第二十六話 エウフェミア先生の戦略講座(第二回)
「……えらく爛々と目を輝かせて聞いてるじゃないか」
前のめりで解説を聞いている私に先生は少し引き気味だった。
「気にせず、続けて」
「本当に以前と態度が違うな……まあいい、少し話が逸れた。ここで一つ質問をしよう。今帝国と連盟はそれぞれ何を目的にして戦争をしているだろうか?」
「えーっと、それは当然相手の国を倒す事じゃないんですか?」
「その通り。しかしそれは本来スローガンであって政策目的でも無ければ戦略目的でも無いはずだ。何故ならさっきも言ったように実際には互いに相手の国を滅ぼす事はほとんど不可能で、そしてそれ以上に仮にそれを成し遂げられたとしても、そこまでに払った犠牲に相応しいだけの成果が得られないからだ。いいかい?戦争には勇ましいスローガンは必要かもしれない。特に実際に命を懸けて戦う兵士や後方で負担に耐える民衆には、だ。だが、同時に戦争を指導する立場にある『政府』や『軍部』はスローガンと目的を混同してはいけない。これは歴史上幾度も繰り返されてきた誤謬だがね」
「どうしてそんな間違いが起こるんです?」
「かつて地上で起こった産業革命以降、大規模な戦争には戦争を行う国家の政体に関係無く、どうした所で後方にいる民衆からの支持、と言う物が必要になった。国の生産力を動員し、大量の武器弾薬を始めとした軍需物資をどれだけ用意できるかが戦争の決定的な要素ではないにせよ、ほとんど必須とも言える要素になったからだ。歴史を見てみれば分かるが例えば旧時代のヒトラーやスターリンと言った一般には絶対的な独裁者と見做されている政治家達すら、戦争を行う際には民衆を鼓舞し、扇動し、彼らから勤勉さを引き出す必要に駆られたんだ。政治家や軍人は勝利のために単純化した図式を使い、民衆を扇動する。しかしそれが生んだ激情は、やはり政治体制を問わず逆に政府や軍部に影響を与えてしまうんだ。そしてその傾向は概ね戦争が激しくなり、多くの犠牲を払うほど強くなる」
「うわあ……」
何となく今の帝国の戦争のやり方はダメなんじゃないか、と言う気は私もしていたが、しかし改めて先生の淡々とした口調で整然と説明されるとかなり絶望的と言うか御先真っ暗な構図が見えて来た。
「結局の所問題は帝国も連盟も適切な戦略と言う物を持たずに戦争を続けてしまっている、と言う事だ。それが何故かと言えばそもそも戦略が達成すべき政治目標が間違っている。旧時代の思想家クラウゼヴィッツは戦争は政策の一手段だと述べたし、それは確かにほとんど正しいのだが、彼は同時に戦争をする決断を下す政治がそもそも間違っている可能性についてほとんど議論しなかった。帝国も連盟も首脳陣達は戦争をやめると言い出す事が出来ない。何故ならそれをすれば双方ともが政治権力の座から追われたり、もっと言えば政治体制が崩壊する可能性があるからだ。戦争が政策のための道具ではなく、政治権力のための道具となってしまっている。もっともこれは物事を単純化した説明で、実際に権力を行使している人間達全員が私利私欲のために戦争を続けている、と言う訳では無いだろうがね」
「じゃあ例えば、帝国が三星系を奪い返した所で?」
「それだけでは何も変わらないだろうな。すでに三〇〇年も連盟が実効支配してきた土地だ。連盟も必ず奪い返そうとする。帝国側が占領したままの状態で連盟が和平に応じる事は無い。戦線が移動し、攻守が逆転しただけで全体の戦況は何も変わらない。星系の争奪戦において基本的に守る方が有利なのは三〇〇年の歴史が証明しているがね」
「じゃあ、どうすれば?」
「どっちにしろまず三星系を帝国が奪取する事は必須になる。前言を翻すようだがね」
「それは何のためにでしょうか?」
「間違った戦略の元では戦場でどれだけ大きな勝利を挙げた所で意味はない。しかし同時に適切な戦略の元での戦場での決定的な勝利によってしか変えられない政治的な状況、と言うのもあるんだ。つまり帝国と連盟が講和するにはまず帝国が大きく勝利し、そこからさらに連盟にかなりの譲歩をする必要がある」
「三星系の奪取と言う勝利を政治的に生かす、と言う事ですね」
何となくだが先生の言いたい事が分かって来た。先生が頷く。
