第九十六話 敗走-連盟side

どうやら大敗なのは間違いないようだ、とショウは思った。


 戦力的には優位であった状態から基幹艦隊が壊滅し、一万隻を優に超える全艦隊が潰走する事となったのである。


 物理的に人員や兵器と行った戦力の大部分が損傷を受けていなくても、その軍隊を構成する指揮系統、兵站支援、戦闘ドクトリン、そして士気と言った要素が攻撃されて軍隊を構成するシステムが無力化された結果、大軍が崩壊した例は歴史上に暇が無い。


 オティエノ大将の第二艦隊を包囲された時点で、残りの連盟艦隊も自分達も退路を断たれ、包囲されるのではないかと言う危惧と恐怖が連盟艦隊全体を支配し、浮足立たせていた。


 冷静に考えれば兵力と統制で劣る帝国軍にそこまでの余力はなく、各艦隊が連携して一斉に反撃に転じれば正面の敵を防ぎつつ、第二艦隊の包囲を解いてその場で戦線を再構築する事は十分可能であったはずなのだが、突然の奇襲と包囲の衝撃によって総司令部が機能不全に陥った状況で、「一旦退いて後方の安全を確保した新しい戦線を敷き直す」と言う消極的だが安全と思える行動の誘惑に逆らえる指揮官はあの時連盟にはほとんどいなかった。


 結果として連盟艦隊は数で劣る帝国艦隊を相手にして戦いながら撤退する事を選び、しかもその熾烈な追撃によって新たに戦線を構築する事も出来ず、星系の確保を放棄して逃げ惑う事になった。


 旧時代、電撃戦に代表されるような機動作戦によって優勢にあった軍が崩壊したいくつもの例をもちろんショウは知っていたし、それらの記録を感嘆しながら調べた事もあるが、しかし自らが所属する軍がそれで潰走する立場になるのはさすがに不本意ではあった。


 一度侵攻を止め、対峙する。双方がその膠着にじれた所で、意図的に敗北し、秩序だったまま後退する。連盟が追跡して来た所を改めて守備を固めて向き合い、別動隊で背後を衝く。


 予想していた通りの作戦ではあった。唯一ショウの予測を超えていたのは、一度四散した貴族艦隊の残存戦力が、たった二人の貴族令嬢の激励の言葉に答え、ほとんどパニックに近い勢いで集結し、連盟艦隊に殺到した事だった。

 もし帝国軍が通常の戦力再編法に従って集結していたのなら、連盟側にはそれに十分に対応するだけの時間があっただろう。


 共和制国家である連盟の軍人には、貴族のカリスマの元に集い、奮起する軍勢の存在は知識としては把握できても本当の意味では理解し切れない……そんな精神的盲点を的確に衝く事も相手の作戦の内だったのだ、と思うと、尚の事腹立たしい上に、どこか脱帽するような思いがある。


 ———戦争で重要なのは火力だけではないし、敵はただの標的の集まりでもない。作戦レベルにおいて本当に大切なのはただどれだけ敵を倒すかではなく、どうやって敵をこちらへの反撃能力、あるいはその意思を失うかまで無力化するか、だよ———


 かつて自分が少女に教え、そして今完璧な形で実践されたその言葉をかなり皮肉な、しかし懐かしい気分で思い出しながら、ショウはディスプレイに表示される各艦隊からの報告に目を通す。

 第十艦隊は他の味方が潰走する中、結局最後まで戦場に留まり、味方を援護し、殿を務め続けたが、それでも他の艦隊と比べて多くの犠牲を出したと言う訳ではないようだった。


 ハーディングは苦境の中でも艦隊の指揮統制を維持し続け、一部を後方に踏み止まらせて残りを下がらせ、機を見てそれを入れ替える、と言う事を繰り返す事によって戦いながらどうにか犠牲を最小限に抑え撤退する事に成功していた。

