第七十四話 指揮官の無能と命を軽んじる姿勢以上に軍の規律を乱し、士気を低下させる要素は無い

「本作戦の目的は我が帝国の悲願であるツェトデーエフ三星系奪還を成し遂げ、大帝アルフォンス以来の所領と威光を取り戻す事である。以上を踏まえた上で具体的な作戦案について話し合ってもらいたい……何か質問がある者は?」


 ザウアー元帥が居並ぶ将官達を見回す。


 明らかに物凄く不機嫌そうなこのザウアー元帥を相手に真っ先に発言する勇気のある人間は……と思っていたら案の定カシーク提督が口を開いた。


「この作戦は規模、目的共に帝国の興廃にも直結する重要な物かと思いますが、しかるにザウアー元帥自らが指揮を執られないのは何故でしょうか」


「不満か?」


「パッツドルフ上級大将が総司令官である理由が小官には分かりかねましたので」


 パッツドルフ上級大将が不快そうに眉を吊り上げた。本人にだって自分がザウアー元帥に遠く及ばないのは理解しているだろうが、それを大勢の前で目下の人間に指摘されたらいい気分はしないだろう。


「カシーク中将、口が過ぎますよ」


 パッツドルフ上級大将が発言する間も無く、ティーネがぴしゃりと言った。


「確かに上官に対して非礼な発言だな。撤回して謝罪せよ、カシーク中将」


 ザウアー元帥がそれに続けて完璧な規律と威厳で包み込んだ声でそう命じる。


「これは失礼しました、パッツドルフ上級大将。何しろ若輩にして成り上がりの身ゆえ、お許しください」


 カシーク中将もまた完璧な慇懃さで頭を下げた。パッツドルフ上級大将はまだ不快そうに、それでも頷く。


「その上で卿の質問には答えよう。本官はこの侵攻作戦には決定までの間、終始反対の立場であった。作戦自体に強く否定的であった人間が総司令官を務める事は不適切である。これで良いか?」


 ザウアー元帥らしい理屈だった。


 もしザウアー元帥が総司令官としてこの作戦を大成功させてしまったらその功績で三長官のパワーバランスが一気にひっくり返るから、これはザウアー元帥の頑固さとフロイント元帥の政治的判断が融合した結果だろうなあ。


 普通はどう考えてもザウアー元帥が総司令官の方がいいのだろうけど、今回に限っては私やティーネにとっても都合がいい。


「ありがとうございます。反対であった、と言う事はザウアー元帥はこの作戦には問題があるとお考えであったと言う事ですね。元帥がお気付きになられた作戦の問題点を伺いたいのですが」


「本作戦の実施はすでに統合参謀総監部で決定され、皇帝陛下のご裁可を受けた事である。それが覆される事は無い。それを確認した上で敢えて言えば今の時期の大規模な作戦はリスクが大きい。それに尽きる。先の戦で失った艦艇を回復し、卿を始めとした新任の提督達が自分の艦隊を完全に掌握するまで今少し待つべきであろうと本官は考える」


