第二十五話 エウフェミア先生の戦略講座(第一回)

「軍事的手段のみでこの戦争を終わらせられない事は分かります。でも、和平の方も現状ではほぼ実行不可能だと言われるんですね」


 私はエウフェミア先生の言葉を頭の中で反芻してからそう訊ねた。


「銀河の自由と平等の守護者を自認する連盟は専制君主国家を政治体制として認めていない。少なくとも銀河の半分を支配する存在としてはね。それを認めてしまったら連盟の存在意義自体が消滅する。連盟の存在が地球統一政府を始めとした数多の有力勢力の利権の温床となっている現状では帝国と連盟の平和共存はあり得ない。その論文には書かなかった事だがね」


「先生の話を聞いていると、どちらの解決手段も手詰まりのように聞こえますが」


「それでも困難な事の解決に挑戦して失敗するのなら、手段としては戦争よりも政治に重きに置いた方がいい。その方が往々にして失敗の結果が致命的になりづらいからね」


「では、政治による解決のために必要な条件は?」


「それを揃える事が現実には不可能だ。だから結局の所、その論文には何の実際的価値も無い」


「先生の立場ではそうでしょうね。私の立場からだったら、どうでしょうか?」


 私がそう言うと先生はしばらく口を閉じた。


「先生」


 私が声を掛けると先生は椅子に座り、私とエアハルトにもそれぞれ椅子を勧めて来た。


「本気で言っているのか?ヒルトラウト」


「はい。この戦争そろそろどうにかして終わらせなければ行けない、と私は本気で考えています」


 私は椅子に座ってからそう言った。エアハルトは勧めを断り、私の後ろに立っている。


「で、私に手を貸せと?」


「はい」


「随分と高く買ってくれたものだ。私は不遇を囲って頭の中で机上の空論を弄り回しているだけの予備役大尉だと言うのに」


「良く言いますよ。本当は戦略に関して自分より上だと思う軍人に出会った事はないでしょう?もしいるなら紹介してもらいたいですけど」


 98もあればなあ……


 私の言葉に先生は不敵な目を向けて来た。


「確かにそれは否定できないが、だからと言って私が君に手を貸す理由があるのか?そんな煩わしくて面倒くさい事を私がやるとでも?」


「やりますよ」


「何故そう思う?」


「先生は内心この戦争とこの国の現状を深く憂いて、無駄に流れる血の事で心を痛めていて、それでもそれを何とかするために軍の組織の中で上手く立ち回っていけない自分の事を、本当は腹立たしく思っている人だからですよ」


 私は確信を込めて答えた。

 先生が本当にただ怠惰で捻くれただけの人間でなら、ヒルトの前世で死を賭して激しい諫言を行い、あんな悲惨な最期を遂げる事は無かったはずだ。


 私の言葉に、先生は意表を衝かれたような顔を一瞬し、それから黙り込んだ。


「地位も権力もありこれから出世していく人間の参謀になってこの戦争を動かす。先生にとっては願ったり叶ったりじゃありません?しかも先生の問題児ぶりには目を瞑ってくれる上官ですよ?」


「君にそこまで人を見る目があったとは意外だったな。それに、何だか考え方も私が教えていた時とはまるで別人のように思える。一体何があった?」


 すぐに余裕を取り戻したように先生はそう訊ねて来た。

 くっ、鋭い。


「私が変わったとしたら、実際に士官として戦場に出て、戦争に触れたせい……って所ですかね」


「ふうん……」


 先生はしばらく探るような目つきでこちらを見て来た。


「ま、いいだろう。一瞬偽物に成り代わられているのかとでも思ったが、それならそっちのお付き君が気付くだろう。それに君が仮に偽物だとしても私に何か不利益がある訳じゃない」


