第五十三話 かつて、闇の中で差し伸べられた手

「どこの誰か知らないけど、何だか嫌な感じだったわね。ティーネの屋敷を見張っていたみたいだったし」


 私はミクラーシュが去った方向を見ながら呟く。


 能力が100を超えてた事については、またロスヴァイゼに聞いてみようかな。

 困った事があったら呼び掛けてみよ、って言ってたし。

 戦略とか政略とかでは全くアテにならなさそうだったから今まで頼る事も無かったんだけどね。


「おーい、どうしたんだ?行かないのか」


 私とエアハルトのやり取りに全く気付いていない様子の先生にそう言われ(こう言う事に関しては先生は鈍い)、私達は気を取り直すと屋敷の門をくぐった。


 屋敷の庭ではすでにティーネ達がバーベキューの準備を始めていた。


 私が元々生きていた時代から一〇〇〇年以上経過しているけど、食文化はその時代から大きく変化はしていない。

 惑星ルッジイタは元々旧ドイツ政府が主導して植民が行われた星で、人種や文化にもその傾向が色濃く残っている。

 バーベキューもソーセージとビールをメインにしたいかにもそれっぽい物だった。


「ヒルト、今日は良く来てくださいました」


 ラフな私服姿のティーネが出迎えてくれた。他の皆も今日はそれぞれ私服だ……いや、何か一人メイド服の人間が混ざっているけど。


「ええ、お招きありがとう……伯爵と公爵令嬢がたった七人でバーベキューなんて前代未聞かもね」


「生まれが生まれなもので、宮中での晩餐などはどうしても肩が凝ってしまって。ヒルトの口に合えばいいのですけど」


「ふふ、初体験だから楽しみよ」


 実際には日高かなみだった頃に何度かやった経験はあるけど、それでも久々に学生気分で楽しめるかも知れない。


 エアハルトはいるし、エウフェミア先生やクライスト提督ともだいぶ砕けて来たけど、それでも対等の立場で付き合える同年代の友人なんて周りにほとんどいないからなヒルト。


「コルネリアは……元はティーネの侍女として付いて来た、って聞いたけど、屋敷ではその格好なのね」


 私はメイド服姿のコルネリアを見やった。

 軍服と同じく、やはり地味で控えめな印象だ。顔立ちは整っているのに何か勿体ない。

 ただこちらの服装だと、軍服では分からなかった意外な胸の大きさが強調されていた。


「はい。お屋敷で家事をする時はこちらの格好の方が落ち着きまして。皆様もお屋敷で過ごされる間は私の事はただのメイドと思って何なりとお申し付けください」


 コルネリアが完璧なメイド動作でお辞儀をした。


「いや、あなたエアハルトやエウフェミア先生より階級上でしょう」


 エアハルトはもちろんとして、さすがの先生も自分より階級が上の相手を使用人扱いするほど神経は太くないはずだ、多分。きっと。そう思いたい。


「そろそろコルネリア自身が閣下と呼ばれる身分に近付いているのに、いい加減にその従者根性はどうにかした方がいいのではないか、俺などは言っているのですがね」


 炭火を起こしながらカシーク提督が言った。


「そうそう、あなたもそろそろ副官を卒業してもっと上の役職についてもらわなくちゃ行けないんだから。もう少し偉そうになりなさい」


 ジウナー提督の方は自ら包丁を振るって野菜を切り分けている。


 二人とも、軍服を脱いでいるとたまの休日にレジャーに勤しむ男女にしか見えない……ありふれた、と言うには少し容姿に恵まれすぎているけど。


「今まで私がコルネリアに甘え過ぎていたのですよ。本来彼女はもっと大きな仕事をすべき人間なのに、ついつい側にいて欲しくなって」


 ティーネが苦笑しながら言った。


「い、いえ、そんな。私など、ティーネ様にお仕え出来るだけで身に過ぎた事ですのに」


 コルネリアがおどおどした様子で言った。

 後の戦略機動艦隊参謀長とは思えない自己肯定感の低さだ。


「コルネリア。謙遜はせめて仲間内だけの事にしておきなさい。あなたがそんなんじゃあなたを重用しているティーネの評判にも関わるわよ」


「は、はい……」


 私の言葉にコルネリアが肩を落とす。可愛い。


 何かこの献身ぶり、エアハルトにも通じるものがあるなあ、この子……だから二人は気が合うのか、くっついてしまうのか、そうなのか。

 それともメイド属性の方か。いや、眼鏡に惹かれたのか。メイドで眼鏡でヒルトよりも胸が大きい辺りが好みなのか。


 ……いや、私は一体何を考えているんだ。


