第三十話 分岐点

 戦略機動艦隊は地上司令部と艦内司令部の二つを持つが、分艦隊や任務部隊には通常、艦内司令部しかない。


 そのメーヴェ内に設置されている分艦隊司令部に向かうとすでにクライスト提督とエウフェミア先生が待っていた。


 まだ内々の話なので、他の幕僚は呼んでいない……仮にいた所でこの三人以外の意見通す事は多分無いけどさ(酷い)。


 クライスト提督は軽い動作で敬礼して出迎え、エウフェミア先生は座ったまま紅茶のカップを片手に開いた方の手を振る。


 先生の自由な振る舞いにクライスト提督が反発しないか当初不安だったが、「能力があるだけボンクラ貴族よりは百倍マシ」と言う事で早々に納得してくれたらしい。

 この人が門閥貴族の下で長年して来たであろう苦労が偲ばれるぜ……私も門閥貴族だけど。


「おおまかな話はフロイト少佐から聞きましたが」


「何度も言っているがエウフェミアと呼んでおくれよ准将」


 階級も年齢も上の相手にこれは酷い。

 と言うかこの人なんで軍人になったんだ……いや、才能的には大正解の職業選択なんだけどさ。


「どうされるお心づもりですか、閣下」


 先生のウザ絡みを丁重に無視し、クライスト提督が私に尋ねた。

 先生と比べれは普通に見えるが、この人もだいぶ型破りな軍人だ。


「クライスト提督の目から見て艦隊の練度は?」


 私は逆にそう尋ねた。


「ぎりぎり実戦に耐えられる程度、と言う所でしょうか。早めに出撃し、戦場までの航行を訓練の仕上げにする事が出来れば、それなりになるかもしれません」


「先生の意見は?」


「さっきも言ったがシュテファン争奪戦に戦略的価値は薄い。出撃する事に意義があるとすれば君が功績を立てる事と皇帝陛下の歓心を買う事だろうな。そんな物のために戦争をやって兵を死なすのか、と真面目な連中には言われそうだが、別に私達が行かなくても他の艦隊が出て行くのだから気にする事はあるまい」


 先生がいつも通り皮肉げな口調で言った。


 クライスト提督が何か言いたげな顔をしたが、結局何も言わない。

 先生はおどけているようで、どこか荒んでいる所がある。それがクライスト提督にも分かって来たようだ。


「エアハルトは……いつも通り、か」


「私はヒルト様の御心に従うまでです」


 たまには自分の意見を言いなさい、とも思ったが、これでも本当にダメな時はちゃんと止めてくれるのだ。

 だからエアハルトの視点では、ここで出撃する事は致命的な間違いでは無いのだろう。


 うーん……


 確かにせっかく回って来たチャンスではあるんだよなあ。

 ここで功績を立てて昇進すれば中将になれる。そうなればパパの代わりに第四艦隊の司令になる事だって多分可能だ。

 それに艦隊司令になれば自分の幕僚の昇進も佐官までならかなり通しやすくなる。


 ロスヴァイゼが定めた五年と言う期限を考えると、あまりここで足踏みしたくはなかった。


 ティーネと競い合うにしても、彼女を支えるにしても、今は彼女に追い付けないまでもこれ以上引き離されない必要はある。

 いくら公爵令嬢でもこの年齢で功績無しにこれ以上の昇進をするのは少し無理があった。

 公爵家の威光でゴリ押しすればやってやれない事は無いかも知れないが、方々から顰蹙を買うのは目に見えている。


 それに上手く行けば連盟側の天才のステも抜くチャンスがあるかもしれない……艦隊指揮官は作戦に関する通信は当然暗号で行うけど、鼓舞のための演説などはオープン回線で行うのが通例なのだ。


 二人の天才が激突する中、巻き込まれないようにこそこそと動き回り、隙を見て手柄を立てる……何とも情けない話だけど、それを目指してみようかな。


「皆の意見は分かったわ。このままこちらから特に働き掛けず、出撃の命令が下るのを待つ事にする。先生、出兵のタイミングはいつ頃になりそう?」


「恐らく今日明日中には統合参謀総監部の方で話は決まるだろうな。それから戦略機動艦隊司令部を通して正式に決まるのは今週中、と言った所じゃないか」


「それまでに分艦隊だけでも出来る限り態勢を整えなくちゃいけないわね。私も第四艦隊の方は一度諦めてこっちに手を貸すわ」


「こっちは私とクライスト提督だけで十分だよ」


 先生が首を横に振りながら言った。


「えっ、けど」


「出撃が決まりそうなら少し休んで、後は実戦に備えて少しでも艦隊戦の事を復習しておきなさい。働き詰めだろう」


「それは先生達も……」


「私は実戦が始まったらサボるから……と言うのは冗談だが」


 クライスト提督の咳払いを受けて先生は慌てて後半を付け足した。絶対本気だ。


「私もフロイト少佐の意見に賛成です。やはり何と言っても実戦では指揮官の負担は大きい。まだ慣れられていないでしょうし、作戦前には休まれるべきです」


 咳払いの後、クライスト提督もそう言う。


「でも……」


「ヒルト様」


 何か言い掛けた私をエアハルトが遮った。


「確かにここしばらくのヒルト様は忙しくされ過ぎであると思います。少しお休み下さい」


「むむむ」


 エアハルトにまでそう言われては反論できない。


 私は一度首を振った。


 残念ながら私にはまだ実務の知識も経験も徹底的に不足している。

 確かに私にしか出来ない仕事はあるけれど、そうでない仕事は部下に任せた方が賢明、なのかもしれない。

 基本的な事務仕事ならこの三人以外にも一応はこなせる人間達もいるのだ。


「なにがむむむだ」


 先生が笑いながら期待通りの返しをしてくれる。


 しょうがないか。

 しばらく家にも帰ってないし、あまりこっちの家族を蔑ろにするのも悪い気もする。


「クライスト提督とエウフェミア先生も仕事が落ち着いたら教えてください。出撃前に一度皆を我が家の夕食に招待したいですから」


「私は公爵家のディナーよりは近所のつまみが上手い酒場とかで皆で一杯やりたいな」


「確かに、と言いたい所だが閣下はまだ酒を飲める年齢ではあるまい……いや失礼、本官はお招きとあれば喜んで預かります」


 先生の正直すぎる発言に乗せられたのか、思わず本音が漏れたクライスト提督が慌てて取り繕うように言った。


 先生が最初に笑い出し、それから私も笑い出した。エアハルトは苦笑に留め、クライスト提督は最後に赤面したまま、それでもやはり笑い出した。


 それから私は三日間の時を公爵邸で家族やエアハルトと共に過ごし、さらに数日を艦隊戦のシミュレートに費やした。


 そしてその週の末になり、先生が予想した通り、シュテファン星系への出撃の命令が分艦隊へと届いた。


 ちょうど私がエアハルトの勧めに従って決めた、未成年でも入れるちょうど良い店で四人で夕食を取る、と決めていた日の事だった。

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