第46話 放課後デート

 髪先にくせ毛のある銀髪がふわふわと脚の動くタイミングで揺れている。小柄な体と比較し見れば大きく見えるクレープがその細く小さな手の中に包み込まれていた。

 我慢、我慢だと言って、クリームのないシュガーはちみつクレープを買った彼女に対して、俺は悠々と白玉クリーム抹茶クレープを購入する。抹茶の香りと味が本来はて甘いクリームの味を抑えてくれる。

 日の沈みがゆっくりとなった初夏の夕方はまだまだ明るく、学生服の俺たちがクレープ店で買い物をして散歩をしていても見咎める人はいない。

 ゆったりとした空気の中で時間が流れる。とりとめの無い話題が俺と華実かさね先輩の間で興じられていた。


「抹茶を良く頼むよね。抹茶がやっぱり好きなのかな?」

「抹茶があるとクリームたっぷりの甘いお菓子が食べやすくて結構好きですね。抹茶自体はあまり飲む機会がないですが」

「茶道部に行けばいつだって飲ませてくれるんじゃないかな」

「先輩と違って茶道部に入り浸りたい理由がないので」

「ふふっ、そう?」


 ちょっとばかりの優越感をほんのりと顔に浮かべながら華実かさね先輩が嬉しそうに笑っている。はむっとシュガーはちみつクレープを口に含んだ華実かさね先輩が、そういえばと思い出したように話題をあげた。


「茶道部がそろそろ茶会だね」

「茶会ですか?」

「うん、この高校の茶道部は想像以上に人が多かったんじゃないかな? それに茶室も立派だし」

「確かに想像よりも立派に感じました」

「人気の高い部活なんだけど、内輪向けだけじゃなくて外向けに茶会っていう、いつもは参加できない生徒や生徒の家族が参加できるイベントがあるんだ。場所自体は武道場を借りてわざわざ専用の置き畳まであって敷くんだけどね」

「茶室じゃなくて武道場でやるんですか? わざわざ?」

「体育館は広すぎるけど、校舎内のどの教室や特別室も手狭だからね。毎年、生徒やその家族で結構人気があるんだよ。写真部は宣伝写真を撮る協力をするのがお約束だね。女子の着物姿がきれいなんだぁ。みんなお金持ちなのか明らかに安っぽくなくてね」


 説明しながらも器用に素早く華実かさね先輩がパクパクと綺麗にクレープを食べ終えてしまう。俺が食べ進めるために破った包み紙とは違い、先輩の手元にあるクレープの包み紙は丁寧に剥がされており、俺の手の中にある無惨なゴミとは見た目が違った。

 先輩が手持ちのゴミに迷ったような顔をしたので、俺はカバンから大急ぎで取り出したナイロン袋をすっと出す。

 赤い瞳が驚きで俺に向けられた。


「男子学生の行動じゃないね。持ち歩いてるの?」

「昔の習慣というか。汚れ物を洗濯のために持ち帰る時によく使ってたので」


 中学時代に可能な限り莉念りねんの目につかないように嫌がらせをするという流れで、書道の時間や美術の時間があれば偶然墨汁が溢れることが多々あっただけだ。工芸の時間にデザインナイフが飛んでこないのはマシだろう。中学一年生のときには飛んできて怪我をした。想像以上に血が出て騒然となり、別のクラスである莉念りねんまで話が行ってしまった。

 次の日の夜にその男子学生は父親に連れられて俺と両親に土下座した。ただ、それだけだ。


「ああ、中学時代バスケ部だったんだっけ。なるほどー。今の尚順君の見た目はすっかり文系男子だね」

「一応これでも朝にランニングはしてるんですけど」

「知ってるよ~。いつも写真を送ってくるマメな彼氏だからね」

「採点はいつも厳しいですよね」

「それはそうでしょ。君が撮りたい物じゃない写真に満点をつけたら君に幻滅されてしまうから」


 華実かさね先輩が笑って、じーっと俺の手元にあるクレープを見る。先輩と話すのが優先されすぎてあまり食べ進められていない。そろそろ散歩デートを切り上げなければいけない時間が迫っていた。俺はおずおずと行った具合に彼女に尋ねる。


「シェアでちょっと食べますか?」

「ふ、ふーん、良いのかな? でも、さっき食べちゃったからなー」

「じゃあ、食べた分デートの時間をちょっとでも伸ばしてくれる嬉しいです」

「私は、構わないよ。母上も喫茶店が終わってから帰ってくる時間を考えればまだまだ余裕だし、父上はこんな時間になかなか帰ってこないからね。君のほうが大丈夫? いつも帰る時間はきっちりしていたから」

「男子学生の門限なんて親はそこまで厳しくないですよ」


 そんなものかなと華実かさね先輩が笑って、俺が差し出したクレープを可愛らしくパクリと口にする。舌がぺろりと恥ずかしそうに唇にクリームが残っていないか確かめるように動いて艶めかしさを感じた。


「抹茶も良いね。私は母上の喫茶店に出すスイーツ攻勢が度々来るからあまり外でスイーツを食べ歩くわけには行けないけど」


 そんなことを言いながら、華実かさね先輩はまたパクリパクリとどんどんクレープを口にする。上目遣いで俺を見てニコッと笑った先輩に、もっとどうぞっと言ったら、さすがに食べ過ぎだよと言われて俺は残ったクレープを残さず食べる。


「先輩は夕食どうするんですか?」

「母上が帰ってきてから食べるけど、下準備は私がするんだー。だから、これから家に帰って準備だよ」

華実かさね先輩、料理できますもんね」

「むむ、男子高校生の食欲波動を検知した。普通の家庭料理ぐらいだけどね。たまに写真もちゃんと送ってるだろう?」

「そうなんですけど、写真と華実先輩の解説ばかり食べる機会が無いじゃないですか」

「ははは、たしかに。なるほど、じゃあ今日は君の好きなハンバーグにしよう」

「食べれないのに鬼ですね」

「写真は送るよ。写真と解説を楽しみにしていたまえ」


 ハハーっと俺が大げさに頭を下げると華実かさね先輩がノリ良くうむうむと頷いて、俺の手を取って、絡めて握った。いわゆる恋人つなぎと言うもので、俺がすることは多かったが華実かさね先輩からしてくるのは初めてだった。

 指が確かめ合うように絡まり、華実かさね先輩から緊張と安堵を表すような長い溜息が吐き出された。

 彼女が優しく告げる。


「写真を撮っていいよ」

「情緒がないことを言わせてしまって」

「ふふ、そんな事を言わずに撮ったほうが良いよ。ぐだぐだ言う方が情緒がなくなるさ」


 彼女が俺に寄り添う形でパシャリと二人が画面内に入った自撮り写真を撮る。彼女はそれをじっと見つめてから、柔らかく微笑み頷いた。


「私、写真を残してこなかったからね。まあ、母上もいつも文句を言われたから、これから君とどんどん撮っていけば文句も言われないだろう」


 ゆっくりと彼女が俺の手を引く。彼女が綺麗だねとそれを見つけた。


「ここの紫陽花は赤だね。いつも私を撮ってばかりの彼氏を撮ろうじゃないか」


 華実かさね先輩が俺を紫陽花の前に立たせる。結構細かく指示を受けて、彼女の言われるまま人形状態で準備を終えた。わざわざカバンから取り出したカメラを構えた彼女は、真剣な眼差しで俺をレンズ越しに覗き込んでいた。シャッター音が鳴る。


 紫陽花の咲く季節は同時に長い長い梅雨の時期でもあって、俺は華実かさね先輩に見せぬ暗雲が訪れないことを祈っていた。


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