第44話 唯彩の写真
気持ちとは裏腹に晴れ渡った初夏の朝のランニングは、快調だった。いつも通り橋を越えて唯彩の散歩ルートとかぶる地点までたどり着くと、常のように軽快に歩く唯彩と彼女を自信満々に先導するように歩いているコンタロウの姿が見えた。
「おはよう、唯彩さん、コンタロウ」
「ワン!」
「おはよう!ひさ君」
コンタロウの元気な声と合わさり唯彩の明るい声が清涼な空気を発生させているみたいだった。俺はペースを落とすが、彼女は俺が走るのを辞めない程度に足早になる。
コンタロウはようやく走れるぜ!と言わんばかりにぐいぐいと唯彩の手にあるリードを引っ張るが、ビョンと伸び切った瞬間に、後ろを振り返ってちょっとペースを落として調節してはまた勢いよく走るという可愛い行動をしていた。
「テスト近いけど準備はばっちり?」
「バイトばっかりだから成績が悪いんだ辞めなさい。なーんて言われたくないから、ちゃーんとやってるよ! バイト終わりにすると結構疲れて大変だけどね。でも、あたし勉強に集中するの得意ですから」
「おぉ、バイト終わりにもしっかりやってるのは偉いなぁ。思ったよりも進みが早いし大変だよ。塾は時間がなくなるから行きたくないし」
「学校考えると塾選んでも同じ学校の人たちが固まってそうで、ちょっとげんなりしちゃうかな? と思っちゃう」
「わかる。学校終わったのにさらに同じ学校かつクラスメイトだと、塾通うのがさらに学校の延長になっちゃうよな」
「そそ。あたしもそれはちょっと嫌かなぁ。中学の時は塾行ってたんだけど、近くの選んだらあんまり仲の良くない人がいて気まずかった」
「あー、それは嫌だろうな」
中学時代の塾通いで、俺は
ほどよく走った先にあったベンチに唯彩が座ると、コンタロウが飛び込むように跳ねる。それを慣れたように受け止めた唯彩は快活に笑った。
「もうコンタロウ汚れちゃうよー」
ニコニコとした笑顔で大切そうにコンタロウを抱きしめる唯彩の姿をスマホのカメラで撮影する。シャッター音とともに唯彩が顔を上げて唇を尖らせた。
「う~油断した時に写真撮るんだから。でも、朝にコンタロウの事撮るの珍しいね」
「良いシャッターチャンスだと思ったから、ごめんごめん。写真送るよ」
メッセージですぐに先程の写真を彼女に送れば、唯彩は器用に片手でスマホを取り出して写真を見て嬉しそうな表情で頷いた。器用にスタンプまでしっかり送り返されて来る。そこまで喜ばれるとは思わなくて、俺は頬を描きながら笑う。
「私、ほとんど一人で散歩に出るしコンタロウと出かける時も私が写真撮る側だから、一緒の写真少なくて、これすごく嬉しい。ありがとうひさ君」
「いや。唯彩さんとコンタロウとの写真、良かったらこれからも撮るよ。良いかな?」
「うん!!! もちろん、ありがとう!」
コンタロウが飼い主である唯彩の嬉しそうな声に反応するように、一声鳴いてから抱かれるのにも満足したように飛び降りた。道の上を早く行こうと歩くコンタロウの姿に行くよーと答えるように唯彩が自然と答えて小走りに前へ行く。
初夏の日差しを浴びて走り出した彼女と大事にされている飼い犬のそんな姿は俺自身が思ったよりも、羨望とともに流れるようにデジタルデータの写真に収められた。
大切な何かと一緒にいる時は、本当はこんな姿にならないといけないのだと俺に示すような光景だった。俺は
「ひさ君どしたん? 行こうよ! 学校もあるんだから!」
「そうだね、ごめん! 行こうか」
自分の内心に立ち込める霧を少しでも振り払うように歩き出す。横に並んですぐに唯彩が笑顔を俺に向けた。
「コンタロウとの思い出、大切にしたい。ひさ君に写真撮ってもらえるなら、朝だけじゃなくて時間のある時一緒にでかけてくれる?」
ああ、そんなにコンタロウが大事なんだなという彼女の願いに俺は先程と同様にもちろん良いよと笑顔で頷いた。唯彩の髪が初夏の風に吹かれて舞う。
「ありがと、大好き!」
テンポよく脚は動かす。川の流れる音を聞き流して橋を渡り家へと向かう。塀を備えた
だから、莉念のことを頭の隅において、今日は気分爽快だなと思って家に戻る途中で
唯彩と比べて遥かに長い髪が初夏の風に揺れて俺を出迎える。
キラキラと明るく見えた金髪とは違い、艷やかにしかし光を閉じ込めるような黒髪だ。
「尚順」
そして、今汗臭いかもしれないと思って、彼女に嫌われたくなくて一歩距離を取った。その距離をずいっと俺の一歩よりも大きく動いて詰めて、微笑を浮かべて俺にタオルを差し出してくる。
「もう行くんじゃないのか」
「うん、行く。けど、尚順、多分、戻ってくる、時間だと、思ったから。ちょっとだけ、待った」
ちらりと待機している車を見れば、運転席に座った本家から来ている運転手だ。運転手は明らかに長い時間待たされているのがわかるように、こちらに視線を向けずにスマホをいじっていた。きっと彼女の祖父に遅れますとでも連絡しているのだろう。
「ありがとう」
「うん」
笑顔で彼女が答え、するりと車に乗る。
無邪気でなく、けれど、
旅行先では見ることのできないこの距離感を作る
柔らかなタオルが俺の肌を流れる汗を、優しくねぎらうように受け止めた。
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