第五十話 かつて誰かが辿った歴史-連盟side

 事後処理のための一通りの指示を出し終えたショウ・カズサワは司令官シートへと座り込みうなだれた。


 彼は帝国側の提督達が感じていたほどに終始余裕を持って帝国軍の攻撃を凌いでいた訳では無かった。彼はほとんど霊感じみた鋭さで帝国艦隊の動きを予想し、その先手を打っていたが、それを確実に実行に移し続けるには敵と比べて味方の掌握の度合いが不足していた。もしどこか一手でも誤ればその差は艦隊の動きの違いとして顕著に表れ、フォローし切る事が出来ず連鎖的に全てが崩壊していただろう。


 ほんの短い間だったはずだが、ほとんど人知の極限と思えるような戦術指揮を絞り出した彼の頭脳はオーバーヒートを起こしてその疲労を全身に波及させていた。しかもそこに追い打ちを掛けるように、今まで戦っていた敵将の正体を明かす帝国側からのオープン通信が流れて来る。


「退役する訳には行かなくなってしまったなあ、これで……何でこうなるんだ本当に」


 彼は誰にも聞こえないような小声でそう呟いた。もっとも他の人間の耳に届いた所で、その言葉に込められた真の意味を介する人間は、少なくともこの艦橋にはいなかっただろうが。


 艦橋にいる人間達は、今や驚嘆と尊敬と数奇が入り混じった視線をこの若い司令官代理に対して集めている。

 連盟の異才、ヴァレリアン・メローの名声は虚飾であり、今までずっと目立つ事無く影のようにその下にいたショウ・カズサワこそがその名声と功績の源泉だった———口にこそ出さないが、その戦術指揮の閃きを直接見せ付けられた艦橋スタッフ達と各任務群司令の中にはそう確信する者達が数多くいた。


 逆に艦橋スタッフ達から無言の内に疑惑と軽蔑が入り混じった視線を向けられるようになったメロー自身は、そんな事など気にしてもいないようにショウへと声を掛けて来る。


「ご苦労だったな、カズサワ。この先は私でも大丈夫だ、指揮を替わろう」


 青ざめた表情を振り払い、しっかりとした様子で話すメローをショウは興味深げに見やった。


「では、お言葉に甘えます。しかし、この先と言えば今回の越権行為の責任に付いて考えなくてはなりません」


 司令官が健在であるのに艦隊指揮の責任を放棄し、さらに指揮権の序列を無視して参謀長が指揮を執る、と言うのは重大な軍規違反だった。総司令官であるメロー自身が命じた事だ、で収まる案件ではない。


「それに関しては、君が心配する事は無い。全ては私の指示だ。私が責任を取る」


 メローが強い口調で言い切った。


「良いのですか?」


「けじめを付けるだけだ。それにな、私は正直ほっとしているのだよ。今回の事が君が退役していなくなった後でなくて良かった、とな。もしそうなっていたら、私の艦隊は全滅していたかもしれない」


 自分が何を失ったのか理解していない訳でもないし、開き直った訳でもない。その言葉と瞳に宿る責任感のこもった光は、どうやら彼が今回の経験を通して精神的な脱皮を成し遂げた事を示す物であるらしい。


 惜しいな、とショウは思った。


 メロー自身が最初から用兵家としての名声に執着する事無く、こんな風にただ部下の能力を引き出すタイプの軍人に徹する事が出来ていれば、彼は本当の意味で歴史に名を残すにふさわしい名将になれたかもしれない。


