第三十二話 ショウ・カズサワ -連盟side-
……シュテファン星系は「惑星」の定義を満たす天体を大小五つ有しているが、そのいずれも重力や大気、主要構成物質などの問題から生物の生存やテラフォーミングには適しておらず、発見以来、もっぱら資源採掘だけを目的に開発されて来た歴史を持っている。
特に第三惑星であるシュテファン・アイゼンは帝国歴三〇〇年に大量の希少金属が惑星中核部に存在する事が判明してから大規模な採掘基地が複数建設され、鉱物資源を巡って帝国と連盟がいくども艦隊戦や陸戦を繰り返す舞台となった。
そのシュテファン・アイゼンを直接観測できる距離のエーテル宙域に星系連盟第三宇宙艦隊は展開している。
第三艦隊の中央に位置する旗艦「シーサーペント」の士官用ラウンジで艦隊の首席参謀であるショウ・カズサワはコーヒーを傾けながら本をめくっていた。
彼はこの年二十六歳。若年でありながら星系連盟軍———本来、各星系が有する軍隊が連盟総会の採決に従って兵力を提供し結成される臨時の軍隊のはずだが、常態化した帝国との戦争の影響を受け、実質的に常設の軍事組織となっている———准将であり、これは軍隊にあっても全般的に官僚主義的で年功序列の傾向を持つ連盟においては稀有な昇進速度だったが、しかし今の所彼の才覚について、一般的に周囲からの評価はさほど芳しくない。
幸運と上官に恵まれて出世した青二才———それが銀河歴五七〇年初頭における彼の軍内における評価だった。
「せんぱーい、今日は何の本を読んでるッスか」
そんな彼に声を掛ける者がいた。
ショウは読書を中断すると面倒そうに視線を動かし、声の主を見る。そこには致命的なまでに似合っていない軍服に身を包み、それ以上に似つかわしくない大佐の階級章を付けた小柄な女性軍人がいる。
ロベルティナ・アンブリス。外見のせいで非常に幼く見られがちだが実際にはショウより二つ年下なだけの二十四歳。
若くして外見に見合わない勇猛果敢な戦いぶりで名を馳せ、その階級と、第三艦隊を構成する任務群の一つを率いる司令の座を、ショウとは違って実力で勝ち取ったと周囲からは概ね評価されている。
士官学校ではショウの二年後輩で、互いに士官学校を卒業して任官してからも「先輩」と呼んで何かとショウに付きまとっていた。
「史記本紀」
ロベルティナにショウは短く小さく答えた。
「知らないッス!」
ロベルティナは短く大きく答える。
「どうせ読書に微塵も興味も無いんなら尋ねるんじゃない、ロベルティナ」
ショウは深々とため息を付いて本を閉じた。
「それで何の用だい」
「艦隊司令がお呼びっスよ」
そろそろ来る頃だと思っていた、とは口に出さずに、ショウは立ち上がった。
椅子から腰を上げれば、彼の黒髪で黒い瞳、中肉中背な平凡な容姿との対比が、銀髪碧眼で小柄、そのくせ胸だけは豊かなロベルティナの優れた容姿をより際立たせてしまう。
共に行動する機会も多い二人だが、大抵、軍内のショウの階級を聞いた者は驚きの声を発し、ロベルティナの階級を聞いた者は絶句する。
「ショウ・カズサワ准将、参りました」
頼みもしないのに付いて来たロベルティナを部屋の外に残し、司令官室に入るとショウは敬礼した。
「来たか」
ショウの上官であるヴァレリアン・メローは椅子に座ったまま答えた。
彼は三十五歳。連盟では最も若い中将の一人であり、士官学校を好成績で卒業後、参加する戦いのほとんどで類まれな功績を上げ、用兵家としての声望は留まる所を知らない。
平凡な容姿のショウと比べれば均整の取れた堂々たる長身と、むしろ帝国にこそ相応しいような彫りの深い貴族的な顔立ちは、従う者達から尊敬と信頼を得る風格を持っている。
ショウは新任少尉の頃から当時駆逐艦の航海長であった彼の部下であり、今に至るまで彼の女房役として彼に付き従っている……が、ショウ自身が目立った功績を立てた事が乏しいため、彼は「英雄に引っ付いて行って出世した男」と世間で評価されていた。
その評価が実は事実と比べて真逆である、と言う事を知っている人間は、この連盟第三艦隊の内部においても四人しか存在しなかった。彼ら自身も含めて。
「君の出した作戦だが、宇宙艦隊司令部に承認された。すでに第五艦隊のベロノソフ中将にも作戦は通達されている。今回はこれで行くぞ」
「そうですか」
ショウは特に感動した様子もなく答えた。
彼に言わせれば三個艦隊を二個艦隊で迎え撃て、等と言う上からの要求が元々不当な物であり、援軍をよこす気も無ければ即座の撤退を許す気も無いのであれば、せめて現場での戦い方ぐらい自由にさせてもらうのは当然の権利だった。
「それで、どれぐらいの戦果が期待できる、カズサワ」
メロー提督は普段彼が人前で見せる堂々たる態度とはかけ離れた神経質そうな口調でそう自分の参謀長に尋ねた。
実際の所、自身にはさしたる軍事的才覚など無く、現在の輝かしい声望の所以となっている功績の大半は、この一見パッとしない准将の献策による物である、と言う冷厳たる事実を、彼は良く認識していた。
「まず負けはしないでしょう。相手に一度相応の損害を与える所まではかなりの確率で見込めます。その後は相手がどれほど優秀か次第ですね」
ショウが淡々とした表情と声で答える。
そうか、とメローは若干気圧されるような気分で頷いた。
奇妙な男だ、とメローは重ね重ね思う。
航海長時代、乗艦が窮地に陥った時、メローはこの男の進言通り艦を動かす事で九死に一生を得た。それからのメローの七年間の軍人人生は、ほとんど彼の意見を聞き、それを実行に移す事だけで構成されてきた。メロー自身が才覚を発揮したとすれば、それをあたかも自分の手柄であるかのように取り繕う事と、ショウを手元から離さないように苦心した事だけだ。
メローと言う男はそれに全く良心の呵責を感じないほどにアクの強い男であった訳ではない。他人の手柄を横取りしている自覚はあったし、ショウ・カズサワと言う男がその才能に見合っただけの声望と地位を得る事が連盟のためなのでは無いか、と思わない訳でも無かった。
しかし当人であるショウ自身がその状況に甘んじているどころか、むしろ今の立場を喜んでいるような節があったから、メローは時折決まりの悪さを感じながらも、結局彼の才能に寄生して功績を重ね続け、ついには艦隊司令にまでなってしまっている。
一方ショウ本人に言わせれば、メローは自分に負い目など感じる必要は全く無い。
ショウ・カズサワと言う男には軍事に関する志などまるでなく、それどころかおよそ人生において大望と言えるような物は何も無かった。
彼にしてみれば軍隊における昇進と言う物は給料及び老後の年金と引き換えに責務が増していく苦悩に満ちた二律背反でしかなく、その責務の部分をなるべく他人に引き受けてもらって給料と年金だけもらいたい、と言うのが偽らざる本心だった。
戦況に応じて適切な作戦を提案するだけで、後は彼にとってはそれ以上に困難な作戦を他の人間に説明し、納得させ、実行させる、と言うプロセスをこなしてくれるメローはショウにとっては理想の上司でしかない。
メローの腰巾着、と陰で噂されている事も意に介しない。声望が高かろうが低かろうが、貰える給料の額は変わらないのだ。であれば、余計な期待など掛けられない方が気が楽である。
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