第十五話 帝国の中枢

 黒鷲宮シュバルツファルケは帝都レクタのほぼ中央に位置する敷地面積は一〇〇平方キロメートルを超える広大な宮廷だった。


 敷地内には大小さまざまの建物と意匠を凝らした庭園が立ち並び、宮廷内で職務に当たる官吏と使用人、近衛兵を合わせれば常時三〇〇〇人を超える人間が働いていると言う。


 当初、アルフォンスは広大な宮廷を建てる事には乗り気ではなく、皇帝の住居として極めて簡素で殺風景な公邸を建てようとしたが、周囲に「皇帝らしい振る舞いをするのも皇帝の仕事」と説得され、渋々巨額の公費を投じてこの居城を建てたと言う。


 宮廷の敷地内では浮遊自動車の使用は許可されていない。大貴族や高級軍人は馬車を使う事も許されるが、時間もあったので私はエアハルトと共に案内人に従って徒歩で中央宮殿まで向かう事にした。


 写真で見た事があるベルサイユ宮殿やバッキンガム宮殿に負けない豪勢さと趣きだった。

 建ってから数百年も経つと、元税務官の皇帝が建てた居城でも不思議な荘厳さが出る物なのだろうか。

 ヒルトの記憶の中にあるマールバッハ公爵家の居城も広大だが、さすがにこの黒鷲宮には足元にも及ばない。


 ルッジイタは元は生物の居住に適さない大気であり、テラフォーミングがなされた惑星の一つである。

 庭園に並んでいる植物も全て私も見覚えがある、地球から持ち込まれた物ばかりだった。


「私は、ここで」


 エアハルトは宮廷に複数ある謁見の間の一つの前で立ち止まった。

 彼も昇進は決定しているが、まだこの謁見の間に入れる身分ではない。基本的にここに入れるのは廷臣を除けば高級貴族か将官だけだ。


「うん、また後で」


 正直こんな場所でエアハルトと分かれるのは心細かったが、仕方が無かった。


 意図的に薄暗くした証明で照らされる謁見の間に入ると、すでにハンスパパを始めとした今回の戦いで功績を上げた提督達が玉座の前に並び、私の上司に当たる帝国軍の高位武官達がそれを見下ろすように玉座の横に並んでいた。


 私はヒルトの記憶の中の名前と立場を、彼らの顔と当てはめていく。


 バプティスト・フォン・ホリガー軍務卿、マティアス・フォン・フロイント統合参謀総監、そしてヴァルター・フォン・ザウアー戦略機動艦隊司令長官。

 三人全員が元帥の階級を持って皇帝の下で帝国軍の権限を分け合う、通称三長官と呼ばれる帝国軍最高司令官達だった。


 爵位はハンスパパのが上でも、さすがにこの三人相手には軍内では頭を下げざるを得ない。


 彼らも当然名門貴族の出身であり、ティーネの躍進を快く思ってはいないが、同時に無能な他の門閥貴族達の影響力も嫌っていると言う、中立派の軍人達だった。


 後に帝国が二分される内乱が始まった時、彼らの内のある者は潮時と見て引退し、またある者は野心に動かされて大貴族達と組み、そしてまたある者は最後まで帝国軍人としての職務を全うする事に徹したりする。


 さて能力は……


 ざっと見てみた感じ、ホリガー軍務卿とフロイント統合参謀本部長は同じような能力で運営と情報が90を超え、戦略と政治も80を超えている。

 他の能力は大した事無いので実戦指揮はダメそうだけど、それでもさすがルッジイタ帝国軍と言う巨大な組織を切り盛りしているだけあって、官僚としては非の打ち所が無かった。


 そして問題のザウアー戦略機動艦隊司令長官は……


 統率90 戦略77 政治55

 運営32 情報63 機動77

 攻撃94 防御97 陸戦72

 空戦81 白兵83 魅力95


 ……強いんだよなあ、このおじいちゃん。


 後の内戦で反クレメンティーネ派が割と善戦出来た理由の七割ぐらいは多分この帝国の宿老とも言うべき御年六二歳の元帥が味方に付いてくれたおかげである。


 ここ二日間でざっとこの人の戦歴も詳しく調べてみたけど、司令長官として全体の戦局を大きく変えるような積極的な戦略を立てるのは苦手でも、限定された戦場での大艦隊を率いての戦術指揮官としては異常に強い。


 連盟との長い戦いの中でも、数の優位を誇る敵を相手に攻め手を欠いて膠着の上で撤退したり、別の戦場で戦っている味方が敗走して撤退した事はあっても、互角の条件で戦って負けた、と言う事は一度もない。


