第八十三話 もう一人の公爵令嬢
「クレスツェンナから?」
その連絡を受けた私は、少し考え込んだ後、エアハルトとエウフェミア先生を連れ通信を受けるために自室に向かった。
前世ではそもそもクレスツェンナはこの戦いには従軍していなかったので、当然彼女から私への接触など無かった。
一体このタイミングで、従兄であるツェルナー子爵も介さず私に何を伝えたいのだろう。
そんな風に首を捻りながら自室で通信を繋ぐと、緊張した面持ちのクレスツェンナの顔が映る。
横には両脇を固めるように一歩だけ下がってヴェルナー、ジークリンデのクラフト兄妹が控えていた。
私が進言したせいか、ヴェルナー中佐は旗艦デルフィーンの艦長、ジークリンデは親衛隊の隊長としてそれぞれクレスツェンナを守る立場にいるそうだ。
「突然のお呼び出し失礼します、ヒルトラウト様」
クレスツェンナが、か細い声で口に出した。何だか勇気を振り絞って喋っているように見える。
うん、これは完全に私に怯えてるな。
色々心当たりしかないけど結構ショックだ。
「そんなに畏まらなくて大丈夫よ、クレスツェンナ。何か私に用事かしら?」
私は満面の笑みを作ってそう尋ねた。
以前の私は子ども相手に友好的に接しようとしてもついつい苛立ちが滲み出て怖がられてしまったけど、今は違う。
親戚を始めとした小さい子達のお守りなんて、日高かなみだった頃に散々やったのだ。
私の天使の笑みに少しだけ安心したようにクレスツェンナが息を付いた。
「ヒルトラウト様にお願いがあって」
「お願い?なあに?」
「ツェルナー子爵とそのお友達が勝手に出撃をしようと企んでいます。それを止めて頂きたいのです」
ほう、と私の隣で先生が小さく声を上げた。
「勝手に出撃?どういう事?」
「えっと、前線で演習を始めて、それに乗じて勝手に連盟と戦いを始めようと、皆で相談しています」
それぐらいの事は企むだろうと、私もティーネも想定していた。
「それで、クレスツェンナはどうしてそれを私に止めて欲しいのかしら」
私はクレスツェンナの横に控えている二人の顔色を見ながら言った。
「貴族達だけで勝手に動けば、負けます。その負けた味方を助けようとすれば、帝国の全ての艦隊が負けます。その程度の事は、私にも分かります」
「私に止めるように頼んで来たのはどうして?」
「私が何か言っても、子どもの言葉としてツェルナー子爵は聞いてくれません。ヴェルナーとジークリンデの言葉も、下級貴族の言葉として無視されます。ツェルナー子爵達を止められるのは、ヒルトラウト様だけでしょう」
「私だって子どもや下級貴族の言葉なんて無視する、とは思わなかったのかしら」
「ヒルトラウト様は、平民であるベルガー大佐やフロイト大佐を腹心として重用しておられると聞きます。またヴェルナーやジークリンデを重用するよう、進言もして下さいました。そんな方であるなら、私がこの二人と良く相談した上でする話なら、無碍にはされない、と思いました」
クレスツェンナの言葉は弱弱しく静かな物だったが、迷ってはいなかった。そして、誰かに吹き込まれた事を喋っているのではなく、最後は自分の意思で喋っているのがはっきり伝わってくる。
これで一三歳かあ……
私がヒルトラウトとして一三歳の時、どんなだったかな……と思い出そうとし、思い出すと大変恥ずかしい気分になりそうな予感がしたので私はその思考を打ち切った。
子どもでも、大貴族の中で育っていても、聡明さを発揮出来る人間と言うのはいるんだなあ……
「そうね、クレスツェンナ。あなたが真剣に考えてそれなりの覚悟を持って私に頼ってきた、と言うのは分かったわ。あなたが言う事がある程度正しいのも認める。けど、それを踏まえた上で私はあなたに言うわ。あなたは今度の戦いでは何もせず、後方に下がって大人しくしていなさい。いえ、何か理由を付けて、今の内に本国に戻った方がいいわ」
「どうしてですか?」
