第三十五話 シュテファン星系会戦前夜

「何か作戦に気になる事があったみたいね」


 ブロッケンからそれぞれの旗艦に戻るためのシャトルに向かう途中で私はティーネに尋ねた。


「今の所シャーンバリ提督の作戦に不備はありません。ただ最悪の想定をすると非常に悪い結果になるでしょうね」


 ティーネが物憂げな口調で答えた。


「だったらどうしてそれを進言しなかったの?」


「確たる根拠がありません。そしてそれに備えようと思えば艦隊の動きはかなり慎重にならざるを得なくなります。あの段階で私が何か言っても消極的だと反発を買うだけでしょう」


「私から言っても……まあ、ダメかな」


 私の言葉ならアルブレヒト提督は特に深い考えも無く(酷い)賛同してくれるかもしれないが、逆にシャーンバリ提督の方は強く反発するだろう。

 門閥貴族達が手を組んで指揮官に圧力を掛けて来た、と解釈されれば通る進言も通らなくなる。


「それで、最悪の想定って?」


 私がそう問うとティーネは首を横に振った。


「宙域にいる敵艦隊が一個艦隊よりも多いのではないか、と言う想定です」


「でも、情報じゃここにいるのは二個艦隊で、その内一個艦隊は惑星上にいるって……」


 エーテル航路を超光速で航行する艦隊の動きは遠方からでもさまざまな手段によって観測出来るため、帝国と同盟は互いに最前線に配置されている艦隊の数を常にほぼ正確に把握している。

 この星系にいるのが二個艦隊と言うのは動かないはずだけど……


「あ」


 そこまで考えて私はマヌケな声を出した。

 ある可能性に思い当たったのだ。


「ぎりぎりまで降下は遅らせます。一度惑星への降下態勢に入ると簡単には動けなくなりますから」


 憂鬱そうな表情のままティーネは言った。


 ティーネと分かれメーヴェの司令部に戻ると、私は幕僚達に作戦会議の結果を伝えた。


「勝つべからざるものは守なり。勝つべきものは攻なり。守は則ち足らざればなり、攻は則ち余りあればなり、か」


「参謀長よりもずっと偉そうな作戦参謀」エウフェミア先生がぽつりと言う。


「孫子ですか?」


「良く知っていましたね。ヒルトラウト君には花丸を上げましょう」


 そりゃあ大好きな本の一冊ですからね。

 むしろ遥か未来の遠く離れた銀河帝国の人間が諳んじる事が出来る方が驚きだ。


「シンプル過ぎてただ当たり前の事を言っているだけだと誤解されやすい一文だが、後年になってある皇帝とその配下の将軍によって補完された。つまり守るとは劣勢であるように見せて敵に攻めさせる事であり、攻めるとは優勢であると示して敵に守りに入らせる事である、とな。そしてその劣勢優勢と言うのは実際の軍隊の強さとは関係が無い」


 唐の太宗と李靖ですね分かります。

 李衛公問対までカバーしてるんですか先生。


「もう少し分かりやすく説明してくれ」


 クライスト提督が戸惑ったように尋ねた。エアハルトはすでに状況を理解しているのか、険しい顔で戦況図を見やっている。


「つまりだな、我々は攻めるためにこの星系にやって来たし、今もそのつもりだが、相手の方も守るつもりだとは限らない、と言う事だ。向こうも攻めるつもりかもしれない。そして我々は実は相手に誘導されてこちらが攻める側だ、と思い込まされているのかもしれない」


 クライスト提督はしばらく考え込み、顔色を変えた。


「敵は最初からシュテファン・アイゼンを放棄するつもりだと言うのか」


「その場合我々は一個艦隊と一個分艦隊を敵がいない惑星に無駄に降下させる事になる。そして宙域には二個艦隊同士で、しかもこちらは敵が一個艦隊だと思い込んでいる」


「しかし惑星上には一個艦隊が確認されているのではないのか?」


「遥か遠方からの映像と各種センサーでね」


 目上の人間相手だと言うのに先生の口調は相変わらず教師そのものだった。クライスト提督が相手だからかもしれないが。


 クライスト提督が腕を組んで唸り声を上げる。別に先生の態度に腹が立った訳ではない……と思う。


「あくまでこれは最悪の想定であって、実際には惑星上にちゃんと敵艦隊はいるのかもしれない。問題なのは我々が実際シュテファン・アイゼンに近付いて直接偵察を行わない限り真偽が確かめられない所だな。私が総司令官なら艦隊を一度止めて偵察艦隊を送るが、惑星への直接偵察は時間が掛かるから承諾されないだろうな。迂遠な事をして敵艦隊を逃がしたくない、とシャーンバリ提督とアルブレヒト提督は思っているだろうし。そして敵艦隊は入念な隠密準備をしていると予想される」


「じゃ、私達が取るべき対策は?」


 私が尋ねた。


「その辺りは私よりクライスト提督や君のお付きの方が得意だろう」


 そう言って先生が二人を見る。


「あれこれ理由を付けて降下を遅らせ、その間に出来るだけ早く直接偵察を行うべきかと思います」


 クライスト提督が真顔で答えた。この人も何と言うか神経が太い。


「もし敵艦隊が偽装と分かった場合、すぐに味方と合流できるように準備しておく必要もありますね」


 エアハルトがクライスト提督の言葉を引き継ぐ。


「もう一個あるな、今から出来る事が」


 先生が楽しそうに言った。


「何です?」


「シャーンバリ提督とアルブレヒト提督が賢明である事を祈る……当たっていた所で二人が賢明なら二対二の戦いが始まるだけだからな。よほど味方が下手を撃たない限りいきなり総崩れになるような事はあるまい」


「エアハルト、すぐに直接偵察の準備を」


「はい」


 こらあかんわ、と思って私が発した命令にエアハルトはすぐに立ち上がった。

 少なくとも今回は残念ながらあの二人が賢明な選択はしないであろう事を私は知っている。

 シュテファン星系まで後一日の道程だった。

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