「ああ。しかし勝利した側が譲歩する、と言うのを大貴族や民衆に納得させるのは相当の骨だ。ほとんど不可能と言ってもいい。むしろ戦闘での劇的な勝利は戦略や政略面での致命的な失敗に繋がる例が多い。三星系を数百年ぶりに奪取すれば高揚した世論はむしろ更なる連盟領への侵攻へと傾く可能性が高い」
「それを防ぐには?」
「少しは自分でも考えたまえ。すでにヒントは出した」
そのエウフェミア先生の顔と声は熱心でも出来の悪い生徒を見る教師その物だった。私は少しむっとして自分で考え込む。
「ベルガー君は答えが分かっても先に言わないように。ヒルトラウトのためにならないからね」
エアハルトは苦笑して何も言わなかった。戦略89もあるしここまで言われたら分かってるんだろうなあ。
くそうくそう、私だって戦略79はあるんだぞ。
「まず国内の政治権力の統一が必要。つまり皇帝の権力を強化し、門閥貴族の影響力を弱める必要があります」
しばらく考えて私は口を開いた。
「シンプルかつ実行は容易ではない。言うは易し行うは難し、だな。しかし間違ってはいない。次は?」
「次は……民意をコントロールするためには大帝アルフォンスを超える英雄、カリスマ的な指導者を誕生させる必要があります。つまり三星系の奪取は誰か英雄的な人物の手によって劇的な勝利として成し遂げられなければいけない。その人物が帝国の指導者となり、和平を主導すれば、それが帝国側では受け入れられる可能性が高い」
「ふむ、しかしそれで十分かな?」
「連盟側の協力者も必要でしょう。あちらの政策は帝国以上に世論に左右されるはずです。帝国の専制政治を政体として認めると言う方針転換をさせるには、民意をまとめ上げるカリスマが、やはりいります」
「よろしい。大雑把ではあるが方向性としては間違ってはいない。連盟内の協力者については今の時点で考えても仕方ないからひとまず置いておこう。そして国内の改革もやはり三星系の奪取と同じ問題に行き付く事になる。つまり誰を次の皇帝、あるいは宰相として絶対的権力者にするか、と言う問題だ」
「恐ろしい話を平然としますね」
「今更だろう。不敬罪など恐れていてこの国の未来を語れるか」
「……まあそうですね。誰を、と言う事ですが、あり得る候補は今の時点であまり多く無いのでは?」
私がそう言うと先生はちょっと首をかしげて視線を上にあげた。
「まあ確かに今の所思い浮かぶのはほとんど一人だが……実際の所、あれはどうなんだい。クレメンティーネ・エーベルス伯の能力、人格、野心の程は。私は遠目に観察しているぐらいだが、君は少しぐらい交流はあるんだろう?」
「ほぼほぼ条件は満たしていると思いますよ。彼女は間違いなく戦争の天才で、そして自分が帝国の頂点に立つ意思とそれに相応しいカリスマを持っています。ただ、彼女がどこで止まってくれるのかは、分かりません」
「大人しく連盟との和平で満足してくれる保証はないと言う事か」
「彼女が賢明なら連盟との戦争をいつまでも続けるのは現実的ではない、と分かってくれるはずですが」
正直、ティーネの野心の程は読めないんだよなあ……
前世のヒルトは完全にティーネを敵と見做していて彼女と全く交流を持とうとしていなかったので、ティーネが実際の所どこまで戦争を続けるつもりだったのかは分からない。
前世の彼女は帝国皇帝の地位に就いた後で連盟との和平交渉に臨んだが、それも前世のヒルトがぶち壊しにしてしまったせいで、結局彼女がどんな条件を連盟に出すつもりだったかも分からないのだ。
あんな優しそうな見た目してその実、全銀河を我が手に!とか素で考えていてもあまり違和感はない覇気の持ち主ではある。
「ま、真の英雄は凡人が想像する現実を飛び越えてしまう物だ。そして英雄が一見不可能に思える事に挑戦したのか、あるいは本当に不可能な事に挑戦してしまったのかは、それが終わってからでないと分からない。案外私も一〇年後には『銀河の武力統一は不可能である』と言う自分の予想が大外れだったことを嘆いているかもしれない。彼女が大帝アルフォンス以上の人物でない保証は無いんだ」
まあ先生に不可能な以上は恐らく同じ戦略98のティーネにも不可能なんだろうけど。
そして私は少なくともこのままではティーネが銀河の統一を成し遂げられない事も知っている。
半分はヒルトが邪魔をしたせいかもしれないが、理由はそれだけではなかった。
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