第七十五話 そこまで嫌いでも無いんだけど君は無理
ツェトデーエフ三星系の名前はそれを構成するゼベディオス、ダーニエール、フィリップスの三つの星系の頭文字からそう名付けられている。
帝国、連盟、双方から繋がるエーテル航路は最終的には全てこの三つの星系へと集まって広大なエーテル空間を形成していた。
三星系の内、もっとも帝国領に近いのはゼベディオス星系だった。六つの有人惑星と七億の人口を有している。
作戦はひとまずゼベディオス星系の確保を目指し、そこに策源地を作ってから敵艦隊の動きを見極め進軍する、と言う物になった。
敵が正面から迎え撃ってくるようなら迎え撃ち、持久策に出て来るようなら少しずつ惑星占領を進め、星系を確保し前線を進めて行く。
もし敵の迎撃が想像以上に厳しい場合でもゼベディオス星系だけは確保し、その支配の恒久化を目指す。
無難オブ無難だった。机の上の作戦としては、だけど。
実戦ではそんな風に堅実には行かないだろう、と言うのは容易に予想が付いた。
パッツドルフ上級大将の統率力の無さ、提督達が抱いている功名心とティーネに対する反発は、必ず作戦に齟齬をきたす。
と言うか前世で主に私がそれで盛大にやらかしてるからね……
前世も似たようなタイミングで、ただし私が主流になって三星系への大規模な遠征が行われ、しかも統合艦隊司令部の幕僚として暗躍して前線のティーネの足を引っ張って謀殺する事まで試みたんだけど、結果は私の余計な横やりと貴族艦隊の暴走のせいで戦力が分断された所を連盟側の大規模な反撃を受け、そこをティーネ艦隊に救援されてまたしても彼女一人に名を……と言う案の定な結果になる。
作戦全体で見れば帝国側の判定負け、と言う感じの結果になって、三星系の完全奪回は後にティーネが総司令官になって行われる再度の大遠征を待たなければ行けなかったんだけど……やる以上、出来れば今度は一回で決めたい。
大規模な作戦を繰り返せば繰り返すほど無駄な犠牲は大きくなるし、スケジュールに余裕も無くなってしまう。
一〇個艦隊以上の投入ともなれば、戦闘要員だけでも一千万人、兵站その他に携わる人間も含めれば二千五百万人以上が作戦に携わる事になり、そんな作戦を短期間で何度も繰り返す事は帝国軍が巨大組織とは言え不可能だ。
特に補給面の負担はもう私のような素人の想像を絶する域に達するだろう。
宇宙空間での戦争はそれまで人類が体験したどの戦争よりも膨大な物資を必要とする、と言う。
他の場所での戦争と違い、宇宙では人間はただそこで生存し続けるために大量のリソースを消費するからだ。
エーテル航行の存在によって「前線に燃料を輸送するための輸送手段がまた燃料を消費する」と言う自動車時代からの負のスパイラルからは解放されているけど、それは膨れ上がる補給の物質的量とその困難さを打ち消すような大きな要素にはなっていない。
幸いと言うか何と言うか、帝国連盟双方数百年の戦いを繰り広げているだけあって実働で築き上げられた後方補給体制は堅固な物だけど、その蓄積の大部分は三星系を巡る争いによる物で、帝国は連盟の星系に本格侵攻するような兵站体制は作れていないし、それは連盟側も似たような物だと予想されている。
この帝国軍兵站組織の巨大さと堅固さの裏返しである硬直は前世でティーネが連盟領に本格侵攻を始めた時、彼女を散々に苦しめる事になる。
コルネリアがいなかった事も響いていただろうし、何よりもあの時のティーネは私の目から見てもどうしてだか連盟への侵攻を急ぎ過ぎているようにも見えた。
実戦部隊の改革以上に軍の後方組織の改革と言うのは難しい物で、それはティーネのような天才が主導した所で一朝一夕に行く物ではなかったらしい。
まあ今回は兵站組織の大規模改革なんて最初から諦めて三星系までで止まろう、と言う事に無事なったんだけどね。
会議がまとまると、ツェルナー子爵が私に声を掛けて来た。
「マールバッハ公爵令嬢、少しよろしいかな」
「あら、ツェルナー子爵。どうしたの?」
ツェルナー子爵は長身でいかにも貴族らしい派手な金髪の美男子だった。
ただ、感情の起伏が激しく、それに合わせて表情も常に動いているため、残念ながらあまりそうは見えない事の方が多い。
性格は基本的に前世の私と似たり寄ったりではあるんだけど、あの頃の私と違って、例え平民出身でも勇敢な者には目を向ける事が出来ると言う貴族艦隊の提督には珍しい美点を持ってはいた。