 無論その過程で、とりわけショウの分艦隊が馬車馬の如く働く事になったのは言うまでもない。


 第十艦隊の奮戦に加え、敵の追撃がどうやら連盟艦隊を殲滅する事よりまず追い立てる事を主眼にしていたらしい事もあり、混乱した敗走の悲惨さと比較すれば味方の犠牲は全体としてかなり抑えられている。

 包囲された第二艦隊を別とすれば、高級指揮官の戦死もそう多くはない。


「全くこう言う時に下手に一番仕事が出来ると貧乏くじになるな」


 さすがに疲労感を滲ませ、ハーディングが皮肉気な笑顔を作った。あからさまに作った、と言うのが分かる笑顔だ。

 結局連盟艦隊は三星系と連盟本土の境界まで後退を余儀なくされている。


「我が艦隊の損害は三割と言う所ですか」


「三割だぞ」


 ショウの何気ない言葉が感情の関を切るきっかけになったのか、ハーディングの笑顔が険しい表情に変わる。


「何でこの俺が無能共の失敗のせいで自分の部下を三割も失わなくちゃならん。しかも勝ち戦ならまだしも、負け戦の撤退戦で、だぞ。この俺の指揮下にありながらざっと二十数万人が生まれた星から遠く離れた宇宙空間で無駄死にしたんだぞ」


 その言葉に込められた怒気が彼のプライドの問題と言うよりも、もっとやるせない性質の感情から来るものである事を察し、ショウは何も言えなかった。


 公正な目で見れば、第十艦隊は連盟艦隊の中でもっとも果敢かつ巧みに戦い続け、その戦いぶりと味方の損害を抑えた功績の双方は称賛されて然るべきものだろう。

 しかしハーディングはそんな戦術レベルの善戦とそこから生まれるであろう名声で、数多の部下を死なせた事実を覆い隠そうとするような軍人では無かった。


 一見粗野で豪放磊落に見えるこの男が、本当は驚くほど部下を死なす事に敏感である事に、ショウは最近気付きつつある。

 相変わらず自分は良い上官に恵まれている、と思いつつ、ここはやはり部下として何か気の利いた事を言ってフォローすべきなのか、ショウが首を捻った時、回線に大声でロベルティナが割り込んで来た。


「そんな事無いっスよ!」


 彼女も自分の麾下を率いてかなり苦しく長い戦いをどうにか生き延びた所のはずだが、その表情には疲労の翳は全く無い。

体力の差と言うよりは彼女の場合、戦闘行為と言う物に対して作用する精神構造が常人とは根本から違うのであろう。


「上官同士の会話に一言の断わりも無く割り込んでくるんじゃあない」


「ハーディング中将と先輩はこの戦場にいる連盟の他のどの提督よりも立派にやったじゃないっスか!他の誰が指揮してても二人ほど上手くはやれなかったっスよ!」


 ショウの苦言を盛大に無視し、ロベルティナは顔を真っ赤にして激しく主張した。


「そんなこたあ知ってるよ」


 その迫力に怒気を逸らされたのか、若干苛立たしさよりはむしろ呆れが勝っているかのように、ハーディングは答える。


「だが、俺らがどんだけ上手くやろうがこの戦いは負け戦だし、そこで死んだ奴は……」


「無駄死にとか言っちゃダメっス!」


 今度はロベルティナの叫びの方に怒気が混ざっていた。


「兵達はどんだけ劣勢になっても中将や先輩の指揮を信じてたんっスよ!二人の言う通りに戦ってれば生き残れる、そうじゃなくても無駄死にはならない、ここで自分達が死んでも仲間達のためになれる。皆そう信じてたから第十艦隊は最後まで崩れず戦って、他の味方を逃がせたんじゃないっスか!例え負け戦でもそれをハーディング中将が無駄死にとか言っちゃ、死んだ皆が可哀そうっスよ!」