 後にティーネをして「あの老人は純粋な戦術での戦いであれば私に勝利し得るかもしれない」と言わしめるほどだ。


 戦略機動艦隊司令長官になってからは精彩を欠くようになるが、多分この人は本来自分以上の戦略眼を持った人間が上にいて初めて十全に能力を発揮出来るタイプなのだろう。


 門閥貴族が大人しくしていれば自分から内乱なんて起こすタイプじゃないから大丈夫だとは思うけど、それでも要注意の人材だ。


 帝国軍の中枢は無能どころかかなり優秀な能力の持ち主が揃っているみたいだけど、それでも連盟との戦争が泥沼化しているのは、帝国の構造の問題か、それともこの戦争がもう個人の能力ではどうしようもない物になってしまっているからか。


 私がじっと顔を見ている事に気付いたのか、ザウアー元帥は不機嫌そうにこちらを睨みつけた。

うう、怖い。


 当然ながら実績も無いのに家柄だけで准将になり艦隊を指揮している小娘なんてこのおじいちゃんから見れば嫌悪と侮蔑の対象でしかないだろう。

 立場はさておき個人の心情としてはすでに実力を何度も示しているティーネの方がまだ好感度が高いかも知れない。


 玉座の前に並んでいる提督達の中にはティーネやカシーク准将、ジウナー准将もいる。

三人はさすがに場慣れしている様子でこの状況にも平然としていた。カシーク准将なんて最早ふてぶてしささえ伺える。


 ちらりと目が合うとティーネは微笑んでくれた。私も小さく会釈を返す。


 その内に荘厳な楽隊の音楽が流れる。それに合わせて全員が姿勢を正し、頭を下げた。

 え?と一瞬戸惑ってしまったが、私も慌てて周囲に習う。最敬礼らしい。


 ルッジイタ帝国国歌―――正式な歴史の記録に依らない噂によれば、初代皇帝が古い友人の音楽教師と二人でお酒を飲みながら一晩で作ったと言われている———の演奏が終わるとそれに合わせて皆が頭を上げた。

 私は頭を上げるタイミングが分からずいたけど、ハンスパパが小声で教えてくれる。


 頭を上げた時、玉座には一人の男性が座っていた。

 第十七代神聖ルッジイタ帝国皇帝メルヒオール一世だった。


 ヒルトにとっては大叔父で、ティーネにとっては叔父に当たる人物だ。


 年齢は五九歳らしいけど、それよりも老けて見えた。ザウアー元帥よりも年上に見える。何と言うか、人の好さそうなお爺ちゃん、と言う印象だ。


 そしてヒルトの前世ではこの人が二年後に暗殺される事が時期皇帝の座を巡る帝国を二分した内乱を引き起こすきっかけになる。

 クレメンティーネ派と反クレメンティーネ派はそれぞれ相手が犯人だと主張していたけど、結局は誰が犯人だったのかは曖昧なままだ。


 少なくとも当時、多分一番怪しいと周囲から思われていたヒルトが犯人で無かった事は、私は知っている。


 取り敢えずせっかく皇帝陛下のご尊顔が拝めたので不敬かな、と思いつつステータスを抜いてみる事にした。


 統率30 戦略65 政治83

 運営82 情報77 機動27

 攻撃24 防御18 陸戦22

 空戦21 白兵23 魅力94


 意外とそれなり以上に為政者としての能力はあった。

 ヒルトの前世では完全に臣下に内政も外政も任せきりの人だったんだけどな。


 ハンスパパの名が呼ばれ、討伐軍の指揮官として戦勝の報告が始めた。

 それから昇進が決まった人間が順番に呼ばれ、皇帝から一人一人お褒めの言葉を頂く。


 ハンスパパも今回の討伐戦で元帥に昇進したかったみたいだし、宮廷工作を頑張ればそれも無理じゃなかったんだろうけど、身内から軍規違反で銃殺された人間が出た、と言う不始末の手前、諦めたみたいだった。


 ちなみにオットマーが銃殺され、バルドが逮捕された事についてハンスパパは怒るどころか「最初からお前の言う通り軍規に厳しくしていればあんな事にはならずに済んだかもしれない」と落ち込みながら謝ってくれた。


 ほんと人柄は悪くないんだけどなあ……いかんせん反省や決断が長続きしない人なのだ。


 カシーク准将とジウナー准将にそれぞれ少将への昇進が告げられ、次にティーネの名が呼ばれる。

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