「いや、先程の会議でエーベルス伯とその部下達が好きなように振る舞っていたのが気になってな。このままではこの大攻勢の功績をあの成り上がり者共に横取りされる事にならないか?この大攻勢は公爵令嬢に一歩先ん出て頂くための者だと叔父上からは聞かされているのだが」
「ああ、そんな事気にしてたの」
「そんな事?」
「いいじゃない。今はせいぜいあの成り上がりの犬の前に手柄と言う餌を放り投げて駆け回らせておけば。戦場で功績を立てる以外に能の無い女よ。連盟を叩くために使い潰しましょう」
「しかし、その結果ますますエーベルス伯の声望が増せば……」
「いくら軍内で階級を上げて声望を増し、陛下からの覚えが良くなった所で、あの女は政治面ではどこまでも無力よ。マールバッハとフライリヒート、それに加えてフロイント元帥まで組んでいる今、どうとでも料理出来るでしょう。何よりエーベルス派と言っても、所詮あの女一人殺せばそれで霧散する勢力でしかないんだし」
「な、何と……」
冷然と言い放つ私にツェルナー子爵は戦慄したように言葉を失った。
いやー、我ながら良くこんなセリフよどみなくすらすら出て来るなあ私。
自分で言っててもちょっと心がささくれるよ。
「……公爵令嬢がそこまでお考えなら、私としてはもう何も言う事はありませんな」
わずかに間を開け、まだ若干引いてる様子を見せながら、ツェルナー子爵がそう言う。
彼にとってティーネはあくまで同じ軍内の競争相手であり、追い落としたり足を引っ張ったりする相手ではあっても、暗殺などと言う事には思い当たらないらしい。
あまり宮廷闘争とか陰謀とかには向いてないんだよなこの人。
別に善人ではないんだろうけど、気質が単純過ぎる。
「そうね。あなたは今度の戦いではあれこれ考えず普通に戦ってくれたらいいわ。私達も実戦で手柄を立てて悪い事は無いんだし。ただ、あまり目の色を変えて戦場であの女と張り合う必要も無いでしょうね」
「う、うむ。助言に感謝する」
まあこんな事言っててもいざ実戦になれば浮足立って暴走するのは目に見えてるんだけどさ。
「ところで話は変わるが、次の戦いには叔父上の名代としてクレスツェンナも叔父上の旗艦に乗り、私の艦隊に加わる事になっている。似た立場であるし、戦場では貴女もあの子の事を気に掛けてやって欲しいのだが」
「クレスツェンナが?」
おっとこれは前世では無かった出来事だぞ。
軍人として功績を立てている私に対抗するために今から戦場に出す事で少しでもクレスツェンナの存在を軍にアピール出来ないかと考えているのか。
今の段階では帝国軍の軍籍の無いクレスツェンナに戦場に連れて行くのはかなり無理筋だと思うけど……公的には私兵でもある貴族艦隊の内側では何をやっても帝国軍の軍規には触れない。
それにしたってフライリヒート公爵、内心かなり焦ってるなあ。大艦隊に守られて後方に控えていれば絶対に安全、とでも思っているんだろうか。
……私もそう思ってたけど。
「まあ、あの子もいずれは貴女と共に帝国を背負わねばならぬ身分故、今から経験を積ませよう、と言う事であると思う。あの歳で戦場に出すのは不安だが、今回は後方に控えているだけになるであろうしな」
ツェルナー子爵の方はクレスツェンナが戦場に出る事の意味をあまり深く考えておらず、ただ従妹の事を心配しているだけのようだった。
「……フライリヒート公爵家の家臣にクラフトと言う兄妹がいたわね」
「うん?ああ、フライリヒート家の武官で兄妹で一緒にクレスツェンナの護衛をしているな。私はどっちも良く知らんが、クレスツェンナは良く懐いていると聞く」
「私も一度あっただけだけど、あの二人は下級貴族にしてはかなり見所があったわ。クレスツェンナを出すのならあの二人を相応しい身分に昇進させて戦場でもクレスツェンナの守りを固めさせなさい。仮に万が一の事があっても安心出来るでしょう」
「ふむ?うむ、まあ公爵令嬢がそう言うのなら叔父上に進言しておこう」
ツェルナー子爵が怪訝そうな顔でそれでも頷いた。
敵に塩を送る結果にならなきゃいいけど……さすがにあの子がうっかり戦死するような事があったら胸が痛むからね。
「ところでマールバッハ公爵令嬢、今晩の予定はどうかな?よければ我が屋敷で共に夕食でも取りながら今度の遠征について……」
「悪いわね、今日はすぐに戻って幕僚達と会議を開く予定なの」
私は速攻でツェルナー子爵の誘いを断り、逃げ出した。
ごめん!そこまで嫌いでも無いんだけど君は無理!
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