハルトがヒルトの好みに合わせて出したはずの紅茶が何故か私の好みにも合っていた事も。

 私が要所要所で最初からごく自然にヒルトらしく振る舞えていた事も。

 私が主にエアハルトに関する事について、どうしてだかヒルトにとても同情的で共感していた事も。


 そして何より……いつかエウフェミア先生が言ったように、もしヒルトが他の誰かに成り代わられていたのなら、エアハルトがそれに気付かないはずが無かったのだ。


 エアハルトは突然ヒルトが人が変わったように振る舞い始めた事に戸惑ってはいても、本気で別人だと疑った事は一度も無かった。


 もし本物のヒルトが誰かに拉致され、そっくりな別人が成り代わっている可能性があるのなら、エアハルトがそのヒルトの危機の可能性を見逃すはずは絶対ないのに。


 一見人が変わったように見えても、それでも長く側にいたエアハルトには、小さな振舞い一つ一つから私がヒルトラウト・マールバッハ本人だと疑問に思うまでも無く確信出来ていたのだろう。


「私は……21世紀の初めに地球の日本で生きていた女子高生日髙かなみ……だけどさらにその前の私は、神聖ルッジイタ帝国で公爵家に生まれた貴族の娘……数えきれないほどの罪を重ね、帝国史上最凶最悪の令嬢と呼ばれ、最後は自ら破滅した女……ヒルトラウト・マールバッハ、だったんです」


「正解だ」


 ロスヴァイゼが私に向ける表情に、またわずかに憐れみが混ざった気がした。

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