第八十一話 ”だけど出来れば、どこかで止まって欲しいな”-連盟side-

「今回の敵の艦隊には、シュテファン星系で戦った四人の提督達がいます。しかもその中の一人、クレメンティ―ネ・フォン・エーベルスは大将に昇進しているようです。仮に彼女がこの侵攻作戦を主導しているとしたら、相手の動きはそんな平凡な物に留まらないでしょう。堅実に軍を進めながらも、どこかで決定的な勝利を得るために大きく意表を突いてくるはずです」


 ハーディングが相手となるとさすがにある程度は本音で語らざるを得ないか、とショウは内心でため息をついた。


「たった一度手合わせしただけの相手を、随分と良く分かったように語るじゃないか」


「……彼女が容易ならない相手なのは一度の戦いで十分に思い知らされましたから」


 答えるショウの言葉にはわずかに澱みが混じっていた。


「女心が分からん事に定評があるお前にも、ようやく理解出来る女が出来たって訳か」


 無論このハーディングの言葉は100%冗談と揶揄で構成されていたが、しかし偶然にもショウの記憶と心の中のもっとも苦い部分を正確に衝いていた。


「見た目は美少女としか言いようがありませんでしたが、敵国の帝位継承権持ちの伯爵閣下相手なんて言うどう考えても障害が多過ぎる恋愛はごめんですね」


 内心の動揺を悟られないよう、ショウは澄まして答えた。


「そりゃもっともだ」


 ハーディングもそれ以上その会話を続けるつもりは無いようだった。


「で、仮に敵が例のお嬢ちゃんだとしたらこっからどう動くね」


「ほぼ同等の戦力でしっかりと守りを固めた相手と正面から戦えば決定的な勝利を得るのは困難でしょう。であれば相手が取るべき方策はこちらが守りを固める前に攻めるか、こちらを戦略レベルで無力化するか、あるいは戦う前にこちらの守りを崩すかです」


「一つ目は……まあ、無いな。それをやるにはさすがに時期を逸している」


「そうですね。それを試みるなら帝国軍が星系に入り、こちらが引き始めたと同時に徹底的な追撃戦を掛けるべきでした。仮に今から全力で攻撃に転じたとしても、援軍が来る前に決定的な勝利を得る事は難しい」


「二つ目、戦略レベルでの無力化ってのはどういう事だ?」


「迂回により帝国軍がこちらと本格的な戦闘を行わないまま三星系を通過し、我々の後方のエーテル航路を遮断する、と言う可能性です」


「可能か?そんな事が」


「これを達成するには事前にいくつかの困難な条件を達成しなくては行けません。つまり帝国軍があちらの動きを完全に隠蔽する事に成功するか、あるいは発見された上で少数の戦力でのこちらの足止めに成功するか。そして後方遮断が成功した上でなお反転してくるであろうこちらの艦隊を挟撃するだけの正面戦力を残せるか」


「机上の空論だな。今の所は」


「ええ、今の所は」


 軽い口調で語るハーディングに対し、ショウはやや慎重な口調だった。


 先入観や楽観から生み出された誤った現状認識と作戦指導により、戦術レベルでは強力であったはずの戦力が全くその効果を発揮しないまま戦略レベルで無力化されてしまった例は数多く存在する。

 故にショウはそれらの可能性を最初から完全に排除する事の危険性を知っていたが、今はそれについて深く論じる状況でも無い。


「で、三つ目。戦わずどうやってこちらの守りを崩す?」


 ハーディングは明らかに楽しんでいる様子だった。


「色々と可能性はありますが、単純かつ効果的な手が一つ」


「それは?」


「ある程度侵攻し、攻勢の限界点に達する前に、先に掌握を終えたゼベディオス星系まで退きます」


「そこまで無抵抗で星系に侵入され、しかもゼベディオスを改めて固められる構えを見せられれば、連盟軍は全力で追撃せざるを得ない、って事か」


 少しだけハーディングの表情に真剣さが加わった。


「ええ。それで連盟軍の守りの構えは崩れます。帝国軍を引きこもうとしていた連盟軍が、逆に引き込まれる事になる」


「確かにそうなったら上の連中は、即刻追撃しないと納得しないだろうな。だが、帝国軍の方はそこまで整然と揃って退却出来るのか?戦いながら退くのは口で言うほど簡単じゃない。まして向こうは貴族と職業軍人の寄り合い所帯だ」


「ええ。撤退に手間取れば各個撃破される結果になります。言うほど簡単な事ではありませんね。だからこそ、こちらは追撃を止められないのですが。ただ、もし艦隊の掌握に無理があると感じれば彼女はそもそも最初からこの作戦は取らないでしょう」


