第七十六話 出撃

 会議の翌日、戦略機動艦隊司令部に登庁した所で私はティーネと共に揃ってザウアー元帥の執務室に呼び出された。


「クレメンティーネ・フォン・エーベルス、ただいま参りました」


 まずティーネが完璧な動作で敬礼し、私がそれに続く。

 呼び出されたのは私達二人だけだった。元帥の執務室にも、他には誰もいない。


「来たか」


 ザウアー元帥が会議の時と変わらない不機嫌さで私達を迎える。


「……卿ら二人に一度だけ言っておく事がある」


 ザウアー元帥が座ったまま、顔の前で腕を組んだ姿勢で喋り始めた。


「今回の遠征の裏で、廷臣や門閥貴族共、そして卿らも含めた軍内部の人間が何を企図していようとそれはわしの知る事では無い。その裏にあるのが薄汚い政治闘争であろうと、遠大な戦略、あるいはそのつもりの何かであろうと、最早わしの手を離れた戦いに何か言う気はない。ただ、目的に囚われるあまり、帝国の軍人としての本分を忘れる事は決してするな」


「それは……会議の場で言われていた、兵力を浪費しない、と言う事ですか?」


 私が訊ねるとザウアー元帥は不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「帝国も連盟も、互いに相手の領土へ奥深く大規模に侵攻し、降伏させるような軍事能力は無い。少なくともこの三百年はそうであった。もしその均衡が崩れる事があるとすれば、それはどちらかが愚かで致命的な失敗を犯し艦隊の大部分を失うか、あるいは大規模な内乱で外敵に抵抗する能力を失った時であろう。少なくとも当面あり得る可能性としてはな」


 そう語るザウアー元帥の言葉は静かな物だった。


「軍人の第一の役割は、強力な軍を作り、保持し、政治的には徹底して中立を保つ事だ。軍がしっかりとしてさえいれば、それは国を支える最大の柱になるし、国を滅ぼすような大規模な内乱なども事前に防げる。連盟との戦局が前線でどう推移しようと、連盟が帝国領に侵攻して来た時、それを打ち払えるだけの精鋭が常に残っておれば良い」


 なるほどなあ。

 この人が自分の第一艦隊を精強に鍛え上げているのはそう言う考えがあったからか。


「ですけど元帥、それだったらディークマン提督とヴァイス提督のお二人を艦隊司令に任命されないのはどうしてです?普通にその方が戦略機動艦隊の強化に繋がると思うんですけど」


 思い付いた疑問をそのまま口に出した。


 ザウアー元帥が眉を顰め、ティーネが少し吹き出す。

 素直に質問しに行ったのがおかしかったらしい。


「……戦略機動艦隊の司令に意図的にわしの子飼いの者を増やせば軍の派閥化につながろう。あの二人は確かに実力はあるが、わしの胸の内を読み過ぎる」


 失言だったかな、と思ったけどザウアー元帥は質問に答えてくれた。


 ディークマン提督とヴァイス提督はザウアー元帥への個人的な忠誠心と心酔が強過ぎるから一個艦隊の司令には相応しくない、と言う事だろう。

 理屈は分かるけど、この軍人としての徹底した潔癖さ、生き辛くないのかな……


「何故、そのお話を私達二人に?」


 今度はティーネが訊ねた。


「卿ら二人、それにエーベルス提督の指揮下にいるジウナー提督とカシーク提督。あの場に並んだ者達の中で、いずれ帝国最強の艦隊を率いるようになるのはその四人であろう。だから一度だけは、わしが考える帝国軍の正しい在り様を語っておこうと思った」


 ティーネはさておき、ちょっと私の事は買いかぶり過ぎじゃありませんか元帥。


「光栄です」


 ティーネが微笑む。


「卿らは優れた軍人であるのかも知れん。だがそうだとしても、将来卿らが位人身を極めた時、あるいはそれよりさらに上の地位に立った時は、軍人である事をやめよ。軍人が政治を動かしては、国を誤る。数百年の戦いで帝国も連盟もそれを忘れつつあるが、戦時と言うのは国にとって異常な状態であるし、軍人と言うのも国にとっては少数派であるべきなのだ。これは上官としての命令ではなく、ただの忠告だがな」


「覚えておきます」


 ティーネがやはり微笑んだまま言った。私も頷く。


 元帥の部屋から出た後、二人で司令部内のラウンジに寄った。

 ティーネは紅茶を、私はクリームソーダを頼む。


「ザウアー元帥もやはりひとかどの軍人ですね……いえ、間違いなく帝国ではある意味最高の軍人の一人でしょう」


 紅茶を口に運びながらティーネはそう言った。

 私はもうエアハルトが淹れた物以外の紅茶を飲む気には中々なれない。


「そうだね。多分あの人自身は、戦略機動艦隊司令長官としては最良の人材かも知れない。ただ……」


「残念ながらそれは彼より上の人物と組織も健全かつ賢明な意思決定をしていれば、と言う但し書きが付いてしまいますね」


「軍人は政治には関わらず戦争のやり方だけを考えていればいい。その真っ当な思想が通用しない場所に生まれてしまったのがあの人の不幸ね」


 そして普通の常識的な軍人にとっては完全に想定外であろう、人類以外の勢力からの大侵攻、と言う物が遠からず起こってしまう事も、だ。


「出来れば最後まで敵に回したくない方です」


 私とティーネの二人の計画を秘密裏に話して協力を仰ぐ、と言う事は出来ないだろう。軍人が秘密裏に三星系の独立国化を企んでいる、と言うのはどんな理由があろうともザウアー元帥にとっては帝国に対しての反逆行為として映るはずだ。


 ただザウアー元帥は、ティーネが帝国の頂点に立つ事になれば、その過程や方針がどうあろうとも、下された命令には一切逆らう事無く、今と同じように帝国軍人としての責務を完璧に果たすだろう。

 その意味では、政治的な駆け引きだけで戦いを避ける事が可能な相手のはずだった。


「ティーネがザウアー元帥まで率いて戦場に出れるような事になれば、誰が相手でも負ける気なんかしないんだけどね……例えばこの前の連盟のカズサワとか言う相手にだって」


 少しだけ探りを入れる意味でその名前を出してみた。ティーネの前でこの話題に触れるのは初めてだ。


「……」


 ティーネは少しだけ沈黙し。


「だったらいいのですけどね」


 そう言って微笑んだ。


 うーんこれは、よっぽど複雑かつ激重な感情を抱いているっぽい。

 戦場で抜き差しならない事になる前に、どうにかできればいいんだけど……


 男女の恋愛がこじれたせいで戦争までややこしくなるなんて言う笑えない喜劇はまっぴらだ……いや、私が言えた事じゃないんだけどさ。


 そして一週間後の帝国歴三四〇年七月十五日。

 全十一個の戦略機動艦隊を基幹としたツェトデーエフ三星系侵攻艦隊が帝国各星系からまずはシュテファン星系での合流を目指し、出撃を始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る