 途中からロベルティナは目を潤ませながら言葉を吐き出していた。


 大敗の中で多くの部下が戦死した事に対し、心を痛め、それでも彼女なりに答えを出して来たらしい。

 その言葉は勢い任せではあったが、それでも否定のしようがない正論だった。

 ハーディングは一瞬虚を突かれたような顔をし、それからわずかに微笑む。


「分かった分かった、悪かったよ。後でもう少し聞いてやるから、今は敗残処理に集中してろ」


 恐らく意図的に無神経を装ってそう言い、ハーディングはさらに何かを叫ぼうとして口を開いたロベルティナからの通信を一方的に切ると、ショウの方を見た。


「アレに諫められるとは思ってなかったな」


「アレでもアレなりに戦争や兵士と言う物に真剣に向き合っているんですよ。部下を巻き込んで死地に突っ込んで行く事に躊躇いはありませんが、部下を死なす事を軽く見ている訳ではありません」


 ロベルティナを双方「アレ」扱いし、いつもの調子を取り戻したようにハーディングは不敵に笑い、ショウは肩を竦める。


「途中から代わった敵の大将、エーベルス伯。あのお嬢ちゃんは今回の戦果で間違いなく帝国艦隊の実質的なトップに昇るぞ。次は勝てるかね」


「気が早い。まず帝国はしばらく奪取した三星系の安定化に専念するでしょう。次の大規模な戦いがあるとしてもだいぶ先ですよ」


「確かに今度の戦いの結果、数百年ぶりの大きな戦局の変化があったからな。せめて次の戦いまでにお前やロベルティナ、ジェームズの辺りも一個艦隊を率いるようになっていればいいんだが。もう少し前線指揮官にマシなのが揃わんとどうにもならん」


「ジェームズはまだしもロベルティナが一個艦隊の指揮官になるのはちょっとゾッとしませんね」


 いつかの言葉をショウは繰り返した。


「何、俺かお前かジェームズが持ち回りで番をしてりゃ大丈夫だろ」


「ペット扱いですか。あるいは猛獣かな。まあ、私も良くそんな気分になりますが」


「兵達がたまに噂をしてるが、アレは結局お前とジェームズどっちと付き合ってるんだ?」


「私が知る限り、今の所どっちも付き合ってはいませんよ。興味がおありなら口説いてみたらどうです。止めやしません」


「やめとこう。アレは自分で付き合うより他の男が振り回されているのを横から見てる方が面白いクチだ」


 同感だ、と言いかけてショウは口を閉じた。


「ま、ひょっとしたら三星系を取った事で帝国は止まってくれるかもしれんがな。今の所向こうがこれ以上侵攻する理由はないし、後はこっちから奪還を目指して攻めない限り、上手く行けば冷戦状態になるかも知れん」


 肩を伸ばしながらハーディングがまた会話を戦況の事へと向けた。

 やや楽観的ではあるが、それでもあり得ないと言うほどの可能性ではない。


「いえ……恐らく帝国軍は止まらないでしょう」


 しかしショウはその言葉を否定していた。


「ほう?どうしてそう思う」


「いえ、ただの勘です。根拠はありませんね」


 咄嗟にそう答えていた。ハーディングがかすかに不審そうに首をかしげたが、それ以上追及する事はない。


 実際の所、クレメンティ―ネ・フォン・エーベルス———今そう名乗っているあの少女が帝国軍の頂点に近い所に立てば、多少の準備期間はあっても恐らく最終的には連盟の完全併合を目指してさらなる大規模侵攻をしてくるだろう、と言う予想はほとんど確信に近いものとしてショウの中にあった。


 あの少女は、そう言う風に「作られた」のだ。


 そのままいくつか艦隊運営に関するやり取りをした後、ハーディングとの通信を終え、ついでにジェームズに「合間にロベルティナの相手をしてやってくれ」と一文を送った後、ショウは再び分艦隊の敗残処理へと戻った。


 撤退戦の最終局面で、今回の会戦中、何度目かの出撃を行っていたラクシュミー・パルマー未帰還の報告が入って来ていた。


 ショウはしばし瞑目し、それから艦橋の天井を見上げた後、敗残処理の作業へと戻った。

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