第四十五話 伝説の夜明け-シュテファン星系会戦⑩-連盟side
連盟第三艦隊は突然の狂騒に包まれていた。
ここまでほとんど一方的に戦いを進め、最後は優勢な戦力で残る敵を追い詰めるはずが、突然の敵の反撃により友軍は敗走し、再び数で上回った敵が悠然とこちらに突き進んでくる。
何故こんな事になったのだ、と司令官席でヴァレリアン・メローは青ざめていた。
ほんの数時間前まで、彼は勝利を確信するのを通り越して、ほとんど完勝の余韻に浸っていた。
それがまさか、最後の詰めの段階になってこんな転落を味わう事になるとは。
彼が信頼する———信頼していたはずの参謀長がここに至るまでに放った数々の警句が頭をよぎった。
自分は何故、今回に限って彼の進言を退けてしまったのだ。得られたあまりの大きな戦果に、それが自分の能力による物だと一瞬でも錯覚してしまったのか。
自分に軍人としての価値があるとすれば、それはショウ・カズサワと言う男の進言をそのまま実行する事以外になかったはずなのに……
「カズサワ准将」
かなりの精神エネルギーの消費を感じながら、それでもメローはショウに声を掛けた。ショウが自分を非難するような表情を向けて来ない事が、まだ救いだった。
「はい?」
「敵が向かってくるが、どうすれば良いか、君の意見はあるか」
「どうするも何も、こうなっては迎え撃つしかないでしょう。今から逃げれば強力な追撃を受けますし、第五艦隊の残存艦を見捨てる事にもなります」
連盟第五艦隊旗艦チェルノボグは被弾し、指揮官のベロノソフ中将は重傷を負った、と言う報せがすでに入っていた。
「勝算はあるか」
「我々は今の所数では若干の不利ですが、圧倒的劣勢と言う訳でもありません。ここに至っては互いの純粋な戦術指揮が勝負を決するでしょう。まずはとにかく時間を稼いで第五艦隊残存艦の合流を待ち、戦力に組み入れる事です」
そう言われメローは息を呑んだ。
先程第五艦隊をあっけなく撃破した敵の見事極まる艦隊運動。あれに真っ向から対応しろと言うのか。
作戦レベルならまだしも、事が純粋な戦術レベルとなると、全ての艦隊の動かし方にいちいち参謀長の意見を聞く訳にも行かなかった。そんな事をしていては、刻一刻と変化する戦場に対応出来ない。
メローが何かを言おうとした時、オペレーターの緊張した声が響いた。
「敵艦隊、間もなく射程!」
メローは歯ぎしりし、こぶしを握り締めた。
「応戦準備だ!敵を引き付けてから一斉に撃て!」
自身の怯えを振り払うように、メローはそう叫んだ。
「敵艦隊、先頭集団が極端な紡錘陣形でさらに激しく左右に機動しながら突入してきます!」
「敵の動きに惑わされるな!」
メローの言葉は勇ましい物ではあったが、では具体的にどう迎撃すればいいのか、彼はその命令を下す事が出来なかった。
これは無理だな、とショウは思った。
ショウはメロー以上に先程からの敵艦隊の動きを観察し、評価している。
帝国第四艦隊第一分艦隊と識別された艦隊の方は、全体的に練度が低いようで、しかも残存艦を多く組み込んでおり、今の所卓越した艦隊運動は見せてはいない。
指揮官はかなり勇猛果敢かつ自艦隊の力量を正確に把握している優れた用兵家のようで、決して無理はさせず同時に要所で効果的に火力を発揮する事で戦果を挙げているが、これに対処する事は困難では無いだろう。
問題は帝国第七艦隊の方だった。
易々と連盟第五艦隊を切り裂いた、先頭に立っているそれぞれ二百五十隻ほどの二つの分艦隊の見事過ぎる機動と連携。
その切り裂かれた連盟第五艦隊に立ち直る隙を与えず、悠然とした陣形のまま、正確無比な砲撃で次々と打ち砕いて行った後方の本隊千隻。
間違いなくあの艦隊には戦術レベルにおいて「卓越した」と評すべき指揮官が少なくとも三人はおり、それだけでなくその能力を十分に生かせる艦隊練度を持ってもいる。
我らが第三艦隊が艦隊練度でそこまで劣っているとは思いたくないが、それでもメロー中将が対抗するのは無理だろう……とショウは冷徹に評価していた。
ロベルティナとジェームズの二人ならある程度は対抗し得るかもしれないが、あの二人は今の所艦隊内でそれぞれ五十隻ずつの艦を率いる任務部隊司令に過ぎない。
ショウが何か助言した所で、一つや二つの方策で逆転できる相手でも無い。かと言って戦術レベルの細かい所まで全てメローに口出ししても、指揮系統を混乱させるだけだろう。
彼の予想通り、戦いは一時間もしない内にたちまち連盟第三艦隊の劣勢になった。
連盟第五艦隊と比べれば不意を討たれた要素が少なかった分だけまだ崩壊への足音はゆっくりとした物だったが、それでもすでに陣形のかなりの部分を引き裂かれ、各個撃破の憂き目に合おうとしている。
ロベルティナ・アンブリスとジェームズ・クウォークの二人はその中でかなり奮戦していたが、全体から見れば個々の反撃に過ぎなかった。
「敵の艦隊運動に対応し切れません!」
幕僚の一人が悲鳴を上げた。各任務群からはそれぞれ窮状を訴え、指示を求める通信が入っているが、メローは適切な指示を下す事が出来ずにいた。彼が何か指示を出しても、敵はまるで二手三手先を読んでいるかのようにそれをことごとく上回って行く。