「あなたが今やろうとしているのは、自分が持って生まれた地位と権力を使って、間接的にでも戦争に関わろうとしている事なのよ。つまり、人を殺したり、殺されたりする世界に入ろうとしている。一度でもそこに関わったら、あなたは後戻り出来なくなる。自分が何かする事で、あるいは何もしない事で、大勢の人間の生死が左右されると言う現実に向き合わなくちゃいけなくなる。気が向いた時だけ、あるいは上手く行きそうな時だけ横から口を出す、なんて都合のいい事は許されない。成功しても失敗しても何もしなくても、あなたは自分の持っている力に応じた責任に苛まれる事になる。それは帝国貴族の地位に生まれた者が絶対に背負わなければいけない事だけど、あなたはまだ子どもなの。それを背負うには、まだ早いわ。今は、お飾りでいなさい」
私は慎重に言葉を選びながらゆっくりと言う。
「けど」
クレスツェンナも頭の中で私の言葉を反芻するように、時間を置いてから口を開く。
「お父様やツェルナー子爵は、きっとその責任を負おうとしていません。自分にとって都合のいい時に都合のいいように、権力を使っているだけです。そして、そんな人間は多い」
「それは」
この子どこまで聡明なんだ。
「……皆が皆、責任を負おうとしていない訳でないのも分かります。ヒルトラウト様や、あるいはエーベルス伯はその責任を背負おうとされている側の人間でしょう。でも、それで十分なのですか?私の地位と身分は、お二人に、この戦いに、そして帝国のために役立ちませんか?」
「……」
「今回の戦いだけで終わらせるつもりは最初からありませんでした。もし子どもの身でも、私が少しでも無駄な犠牲を減らすために役立つのなら、今ヒルト様が言われたような責任をこの先もずっと負う覚悟は、あります。ヴェルナーやジークリンデも、そのために私に尽くしてくれると言っています」
「……この子前からこうだったの?」
私はクラフト兄妹の方を見た。
「以前から聡明な方ではありましたが、実際に戦場に出られて色々な物を見る内に思う所があられたようで……」
ヴェルナー中佐の方が苦笑気味に答えた。
参ったなあ……前世ではほとんどお飾りのはずだったのに。
このタイミングで戦場に出たせいで急覚醒してるよこの子。
この子を味方に出来れば帝位継承レースの一番人気から三番人気での八百長も出来る訳で、帝国の内戦回避と言う事では物凄く有力なカードなんだけど……それでもこんな子どもを巻き込むのはなあ……
私はちらっとエアハルトと先生を見た。
「子どもを出来る限り戦争と政争に巻き込みたくない、と言う君の意思は立派だと思うよ。だが、この先の時代のうねりを考えれば、彼女がいつまでも安全な所にいる、と言うのは難しいとも思う。なら、彼女が自分で選んだ道を尊重し、助け合う、と言うのもそこまで不誠実な事ではないんじゃないかな。まあ、それで面倒が起きても、私にどうにか出来ないほどの事にはなるまいよ」
先生がそう言い
「私は出来る事なら、ヒルト様自身にも戦争には関わりなく、平穏に過ごして頂きたい、と思っています。ですがヒルト様が責任を果たすために自ら危険に身を晒す事を選ばれるのであれば、それを全力でお守りするのが私の役目である、とも思い、今まで力を尽くしてきました。それを考えれば、フライリヒート公爵令嬢が忠臣達の助けを信じ、敢えて困難に向かおうとされるのを間違っていると言う事は出来ません」
エアハルトがそう言った。
この二人にしてみれば、私もクレスツェンナとそう変わらない、危なっかしい子どもなのかもしれない。
「この国とこの戦争を少しでも良い方向に動かすために、私やティーネに協力したい。そう言うのね?」
「はい」
「その結果、あなたのお父様やツェルナー子爵を裏切って敵に回す事になるかもしれないけど、構わない?」
「……その裏切りと言うのが、お父様やツェルナー子爵を含めた責任を負おうとしない貴族を今の地位から追い落とすと言う意味なら、仕方ありません」
クレスツェンナが少し震える声で、しかしはっきりそう言った。
うわあ。
覚悟ガンギマリだよ、この子。
「分かったわ……そこまで覚悟しているのなら、ティーネも通信に呼びます。私とあなたとティーネで動かしましょう」
私の方が若干気圧されながら、そう答えた。
後の世に三令嬢会合と言われるようになる(かどうかは知らん)会合が始まった。
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