第七十八話 エウフェミア先生の兵站概論
「仕事と言っても今の所補給に問題は出ていないようですし、これ以上やる事は無いのでは?」
マイヤーハイム准将と艦隊の補給状況に関するデータを共有し、エウフェミア先生が若干の揶揄を込めながら言った。
「今出ていなくてもいずれ必ず問題は出ますよ。その徴候を出来る限り見逃さないよう常に努力はすべきです」
「戦争で全ての問題に事前に徴候が現れるのなら、そうなのでしょうけどね。往々にして戦争では本当に深刻な問題ほど思いもかけない所から来るものですから」
「事前に最善を尽くし、それでも全く予想もつかないような問題が起きてしまったら、その時はあなたが何とかして下さい」
「それが私の仕事なら今はサボっていても……」
「いい訳ないでしょう。今日のあなたの勤勉さが明日のあなたの仕事を減らすかもしれないのですから」
にこりともせずにマイヤーハイム准将は言った。
性格が違い過ぎてちょっと不安な部分もあったけど、今の所この二人は上手くやれているようだ……上手くやれてるんだよね、これ。
「参謀としての能力はさておき」
クライスト提督が苦笑しながら会話に入る。
「フロイト大佐が隙あらばサボろうとする人間なのは否定しがたいから、これは形勢不利でどうにもならんな」
「今頑張り過ぎて、いざ本番で私が勤勉さを使い果たしていたらどうするんだい」
「それはせめてマイヤーハイム准将の半分程度は事務仕事をしてから言うべきだな。むしろ彼女が来てくれてから君の仕事量は減っただろう」
そうだそうだ、と無言のままマイヤーハイム准将が同意を示す。
階級が上の相手にタメ口なのはもう諦めたらしい。
「それはクライスト提督もそうじゃないか!」
「私はそれで仕事が減った分、艦隊の訓練に当てているからな」
クライスト提督が澄まして答えた。
平時の艦隊運営をシュトランツ少将に任せられるようになってからのクライスト提督の艦隊訓練への打ち込みようは尋常な物では無かった。
そのおかげで第四艦隊全体の練度は私の目から見ても分かるほどに向上している。
「しかし何だな。少し意外だったが、君は補給や兵站と言う物を軽視しているのか?事前に万全の準備をして戦いに臨む、と言うのはいかにも君のようなタイプが好みそうな事だと思っていたのだが」
クライスト提督が先生にそう疑問を呈する。
「別に私は補給や兵站と言う物を軽視している訳では無いよ。この宇宙時代の戦争に関する活動と言うのは最早その九割方が事前の準備だと言っていいし、そこを軽視した軍隊はかなりの確率で負けるだろう。だが同時に、その九割の部分がどれだけ優れていても、残りの一割———つまり実戦における軍隊の戦いと言う物に必勝をもたらす訳ではないんだ」
先生がいつもの講義モードに入った。諦めたようにマイヤーハイム准将は首を横に振る。
「それはそうだろうが、確実ではないにせよ、勝利の確率と言うのは事前に入念な準備をすればするほど上がる物ではないのか?」
「兵站を含めた戦争の準備にかかる時間と言う物は大抵の場合膨大だ。それに対して、実際の戦いの中では戦術レベルでは無論、時に戦略のレベルですら有利な状態が一体どれほど短い時間の間に訪れ、そして過ぎ去る物なのか、クライスト提督になら私以上に分かるんじゃないかい?」
「兵站に万全であろうとするばかりに戦機を逃す事があると?」
「詳細な計画と豊富な物量で事前に出来る限りの優位を取ろうとする姿勢はほとんど正しい物だよ。しかしその姿勢は、ある意味でリスクのある戦いはしないし出来ない、と言う事でもあるんだ。それは行き過ぎれば自分達が戦争をしている相手も自分で考える頭を持ち、武器と何よりもこちらを殺そうとする意志を持った生きた人間である、と言う事を忘れる事に繋がりかねない。戦争には結局の所、人間同士の殺し合いであると言う側面が絶対に付きまとう。そして殺し合いである以上、どうしたってリスクからは逃れられない。もし完全にリスクの無い戦争、と言う物があるとすれば、その戦争はそもそもやる必要が無いか、あるいは何かとても大きな所で間違っているんだろう」
「良く分からんな。いや、分かるような気もするが、上手く言葉として入って来ん」
「戦争はどこまで行っても知性だけが全てでは無いんだよ。これだけ軍事技術が進歩した今であっても、クラウゼヴィッツが唱えた戦場の霧と摩擦と言う二つの不確定要素から我々は逃れられない。それらを乗り越えてその先にある勝利へと届く力になるのは、最後には潤沢な補給物資や計算し尽くされた兵站、高度な兵器などではなく、一人一人の兵士の戦う意思と、指揮官の勇気と決断力、そして勘の鋭さ、と言う事さ。だから君のような軍人が、戦場の決定的な場面ではいつの時代にも必要とされてきた。しかし事前の準備を重視し過ぎる人間は———ここはどれだけ強調したって強調し過ぎと言う事は無いが、あくまで重視し過ぎる人間は、だ———そう言った逆に計算出来ない要因に頼って戦争を遂行する事を嫌うあまり、時にそれらの重要さを意図的に無視してしまう」
「ふむ」
「兵站と言うのはある部隊が実際に戦場に移動して実際に戦闘する事が可能かどうかを決定すると言う意味において、戦略レベルのチャンスにおける不動の決裁者だ。どれだけ優れた戦略であってもそれが実行可能かどうかは絶対に兵站に依存せざるを得ない。だがそれはあくまでチャンスに挑戦する権利を与える、と言うだけであって、そのチャンスを物に出来るかどうかは兵站とは全く別の戦闘と言う次元の話になるんだよ。我々は兵站と言う物を軽視しては行けないが、過大評価し過ぎてもいけない。いつかの言葉の繰り返しになるが、戦場で戦うのは兵器でも食料でも弾薬でも医薬品でも無く、最後は生きた人間なんだ」
「中々興味深い話ではありましたが」
結局仕事の手を止める事が無く、それでもしっかり話を聞いていたらしいマイヤーハイム准将が口を開いた。
「今の話を踏まえた上でもやはり今フロイト大佐がサボっていい理由は無さそうなので仕事をお願いします」
「えー……」
先生が不満そうな声を上げる。
現場での参謀業務には馴れておきたいし、私も手伝いますから、と言おうとした所で、艦隊司令部にエアハルトが入ってきた。
「ただいま戻りました」
「あ、おかえりー。思ったより早かったわね」
「一応の結果は出ましたので」
エアハルトにはゼベディオス・アイン惑星上で治安維持・住民慰撫を行う部隊に混ざって、しばらく情報収集その他を行ってもらっていた。
ここには姿を見せてはいないけど、何をどうやったのか遠征軍に加わっていたミクラーシュも協力してくれているらしい。
「報告は私の部屋で聞くね。先生も来てくれます?」
「おいおい、それなりに久々に帰ってきたのに、二人きりにならなくていいのか?」
「せ・ん・せ・い?」
くっくっくっ、と楽しそうに笑いながら先生が立ち上がる。
「じゃ、少しここはお願いね」
私はその場をクライスト提督達に任せ、自分の部屋へ向かった。
私達三人が、あまり表沙汰に出来ない悪巧みをしている事は、クライスト提督だけでなく他の二人も何となく察してくれている。
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