艦隊幕僚達からは半ば思考停止をし、無意味に叫ぶ事しか出来なくなったよう見えるメローへの批判的な視線が向けられていた。
我らが司令官は三十代で中将へと昇進した連盟でも屈指の用兵家では無かったのか。それがこの有様はどう言う事か。
メローは青ざめた顔のまま大きく息を吸い、それから幕僚の中で唯一、自分にそんな視線を向ける事無く冷静に戦況を観察しているように見える男の方を見た。
一度目を閉じ、開ける。そして口を開く。その一連の動作の内に、メローの表情は冷静さを取り戻していた。
「カズサワ准将」
「はい」
「君が指揮を執れ」
「はい?」
思わずショウは聞き返した。
「君が直接全艦隊の指揮を執るんだ。あの敵艦隊に対抗するにはそれしかない。私では無理だ」
「いやしかし」
やれと言われてそれをやってのける自信がショウに全く無い訳では無かったが、しかし現実にそれを実行するには多くの制度上の問題点があるはずだった。
連盟軍は帝国軍と違って指揮権に関しては厳格で基本的に融通が利かない。
参謀が艦隊を指揮する事は基本的になく、もし指揮する時があるとすればそれは上位の指揮権を持つ将校たちが全員戦死や負傷などで指揮を執る事が不可能になった場合だけで、今はショウよりも高い指揮権を持つ分隊司令官達が何人もいる。
ましてや最高司令官であるメローが健在であるのに、参謀長がそれを押しのけて指揮するなど聞いた事が無い……と常識的な観点からショウは戸惑った。
「私が許可する。責任は全て私が取る。君がやってくれ」
メローが青ざめた、しかし強い意思が現れた顔でそう言った。
ひょっとしたらそれは、ヴァレリアン・メローと言う男がその長い軍人生活の中でたった一度だけ、軍事的判断においてショウ・カズサワを上回った瞬間だったかもしれない。
この時メローは明らかに自身の個人的利害も軍隊と言う組織の中の常識も全て投げ捨てて、ただ目の前の敵を相手にして勝利を得るための最善の手段を選んでいた。
それを窮した者だけが為せる飛躍———言ってしまえばただのヤケクソの結果であった、と評したり、あるいは単に目の前の精神的重圧から逃れるための逃避行動であった、評する後世の歴史家達もいる。
ショウ自身は公的な場面でメローの能力や人格について語る事はほとんど無かったが、この時の彼の決断について後輩達に尋ねられた時、こう返答している。
“結局あの人は自分の功績や面目のためだけに部下をあれ以上死なせるのが嫌だったんだろうさ”
「分かりました」
それが今まで彼が築き上げてきた軍人としての地位と名誉を擲つ選択かも知れない、と言う事を目の前の上官が良く理解している、と悟ったショウはそう頷いた。
「アンブリス大佐とクウォーク大佐の指揮権を臨時に拡大しますがよろしいですか?」
「構わん、全て君の思うようにやれ」
そう言ってメローは司令官席から立ちあがった。
ショウは頷き、敬礼した後、自身がその席に座る。
艦橋内でざわめきが起こった。それを抑えるようにメローが艦橋スタッフ達を見回す。
「私は第三艦隊参謀長のショウ・カズサワ准将だ」
ショウは全艦隊に向けて通信を開いた。
「艦隊司令のメロー中将が指揮を執る事が困難になったため、代理として私が艦隊指揮を執るよう命令を受けた。本来であればより高位の指揮権を持つ者もいるが、メロー中将との協議の上、私が指揮する事が現状では最善と判断された」
ショウの声は落ち着いていた。彼は今までの戦闘の間、ずっと戦況を観察しながら自分であればどう艦隊を動かすかを思考していた。それを実行に移す機会が来ただけだ。
「アンブリス大佐、クウォーク大佐」
ショウが呼び掛けるとロベルティナとジェームズの二人が通信に出た。
ロベルティナの方は何だか感極まったような顔で、ジェームズの方もようやく待っていた時がやって来た、と言わんばかりの表情で敬礼している。
「一度後方に下がり、合流してきた第五艦隊の残存艦を指揮下に組み込んでくれ。編成が終わった後は二人で敵の分艦隊に当たり、足止めしてくれ。そこまで手強くは無いと思うが、無理はするな。後退の判断はクウォーク大佐がしてくれ」
了解、と二人は勢いよく返答する。
「残る任務部隊は全て私が直接指揮を執る。私の命令は全てメロー中将からの物だと思って従ってくれ。心配するな、すぐに立て直す」
ショウは長々と激励や鼓舞の言葉を並べたりせず、そのまま矢継ぎ早に各任務部隊に指示を出して行った。
各任務部隊の司令官にはショウと同格以上の者もいる。彼らを素直に従わせるためには、とにかく反発を抱く前に迅速かつ適切な命令を下す事だ!
ショウの緻密な指揮に従って、第三艦隊は迅速に分断された陣形を立て直していく。
さて、大口を叩いたが中々の難事を引き受けてしまったぞ、とショウは未だにどこか他人事のように考えていた。
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