第五話 降伏勧告

 そしてさほどの間も置かず、それは来た。


「敵の後方に新たな艦隊!これは……エーベルス艦隊です!」


 喜色に満ちたオペレーターの声が響いた。


 同時に友軍を表す赤色の艦船モデルが敵の後方に現れる。


 数は五百隻。そしてその動きは私の任務部隊はもちろん、敵の奇襲部隊よりもさらに機敏で緻密で、そして何より果敢だった。


 完全に背後を取った敵からの効果的な反撃などまず無い。その指揮官の確固たる自信が、一切の躊躇いがない苛烈な攻撃と言う形を取って艦隊全体に浸透していた。


 例え理屈でそうと分かっていても、防御のための備えを完全に捨てるだけの思いきりを持てる人間などそうはいない。必要に応じてやすやすとそれが出来、そしてそれを部下達にまで完全に徹底させられるのが、名将の名将たる所以なのか。


 クレメンティーネ・フォン・エーベルス。


 私は口の中でそう呟いた。


 この体の本来の持ち主であるヒルトであれば、忌々しさしか感じなかったであろう存在。

 その用兵を目の前にして、私は畏敬と崇敬の念が入り混じった喜びの感情を抱いていた。

 自分は今、歴史を動かす名将の戦いと言う物を間近で見ているのだ、と言う感動がある。


 挟撃され、そのまま獰猛なエーベルス艦隊の攻撃に食い破られるかと思えた敵艦隊だったが、こちらの反応も早かった。

 艦隊を小さくまとめ、逃げる事も無くさらに勢いを増して突き進んでくる。


「退かないんだ、敵」


「どこに逃げてもエーベルス艦隊と我々の攻撃圏内から逃れる前に致命的な損害を受けるでしょう。であれば直進して我が艦隊の中に入り込むのが最善です。乱戦になればエーベルス艦隊は同士討ちを恐れて背後からの攻撃が難しくなりますから」


 ヒルトの前世でも結局はその展開になった。しかし完全に統制されたエーベルス艦隊は同士討ちを恐れる事無く味方に向かって砲撃を撃ち込み、そして正確に敵艦だけを撃破したのだ。


 自分の船のぎりぎりを掠めていく砲撃に、当然ながらその時のヒルトは「殺す気か!」と大変に立腹していたけど。


「では我々も次の段階に入りましょう」


 エアハルトはじっと敵味方の距離を見ながらタイミングを計っている。


「ヒルト様、今です」


 そして敵艦隊が目前に迫った時、彼は私を見てそう言った。


「陣形を変更。各艦、所定の位置に移動しなさい!」


 私が命じると、私の指揮下の任務部隊はそれぞれが事前に命じてあった通りの動きをし始めた。

 陣形の中央に近い船は全速で後退し、右翼の船は右方向に舵を切りながら前進し、左翼の船は左方向に舵を切りながら前進する。


 突っ込んでくる敵を迎え入れるように空間を開け、半円の陣形が作られた。


 敵が接近し、砲戦をミサイルと艦載機による近距離戦に切り替える直前の一瞬攻撃が途絶える隙を狙って陣形を変える。最初からエアハルトが進言していた通りの動きになった。


 結果として、敵は突撃する対象を見失い、全方位から包囲される事になる。


 束の間、激しかった砲戦が止み、戦場に静寂が訪れた。


「敵艦隊に降伏を勧告して」


 私はそう命じていた。エアハルトとの間で事前に取り決めていた事ではなく、咄嗟に私の口から出た事だ。


 エアハルトが意外そうにこちらを見る。そりゃ意外だろうなあ……


「ダメかな?」


「いえ、良い判断だと思われます。もうこちらの勝利は決まっています。これ以上やっても、一方的な殺戮になるだけでしょう」


 深い考えがあった訳では無かった。無駄に人を死なせたくない、と言うのもあったのかもしれない。

 そしてそれ以上に、もう一度、次は恐らく今以上の決死の覚悟で敵が自分に向けて突撃してくるのを見たくはなかった。やっぱ怖いのだ。


「敵艦隊から通信です」


 モニターに映ったのは三〇代の初めに見える細面の中々にハンサムな男性だった。少将の階級を付けている。


「ひだ……ヒルトラウト・マールバッハ准将です」


 私は敬礼すると名乗った。うっかり日髙かなみと名乗り掛けてしまったが。


「クルト・フォン・クライスト少将だ」


 男性も敬礼を返すと名乗る。

 取り敢えずモニター越しにステを見てみた。


 統率80 戦略72 政治25

 運営37 情報27 機動85

 攻撃93 防御67 陸戦75

 空戦91 白兵82 魅力70


 おお、強い。


 やや防御が低いのが気になるが、それでもあの果敢な奇襲攻撃を仕掛けてきただけあって、どこに出しても恥ずかしくなさそうな能力だった。

 少なくともエアハルトを除く私のどの幕僚よりもはるかに優秀だ。


 これは死なせたくないなあ……結構イケメンだし。


「クライスト少将、すでにあなたの艦隊は完全に包囲されています。もう勝ち目が無いのは明白のはず。それにあなたの奇襲が失敗した以上、遠からず本隊同士の戦いも終わるでしょう。降伏して頂けませんか?」


 クライスト少将はしばらく目を伏せた。目を閉じると元々の線の細さも相まって、随分と幸が薄そうな印象になる。


「少将」


「降伏後、部下の身柄は」


「それは私が出来得る限り取り計らいます。マールバッハの名に懸けて」


 私がそう言うとクライスト少将は目を開け、こちらを正面から見つめ直した。


「了解した。我が艦隊は降伏する。部下達の身柄は貴官に預けよう」


 クライスト少将の言い回しが何だか引っ掛かった。私は少しだけ思考を記憶の奥へと向け、彼の事を思い出した。


「少将」


「何か?」


「間違っても自殺などしないで下さいね。少なくともあなたには私が貴官の部下をどう扱うか、生きて見届ける義務があります」


 私がそう言うと、クライスト少将は脱帽したように首を振ってもう一度敬礼を返した。


「あのままではクライスト少将が自殺される、と分かったのですか?」


「何となく、ね」


 通信が切れた後で訪ねて来たエアハルトに澄まして答えた。


 実際には分かったのではなく、思い出しただけだった。

 経緯は違うとはいえヒルトの前世でも彼はやはり最後には降伏し、そしてその直後に一人で自殺していた、と言う事を。


 もっとも前世でのヒルトは彼の事など全く気に留めていなかったので、本当に記憶の隅にわずかに引っ掛かっていただけだが。


 本隊の戦闘も、もう終わりかけていた。


 奇襲が失敗に終わった事で味方は勢いづき、敵は消沈している。


 それでも決死の攻撃を仕掛けて来る敵を相手に味方は多少の損害を出しながらも、味方はついにハーゲンベック艦隊を完全に包囲し、逃げ場を塞ぐと、殲滅の構えに入っている。


 ハンスパパは一応降伏勧告をしているが、ハーゲンベック侯爵は受け入れる気が無いみたいだった。

 いまさら降伏しても死は免れないだろうから当然の判断とも言えたが、それならせめて部下は道連れにすんな。


 そう思っても、私に出来る事は何も無さそうだった。

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