 はい、当たってまーす。


「しかし私に手を貸せ、か」


 先生は机の上にあった酒瓶を手に取り、そこからグラスに一杯注いだ。しかし飲む事はしない。


「君は、いや君達はこの神聖ルッジイタ帝国に付いて、どう思う?」


 先生はこの人らしくもなく、少し慎重にそう訊ねて来た。


「どんな政体であろうとも国家と言う物はそこに住んでいる人間のためにあるべきもの。帝国は自身がその務めを果たせているか我が身を顧みるべきでしょうね」


 私も慎重に答えた。


「私は、ヒルト様のお考えに従うまでです」


 エアハルトは私の返答の後で、すぐにそう答えた。


「ふむ……ま、本音かどうかはさておき、ギリギリ期待を満たしてくれる程度の答えではある。知恵を貸すぐらいならしてやってもいいか」


「ありがとうございます」


「さてそれじゃひとまずもう少し現状を整理しようか」


 先生は大型の3Dディスプレイに銀河の勢力図を表示した。


「勢力比的には連盟55に対し帝国45でやや帝国不利と言った所か。そしてその勢力比が連盟側に傾いている最大の要因にして三百年来の係争地がここ、ツェトデーエフ三星系と呼ばれる三つの星系だ」


 連盟側の星系の内、帝国との境界にある三つの星系が点滅した。


「大小一六の有人惑星と推定二〇億の人口を有すると言われる、現在は連盟領に所属する三星系。ここ三二〇年で行われた帝国と連盟の戦いの内、実に八割はこの星系を巡って行われた物だと言われている。ここが係争地となっている由来は知っているな?」


「アルフォンス大帝の時代に帝国領に編入されて……大帝没後の混乱に乗じて連盟が攻め取った星系、と言う事で帝国に取ってはここの奪還が国是となってますね」


 アルフォンスの人気は未だに大貴族から庶民に至るまで帝国の間では絶大で、その死に乗じた連盟の卑怯な振る舞いは許しがたい、と言う空気はそれから三〇〇年経っても抜けていなかった。


 三星系の奪取は諦めよう、とは最早当代の皇帝であっても言い出せない雰囲気だ。


「その通り。逆に連盟に取ってはこの星系は帝国に対する優位の要で、連盟本土への侵攻を防ぐための壁でもある。お互い絶対に譲れない場所と言う訳だ。この三星系の存在が無ければ、あるいは帝国と連盟の争いは冷戦止まりだったかもしれないな。希望的観測だが」


「少なくとも大帝の治世の間は帝国と連盟の戦いは止まっていました。大帝はそれが自分の死後もずっと続くと思っていたんでしょうか?」


「あの現実主義者で有名な大帝がそこまで夢見ていたとは思わないね。しかしまさか自分が死んだ途端に戦いが再開し、そのまま三〇〇年以上もの間、一度も公的な休戦をする事も無くだらだら戦い続けるとも思っていなかっただろう」


 そう言ってから先生は少し息を付き、注いだアルコールはそのままに新しくお茶を淹れた。


「飲むかい?出がらしだが」


「頂きます」


 私の分も淹れてもらった。エアハルトはやはり遠慮する。

 一口飲んでみる。無茶苦茶薄い。


「大帝が失敗したとしたら、それは彼が独裁者になった事とか、貴族制を導入した事などでは無くて、彼があまりに鮮やかに一方的に艦隊戦で勝ち過ぎた事だろうな。それによって地球はルッジイタを打ち破るにあたって最大の障壁は彼個人とそれが率いる艦隊である、と錯覚してしまった。言い換えればルッジイタと地球の問題は艦隊決戦の勝利によって解決可能な問題である、と思い込んでしまったんだ」


 自分もお茶を一口飲み、先生は少し感慨深げに言った。


「もしルッジイタと地球の戦いが最初から泥沼化した地上戦と化していたら、それで地球側はさほど時を掛けずに認めただろう。これだけ地球から遠く離れた土地で起こった独立戦争を軍事的手段で鎮圧する事は不可能だ、と。結果論に過ぎないし、そうなっていれば少なくとも戦争序盤の民間人の犠牲は比較にならないほど増えただろうけどな」


 こう言うのだよ、こう言うの。

 戦略家によるロジカルでシニカルで俯瞰的な歴史観を交えた現状の解説。

 私はこう言うシチュエーションを待っていたんだ。

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