第百二話 エウフェミア先生の戦争法規論
「戦争と言うのは悲惨な物だが、それでも大抵の場合ある程度のルールに従って行われてきた。もちろん時たま、あるいはしばしば破られてきたが、それでも戦争に関するルールが他のルールと比べて特別際立って頻繁に破られてきた訳じゃ無い。例えばかつて地球上で行われたもっとも悲惨な戦争の一つとされる第二次世界大戦———この戦争に関してはあるいは私より君の方が感覚的に身近かもしれないが———それでだって、無差別な都市破壊、捕虜や民間人の虐殺、略奪などは数えきれないほど起きたが、それでもあらゆる戦場でルール無用の殺し合いが常に行われてきた訳じゃ無かった。あの戦争全体を通して見れば降伏後に問答無用で処刑されたり結果的に餓死や凍死した捕虜より、最後には祖国に戻れた捕虜の方がずっと多かったのは自明の事だ。戦争では確かにおびただしい血が流れるが、それでも戦争その物は大量処刑や虐殺やジェノサイドとは明らかに別の物だ。こんな事を言うと一部の『真面目な人達』は反発するかもしれないがね」
「おかしいですね」
私はそこで口を挟んだ。
「何がだい?」
「戦争と言うのは殺し合いのはずです。そこでどうして程度に差こそあれ、お互いにルールを守る……言ってしまえば加減する、と言う事が起こるんですか?」
「その質問には歴史や地域によって色々答えはあるが、今回はほとんど不変と言える二つの理由から答えておこう。まず逆説的に言えば戦争と言うのはまさに凄惨な殺し合いであるからこそルールが必要になるんだ。つまり戦う相手ではなく自分達の軍隊を守るためにルールがいる」
「自分達の軍隊を守るため?」
「戦争と言うのは確かに殺し合いだ。そして集団で殺し合うと言うのは人間が行う行動の中でもっとも人間を恐怖させ混乱させる行為だろう。しかし同時に戦争と言うのは人間が行う中でもっとも組織化し規律の取れた活動でなければならない。何故ならまず戦争と言うのはより協調し、よりチームワークが備わった人間で構成された軍隊の方が有利な物だからだ。個人的に恨みも何もない人間を積極的に殺したがる人間は普通は滅多にいないし、そんな人間ばかり集めて武器を持たせれば出来上がるのは軍隊じゃなく最悪に近い暴徒の集団だろう。そんな物は政治の手段としての道具には決してなれない。戦争をするにはどんな目的でどんな条件の元、どんな手段で、誰を殺し、誰を殺してはいけないかをはっきり規定してそれを兵士に守らせなくてはいけない。そしてそれは戦争を殺人と区別するために必要な事なんだ」
「戦争が殺人とは別の物だと?」
人が人を殺す、と言う行為にどんな違いがあるのだろうか。
「少なくとも犯罪ではないと言う意味においてはね。戦争と殺人がどう違うのかはそれぞれの社会や文化によって違う。しかし資格を有した人間によって行われるルールに乗っ取った殺人は合法的でむしろ責任を果たす立派な行為だ、と言う概念はほとんどどの人間社会でも共通なものだ。捕虜の心臓を生贄として捧げるアステカや、捕虜に腹を切らせた上で首を斬る事を美徳にした日本の武士社会だって、それが彼らのルールだっただけでそれに反して人を殺せば罪には問われただろう。だからこそ兵士の大半は戦争中に限っては自分は正しいと信じて他者を殺す事が出来るし、戦争が終われば人殺しをやめられる。そこの境界が曖昧な社会は崩壊するし、戦争は単なる無秩序な暴力になってしまう」
「でもそれらは戦争にルールが必要な理由であっても、そのルールが抑制的な物になる理由にはなりませんよね。逆に言えば文化や社会が許容すれば捕虜や民間人を殺戮する事をルールにした軍隊が生まれるはずです」
「そうだね。そんな風にルールが下振れした軍隊も歴史上確かに存在する。ならば何が戦争のルールを抑制的な物にするのか、あるいは逆にルールを崩壊させていくのだろうか。それが二つ目の理由だ。そして今の私達にも直接かかわってくる。それは何だと思う?」
「えーっと……人道や良心、正義の意識と言うのもあるでしょうけど、その辺りが軍隊を制御する上でメインになる事はあまりないでしょうから……相手との間で何が勝利かを決めて戦争を終わらせるため、ですか?」