「なるほど、最もであると小官も思います。では何故結局今出兵を?」


「知らぬ。何故戦いが必要かを考えるのが軍人の本分ではない。下された任務を定められた条件と与えられた兵力の内で果たす。それが卿らの役割であろう」


 ザウアー元帥の機嫌は低調を通り越してマイナスにまで達しているように見えた。

 門閥貴族共の功績作りのために何故こんな大艦隊を出さねばならんのだ、と言う憤慨が全身から滲み出ている。


「これは、小官の浅慮でした。重ね重ね申し訳ありません」


 カシーク提督が頭を下げる。

 所詮戦場で戦う事しか出来ぬ辺りがこの老人の限界か、と言うモノローグが見える気がする……


「であるならば、作戦はまずそのリスクをなるべく最小にする所から考えるべきでしょうか」


 カシーク提督を引き継ぐようにティーネが口を開いた。


「それが妥当であると本官も考えるがパッツドルフ上級大将はどうか」


 ザウアー元帥がパッツドルフ上級大将に水を向ける。


「う、うむ……わしもそれで良いと思う」


 パッツドルフ上級大将が取り敢えず、と言った様子で頷く。


「失礼ながら元帥閣下」


 そこで発言する人間がいた。


 第十四艦隊司令のデニス・フォン・ツェルナー中将だった。

 年齢は確か二六歳。フライリヒート公爵の甥で、自身も子爵だが、率いている艦隊はフライリヒート公爵家の所属がほとんどを占めている。


 フライリヒート公爵家の中では最も血気盛んな人物で、前世の内乱の時にも叔父に代わって公爵家の主力艦隊を率いていた。


 人格の方は前世の私と大変話が良く合ったと言えばだいたい分かってもらえるだろう。

 フライリヒート公爵は前世では彼と私を婚姻させたがっていたし、多分今回も同じ事考えてるんだろうけど……


 統率69 戦略16 政治55

 運営19 情報15 機動67

 攻撃78 防御51 陸戦61

 空戦55 白兵70 魅力67


 能力はこんな感じ。


 自分で好んで戦場に出て来るだけあって、実戦指揮能力は一応それなりにある。

 貴族艦隊の提督の中ではこれでかなり強い方だ。

 だけど戦略が異常に低い。


「戦う前からそのような弱気な発言に同調されるとは、武勲の誉れ高い元帥閣下のお言葉とも思えませぬ。元より敵地に踏み込む危険は承知の事。我々がまずすべきはいかなる犠牲を払おうともひたすら前に進み、愚昧なる共和主義者達を打ち倒し、神聖なる帝国の領土を回復すると言う確固たる決意を固める事では無いのですか。無暗矢鱈と敵を恐れ、自分達の力を疑う事は軍の規律の乱れと士気の低下に繋がります。偉大な勝利のためには多大な犠牲が付き物。血を流す事を恐れて戦場で勝利が得られましょうか」


 うん、これは見事に戦略16だな。

 ここまで来るといっそ逆に清々しい。


「……確かに戦いに勝利するには流血は必要である。求める勝利が大きければ大きいほど、流れる血の量も多くなろう」


 ザウアー元帥が一度目を閉じてから口を開いた。


「自分が出ない戦いの作戦会議だと言うのに、跳ね返りの成り上がり者どもだけでなく、こんな阿呆の相手までせねばならんのか」と言う苛立ちがありありと全身から滲み出ている気がする。


「だが血を流すのを恐れぬ事と、自身の無能さによる無駄な犠牲を正当化する事は違うぞ、ツェルナー中将。連盟の艦隊をツェトデーエフ三星系から叩き出した所で、その過程で大き過ぎる犠牲を払い、次なる戦いへの備えを失えばどうなる。連盟との戦いは三星系で終わりではないのだ。我々帝国軍人の第一の務めは帝国領と帝国臣民、そして何よりも皇帝陛下の御身をお守りする事。我々に与えられた兵力はまずはそのためにある。目先の勝利や功績に目を奪われてそこを見誤り、貴重な兵力を浪費するような事があってはならん」


 ザウアー元帥の言葉には数十年の軍歴で積み上げられた重みがあった。


「し、しかし」


「もう一つ言っておこう、ツェルナー中将。指揮官の無能と命を軽んじる姿勢以上に軍の規律を乱し、士気を低下させる要素は無い」


 ザウアー元帥が冷厳たる口調で言った。


 それに気圧されたのか、あるいは形勢不利を悟ったのか、ツェルナー中将はそれ以上の発言はせず、小さく頷くと席に着いた。

 それで場の空気は決まったようだ。他の貴族艦隊の提督達も委縮したような顔をしている。


 カシーク提督が不興を買う事を承知でまずザウアー元帥を議論の場に引き出し、それをティーネが引き継ぐ事で、自然と作戦会議はザウアー元帥とティーネが中心になった。


 そしてザウアー元帥は自分が出ない作戦で必要以上に口を出す気が無いのか、主導権はティーネが握る事になる。


 アクス大将は基本的にザウアー元帥を支持する事で消極的なティーネ支持にも傾き、中央艦隊の提督達も真っ当な軍事感覚の持ち主が多いので内心はさておき、作戦内容に関しては概ねティーネを支持する。


 貴族艦隊の提督達も、最上位のパッツドルフ上級大将が作戦に関しては控えめで、一番積極的なツェルナー中将も最初にやり込められてしまったため、勢いがない。


 ついでにパッツドルフ上級大将に次ぐ最有力者であろう私が表向き事態を静観しているので、作戦会議は特にこじれる事無く進んで行った。

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