 これだけの大軍で侵攻しておきながら一度も戦わずして退く、と言う作戦を帝国の職業軍人達や大貴族達は素直に肯ずるのか。そして反発が生まれた時、それを抑え、御するだけの影響力と統率力を彼女は有しているのか。


『彼女』個人の事は良く知っていても、帝国艦隊の内情までは、詳しくは分からない。


「例のお嬢ちゃんは、最有力の提督の一人ではあっても、総大将じゃない。向こうの指揮官は飾り物の大貴族だ。そこが、実戦でどう効いて来るか、だな」


 ハーディングの方は、すでに敵がどこかで撤退して勝負を掛けてくる、と言う前提で考えているようだった。


「もし、最悪の想定通りに動いて来たらどうします?」


「まあ、不利な戦いになるならなるで仕方あるまい。一応お前の見解はオティエノ大将には伝えとくよ。それでどうにかなるもんでもないだろうが。敵はこっちの思い通りには動いてくれんもんさ。とりわけ戦いが始まる前はな」


 予想通りの答えだった。


 やはりハーディングは戦争の勝敗は最後には戦場で決する物、と言う意識が強いようだった。

 それは間違ってはいない。ある面においては、戦いの真理である。

 戦争とは敵対する相手をコントロールしようと試みる行為であり、そして直接的な武力の行使以外で相手をコントロールするのは不可能ではないにせよ非常に難しいのだ。


「分艦隊の方はどうだ?物になりそうか」


「運営はジェームズが、訓練はロベルティナが良くやってくれています。急ごしらえの艦隊ですが、第十艦隊本隊に付いていける程度には」


 こと、兵の訓練に関してはロベルティナには特に卓越した能力があった。


 精強な兵士を育てるには兵士を心身をぎりぎりにまで追い込むだけでなく、個性を殺し、同時に高い自尊心を身に付けさせる必要があるが、それらを成立させる完全な訓練法を編み出せた軍隊は歴史上にもそう多くはない。

 ロベルティナの一見粗野で過激にも思える指導で、何故ああも理想的な兵士が育つのかと考えれば、最後は人徳、とショウも認めざるを得なかった(不承不承ながらではあるが)。


「いずれあの二人も分艦隊司令やそれ以上に上げるからな。あまり頼りすぎるなよ」


「ジェームズはまだしもロベルティナを一個艦隊の司令ですか。あまりぞっとしませんね」


「お前が上にいれば大丈夫だろうよ」


 暗にショウにはさらなる昇格を期待している事を示唆し、ハーディングは笑った。


 食事を終えた後ハーディングと別れ、ショウは司令部で自分にあてがわれた部屋へと戻った。

 仕事机の椅子ではなくベッドに腰かけ、目を閉じると様々な思考が頭をよぎる。


 ハーディングやジェームズ、ロベルティナと語る事もいい刺激にはなるが、やはり最後は自分一人で考えをまとめたい。

 彼ら彼女らが相手でも、語れない事はあるのだ。


 ショウはシュテファン星系会戦の後、連盟軍情報部が入手して来た『彼女』の情報を手元に映し出した。

 軍に入るまでの簡単な経歴と、それ以降のやや曖昧な部分が残る軍歴、そして彼女の顔写真が映し出される。


「クレメンティーネ・フォン・エーベルス、か。どこの誰にはか知らないけど、中々いい名前を付けてもらったみたいじゃないか」


 連盟軍情報部が彼女に関する一般的な情報しか提供してこないのは、彼らも彼女の過去を調べ切れていないからなのか、それとも意図的に伏せているのか。


「帝国伯爵、帝国軍大将、戦略機動艦隊ツェトデーエフ三星系方面司令官……ほんの十年足らずで、か」


 携帯端末を投げ捨てると、ショウはベッドに寝転がる。


 帝国の次期皇帝へと昇る事すらあり得る身分だった。

 彼女自身が立ち止まるか、あるいは帝国か連盟に彼女を止められる人間が出て来ない限り、彼女は間違いなくそこへとたどり着くだろう。

 彼女がそう言う人間であり、それだけの能力を持っていると言う事を、ショウは良く知っていた。


 そして帝国皇帝となった後の彼女は———。


 全く想定していなかった訳ではない。だからいずれ彼女が帝国で頭角を現した時、それを止められるようにショウは好まずして軍人と言う職を選び、仮に退役しても即座の現役復帰が容易な少将の地位にまでは昇進しようとしていた。


「だけど出来れば、どこかで止まって欲しいな」


 天井を見上げながらショウはそう呟いた。


 一度助けた相手を、責任を取って今度は殺す、なんて皮肉な事は、出来ればごめん被りたいのだから———。


 そこまで、口に出す事はしなかった。

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