しばらく考えた上で私は答えた。先生が満足げに頷く。
「その通りだ。戦争の目的にもよるが、兵士達が最後の最後まで一人残らず戦い、敵対する国の人間を皆殺しにしたり、敵の所有物を全て破壊し尽くす事をやるような軍隊は滅多にいない。大抵そんな事をすれば双方とも死体の山と不毛の地が出来るだけで利点が無いからだ。戦争は殺した人間の数と破壊した兵器の数で勝敗を決める点数式のゲームじゃない。ナポレオンが始め、クラウゼヴィッツが分析し理解した意味での戦略———つまりある方面での作戦を成功させるために戦闘を行う、と言う形式での戦争が一般的になって以降、戦いの様相は特にそれが明白になった。つまり敵の側面に回り、包囲し、退路と補給を断ち、直接の戦闘をなるべく減らして敵を降伏させる事が目的になる事が多くなった。そのために軍隊の機動と同じぐらい重要なのは包囲された側が敗北を認め、決まった手順によって降伏の意思を表明し、包囲した側がそれを受け入れる事だ。そのプロセスが上手く作用しなければ、双方は非効率な死闘を続ける事になる。取り分け敵の基本戦術が非正規戦の場合、戦況が泥沼化しやすいのは彼らがだいたいの場合決まった拠点を持たず、包囲して降伏させると言うのが困難だからだ。これは作戦レベル以上の戦争全体にも言える事だ。戦争の勝利にどんな意味があるかは、実際の具体的な結果だけでなく、戦う双方の側がどんな基準で負けを認めるかと言うルールによっても決まる」
先生はいつになく雄弁だった。
私はその先生の雄弁さにわずかに違和感を覚える。
「帝国と連盟の戦争にそれを当てはめるとどうなるんでしょう」
だけどその違和感の正体はつかめず、私はほとんど相槌の様にそう尋ねた。
「さっきも言ったがこの戦争は帝国、連盟共に比較的抑制気味だ。民主主義国家の連盟はもちろん、帝国でも指揮官が有人惑星に核攻撃を仕掛けたりすれば例え大貴族であっても非難され、恐らく断罪されるだろう。長く戦争を続けながらそこまで両国が理性を保っている要因としては、まずこの戦争では人類がかつて行った他のどんな戦争よりも戦闘員と非戦闘員の区別が容易だと言う事が上げられる。宇宙空間の大規模な艦隊戦では民間人が戦場に紛れ込む事は滅多に無いし、どちらかがよほど悪意を持って行動しない限りその民間人が戦闘に巻き込まれる事も無い。そして制宙圏を失い、艦隊展開能力も喪失した惑星は地上の残存戦力の有無に関わらずほぼ戦略的には無力化される事が明らかになって以降、地上には大規模な守備隊はあまり置かれなくなり、わずかな守備隊も艦隊の敗北と共に撤退するか降伏するのが通例となっている。これは戦争の構造がそもそもそうであると言うのもあるけど、同時に戦争の初期において戦いを艦隊決戦とそれに伴うエーテル宙域の確保に絞り、凄惨な地上戦はそれ自体が無意味だと証明した大帝の功績だな。以前も言った通り、私はそれがある意味では失敗だった、とも思っているが」
「つまりかつて地上では敵軍を包囲して戦わず降伏させるのが戦争の主な戦い方であったように、この戦争では敵艦隊を排除する事によって宙域を確保し、戦わず敵惑星を降伏させるのが主な戦い方になっている、と言う事ですね」
「そう。さらに言えば帝国は連盟に不当に占領された土地と民衆の解放を、連盟側は帝国の圧政からの民衆の保護を大義名分にしている。つまり構造的にどちらも前線の民間人達を敵と見なしようがない。民間人の犠牲を伴う地上攻撃なんて物を大々的にやればどうしたって軍隊も社会も戦争自体に疑問を抱き始めるだろう。つまり帝国も連盟も互いに凄惨な殺戮などやる必要もないし出来ないはずなのさ、原則的にはね」
それでもルールを破る者は双方に少なからずいたのだけど、と先生は付け足し一息吐いた。
銀河悪役令嬢伝説~破滅した悪役令嬢に転生して二人の天才と渡り合い、二分された銀河をなるべく平和的に統一しろと無茶ぶりされました~ マット岸田 @mat-kishida
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