「そう言えば二人はどう言う関係なの?ティーネは十二歳まで平民だったんだし、私とエアハルトみたいに昔からの主従って訳じゃないんでしょ?」


 気を取り直してそう尋ねてみた。


「えっと……」


 コルネリアが言いよどんだ。


「大丈夫よコルネリア、ヒルトになら話してしまっても。どうせ少し調べれば分かる事だし」


 ティーネもコルネリアにだけは、そこまで丁寧な言葉を使わないようだ。


「私は、子どもの頃に路頭に迷っていた所をティーネ様に助けられて、住み込みの使用人として雇って頂いたのです。それ以前の記憶はほとんどなく、自分の本当の名前も正確な歳も思い出せません。コルネリア・デーメルと言う名はティーネ様とティーネ様のお母様に付けて頂きました」


「私の母は安酒場の女将でしたが、帝室から毎月密かにお金が送られていたのでそれぐらいの余裕はある家でした。もっとも母には、『猫や犬みたいに子どもを拾ってくるんじゃありません』と叱られましたが」


「使用人と言っても、ほとんど家族のように扱って頂きました。返し切れないほどの恩を、お二人からは受けています」


「本当は法的にも家族になりたかったんですけど、私は血筋が血筋なので、姉妹になると後々面倒な事になるかも知れない、と母に止められました。当時は不満でしたが、今に思えば母は慧眼でしたね」


「あら、それじゃエアハルトと同じじゃない」


 私の言葉に、ティーネとコルネリアは揃って意外そうな顔をした。


 エアハルトが路上に倒れていた所を、かなりの気まぐれでヒルトがハンスパパに頼んで拾ってもらった、と言うのが二人の出会いだった。

 もう十年の前の話だが、その頃のヒルトはまだ少しは純粋で優しかったのかも知れない。


 それでこんなSSR従者を引くんだから悪運だけは強いなヒルト……それはティーネもだけど。


 私がそんな風にエアハルトとの出会いについて語ると、ティーネが微笑んだ。コルネリアの方は終始驚いたような顔をしている。


「大貴族の一員であると言うのに、子どもの頃から優しい人だったんですね、ヒルトは」


「あの頃の私はむしろ貴族と平民の違いがまだ分かってなかったから助けたんじゃないかな……」


 私が入れ替わる時点のヒルトなら同じ事があっても絶対に無視するだろう。


「まあおかげでいい拾い物が出来たわ。ティーネもそうでしょ?」


 私がそう言うとティーネは首を横に振った。


「物ではありません、大切な友人です。ヒルトもベルガー少佐に対してそう言う言い方は良くないと思います」


 真顔で注意されてしまった。


「そ、そうね。気を付けるわ」


 ヒルトらしい言葉使いを心掛けている内に、だんだんそれが素になって来ている気がする。注意しないとな。


「エアハルトもごめんなさい」


 こっちにも謝っておこう。


「いえ、私は……」


 いつも通り謙遜しようとしたが、ここで下手に謙遜したらコルネリアにも刺さる、と思ったのかエアハルトが言葉を濁す。


「はいはい、あんたもそう自分を卑下しない。ティーネにとってのコルネリアと同じで、私にとってもあんたは従者以前に大事な友達でほとんど家族なんだから」


 前世のヒルトであれば色々な物が邪魔して決して口には出せなかったであろう彼女の本心を、私は若干以上の照れくささに邪魔されながら口にした。

 エアハルトは一瞬固まり、それから目を逸らして俯いた。


 私何か変な事言ったかな?


「おーい、ヒルト。惚気るんなら二人だけの時にやってくれ。せっかくのビールが甘ったるくなってしまう」


 バーベキューコンロの横に置いてあるクーラーボックスの中身を確認しながら先生が言った。さすがにまだ開けてはいないようだ。


「そ、そんなんじゃないですから!」


「そろそろ火の準備もいいようですし、始めましょうか」


 話に一旦キリを付けるように、ティーネは大人たちの方を見やった。


「焼き始めるわよお」


「網のそちら側は任せたぞ、ラダ」


 カシーク提督とジウナー提督が息の合った様子でバーベキューを仕切り始める。

 二人合わせて一千隻以上の艦隊と六十万人以上の将兵と上に立つ人達がせっせと肉を焼く様は何だかシュールだ。


 先生は勧められる前にビールを開け、私達もそれぞれ席に着くと談笑しながら食事をとり始めた。

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