「だから君も君の責任を果たしてくれないか。これは命令ではなく、頼みだと思ってほしい。言えた義理ではないが」


「分かりました」


 ショウは即答した。


「意外だな。もっと渋るかと思っていた」


「自分にも今回の戦いで色々と思う事がありましたので」


 胸中にあるのはあの敵将の事だけでも無かった。基本的にショウは情熱に薄い男だったが、それでも上官にここまで言われれば多少は心が動かされもする。


 自分も今まで、楽をし過ぎていたのだろう。


 ショウの返答をどう受け取ったのかメローは頷き、ショウの代わりに司令官席に戻ると、てきぱきと事後処理の指示を出し始める。その手際はショウよりも良い物だった。


 ショウが本来の自分の席に戻ると、ロベルティナ・アンブリスとジェームズ・クウォークの二人から通信が入っていた。


「二人とも、お疲れ様」


「思った以上の犠牲を出してしまいました。すみません」


 ジェームズが神妙な顔で答える。ロベルティナの方は肩を落とし俯いてあからさまに落ち込んでいた。


「いや、あの程度の被害で済んでまだ良かったよ。あの分艦隊の方はそこまで手強い相手でもないだろう、と判断して何の策も授けなかった私が悪かった」


「あそこまでの戦い方を見る限り、正攻法での攻勢に長けた指揮官だと私も判断していましたね。まさかあんな罠をしかもあれだけ手際よく仕掛けて来るとは思っていませんでした」


「よほど柔軟な指揮官なのか、それともあちらも途中で指揮官が代わったのか……敵第七艦隊の方も指揮官はとんでもない名将揃いだったし、少し情報を集めたい物だね……ロベルティナの方はどうしたんだい?」


「うっ……」


 ロベルティナはびくりと体を震わせて恐る恐ると言う様子で顔を上げた。


「だ、だって敵の罠にはまって私の艦隊は散々にやられて、おまけにジェームズの艦隊が割って入ってくれてどうにか逃げられて……ジェームズが最後まで残ったからてっきり死んじゃうかと……」


 配下の死も自分自身の死も恐れていないかのように思える彼女だが、自分の失態で大打撃を受けたのはさすがに堪えるらしい。

 あるいはジェームズが九死に一生を得た事の方に動揺しているのか。


 ショウ自身、彼ら二人が生き残った事に安堵している事を自覚せざるを得ない。


 他者に「死ね」と命令するのが軍人である以上、例え友人であっても戦場での死に心を動かしてはならないはずだが、しかし現実にはそう簡単に割り切る事は出来なかった。


「ま、勝敗は兵家の常。今回は相手が上手だった、と言うだけの事でしょう。私も油断していた節がありましたし、本当にこの程度で済んでまだ良かった」


 ジェームズが慰めるように言った。


 相手の意図はさておき、敵の分艦隊が最後であれ以上の包囲や追撃を試みず、二人を見逃すように動いてくれたのは本当に幸いだった、とショウも思った。


 もしこの戦いで二人の内のどちらかでも戦死していれば、戦場であの少女と再会する事になった現実をどう受け止めればいいかショウはますます分からなくなっていただろう。


 ……さしものショウ・カズサワも神ならざる身である以上、知る由も無かった。


 本当は、かつて誰かが辿った歴史ではこの戦いでジェームズ・クウォークは戦死している事を。

 彼の死がこの先のショウとロベルティナに暗い影を落とし、そしてクレメンティーネ・フォン・エーベルスとの間でも大きな亀裂が生まれるきっかけの一つになる事を。

 そしてそうなるはずだった運命を、帝国のもう一人の少女提督が知らず知らずの内に変えてしまったと言う事を。


「ま、これに懲りたらロベルティナももう少し慎重とか警戒とかそう言う意味の言葉を憶えて欲しいですね」


「ううー……」


 ジェームズがからかうように言い、ロベルティナはいやいやするように頭を振った。


 今回の経験でこの二人ももう一つ上の軍人になるだろう、とショウは思った。


 帝国歴三四〇年(銀河歴五七〇年)五月八日から九日にかけて行われたシュテファン星系会戦は連盟艦隊の撤退によって幕を閉じた。

 投入された戦力は帝国側が戦闘艦艇及び揚陸艦が約七千隻、連盟側が戦闘艦艇四千隻。

 撃沈、あるいは大破した艦艇が帝国は三千隻余、連盟は千五百隻余。戦死者は帝国が四十五万名余、連盟は二十万名余。


 帝国は連盟の約二倍の損害を出し、さらに艦隊司令官であった二人の大将を始めとする数多くの高級指揮官を失ったが、最終的にはシュテファン星系主要惑星を占領し、当初の作戦目標の達成に成功した。

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