第百三話 死と戦争と

 そこまでの話を聞きながら、やはり先生の喋り方に私は違和感を覚えていた。

 この人の長広舌はいつもの事ではあるけど、今回は妙に熱がこもっていると言うか、喋り方に焦りが滲み出ている気がする。


「どうかしたかい?」


 私の視線に気付いたのか、先生が首をかしげる。


「いえ……まとめると帝国と連盟の戦争はさほどエスカレートしていないからこそ、和平の可能性はある、と?」


 私はひとまず話を進めようとした。


「そうだね。歴史上、戦争における暴力行為がエスカレートし、ある段階に達した時、戦争の目的は当初の政治的な物を超えるようになる。双方の生命、財産の犠牲が大きくなればなるほど、それらの犠牲が不平等条約の改正や、一地方の帰属や隣国の安全保障、国際的な秩序、生存圏の拡大と言った理性的な目的のためであった事に誰もが納得しなくなり、戦争のスローガンはいつのまにか国家や民族の存亡と言ったヒステリックで大仰な物に置き換わる。そうなってしまえば戦争は両者が戦争に次ぎ込める物理的なリソースを使い果たし、人間が行える暴力行為の限界に達した後で、失血死寸前の二つの国家の内、まだ流せる血が残っている方がどうにか勝ち名乗りを上げる、と言う無惨な結果しか望めなくなる。帝国と連盟の戦争がそこまでの段階に進んでいないのは行幸と言えるだろうね。まだ双方、本気で相手が自国を滅亡させに来るとは思っていない。ま、逆に言えば帝国と連盟はこの三百年間、双方が持続可能な規模での戦争を意図的に続けて来たとも言えるのだけど」


「帝国から見た場合、この戦争が何故続いているのかは私にも分かります。それを解消する方法も今までに話し合ってきました。では、連盟から見た場合、何が戦争を終わらせる事を難しくして、それはどうすれば解消出来るんです?」


「安全保障を始めとした国家間の権益と言う視点で見れば帝国のそれは連盟の裏返しだ。三星系の独立によってある程度は解消し得るだろう。連盟が帝国と違うのはあの国が民主主義国家であると言う点だ。つまり帝国以上に国民感情を無視して講和を行う事が出来ない。これも私より君の方が感覚としては理解出来るんじゃないか?かつての地球でもっとも民主主義が機能していた時代と地域を経験したんだろう?」


「あの頃の私はまだ選挙権も無い学生だったので……まあそれでも何となく分かりますけど」


「連盟と帝国の戦争による犠牲者の累計は直接的な物だけでも十五億人とも二十億人とも言われている。それでも戦争の期間と規模とを考えれば少ない方ではあるんだろうが。独裁君主であろうと選挙で選ばれた元首だろうと戦争において政治指導者は必ず、『何故彼らは危険な戦場に出向き、死ななければいけなかった』のかを説明する必要に迫られる。帝都にある戦没者墓地に向かってあそこに足を運ぶ人達を観察してみればいい。この帝国ですら、遺族達が決して自分の家族達の戦死と言う現実と折り合いを付けられていない事が分かるだろう。ましてや市民一人一人が政治に影響力を持つ連盟では、だ。『銀河の自由と正義のために絶対に打ち倒さなくてはならない相手』と言うスローガンの元、何億と言う犠牲を払った戦争の結末がその相手との和平と言う事に納得させるのは簡単な事じゃない。それが出来るのなら何故こんな戦争を始めたんだ、と誰もが思うだろう」


「でもそれじゃあ、いつまでも経っても無駄に犠牲が増えるだけですよ」


「そうかもしれない。だけど同時に、そんな事は、すでに死んでしまった人間や、すでに大切な人間を失った人間には、何の関係も無い事なんだよ、ヒルト」


 先生が半ば冷然とした、もう半分はどこか哀しいような口調でそう言い切った。


「それは……」


「摩擦や戦場の霧と言った不確定要素とはまた別の次元で、戦争が計算し尽くされた合理的戦略性では御し切れない最大の理由の一つはそこなんだ。どれだけ賢明で抑制的な戦い方をしようとも、どれだけ最小限の犠牲で最大の効果を上げようとも、戦争は本来その時には死ななかったはずの人間が死ぬ事でしか成立しえない。そして合理性では人間の死と言う物に向き合う事は出来ない。戦争の終わらせ方、と言う物は最後の最後には戦略の外にあるんだ」


「……どうすればそこで人は折り合いを付けられるんでしょうか?」


「それに関する明確な答えを私は持たないよ。私は戦略に関してはそれなりに自信があるし、ひょっとしたら戦略の天才なのかも知れないが、戦争と言う物はその私にだって手に負えない事がある物だ。その部分に対処するのは多分人間が持つカリスマとか人望とか器とか言った物なのだろう。恐らく君やエーベルス伯であれば、三百年以上続いた戦争を終わらせる事について、帝国の人間に納得させる事はどうにか出来るだろう、とは思う。連盟側にそれが出来る人間がいるのかは分からないな」


「明確な、って事は何か方針ぐらいは浮かんでいるんじゃ?」


 私はふと思い付いてそう尋ねると先生は肩を竦めた。


「そりゃあ無くも無いが、現時点では実現可能性があるかどうかも分からない方策を伝えたって大した意味はあるまい。今私が想起している解決法が何年か後でも有効とは限らないし、ましてや帝国じゃなく連盟の政治情勢まで関わってくる話だ。私に出来るのは現時点での正確な分析と分析のための思考法を君に伝える事だけだよ」


 そして予想通りの答えだった。


「以前も思いましたけど、まるで何年か先には先生がいないみたいな口ぶりですね」


 だからかなりの勇気を要しながら、私はそう言った。


「何故分かった、と言いたい所だが、自分でばらしたような物だったか。少し焦りが出てたな。まあでも、遠からず君には話そうと思っていたし、ちょうどいいか。働けなくなる前に君の下で出世して年金生活に入ろうと企んでいたが、思った以上に残った時間は無かったみたいだ」


 一瞬きょとんとしたような顔をした後、先生は今度は軽く微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る