第43話 私の物なの!


 夜はスマホの画面に通知が表示される時間帯だ。複数の人たちからのメッセージの通知が画面上に表示されて、勉強していた俺は意識を切り上げる。そろそろ風呂に入る時間も近いため、休憩がてら返事が必要なら対応しようとスマホを手に取った。

 唯彩はいつも通りバイトの話で気軽に返信できたが、鳳蝶あげはからは写真つきのメッセージが送られてくる。あの日からほぼ毎日繰り返される鳳蝶あげはの問題行動だった。

 泣いている彼女をなだめて送り届けた時と見かけた彼女の部屋のベッドだ。

 彼女の部屋にある大きな女性らしい色合いをしたシーツを使ったベッドに、ぺたりと女の子座りをしながら可愛らしい角度で自撮りされた写真。


『今日のお風呂は気分を変えて、いつもは使わない香りのバスオイルを使いましたの。この寝間着も可愛らしくないですか?』


 寝巻きと言いながらすっかり肌色が多くなった写真に、かわいいよと書いてから送り返す。

 彼女は満足したように、おやすみなさいとスタンプも合わせて返信がきた。そんな文章は可愛らしく見えるが、直前に貼り付けられた写真と比較し非常に歪だった。

 彼女にこんな写真を送ることはあまり良くないことだと説明しても、男子はこういうのが好きだと信じ込んでいるのだ。朝一に下着報告おはようメッセージまで送るのも直らない。

 それも一緒の下着を見た覚えがない。

 最初はただ自撮りしてみましたという感じで、ポーズも何も考えられていなかった。ほぼほぼ羞恥を隠しきれず、初挑戦した写真だった。

 だが、日が経つ毎に練習や世の中の調査でもしたのか、その下着報告写真の構図や自身のポーズなどは上達しており、彼女の自撮りの技術自体が向上している。

 過去の写真と、今送られてくる写真を比べればよく分かる。


「でも住道すみのどう家のお嬢様が、自撮りについて上手くなってもしかたないんじゃないかな……」


 呟いた声に笑ってくれるものも無いし、鳳蝶あげはに言うのも彼女がどんな感情であれ頑張っていることを否定することになって、気持ちが良いものでもない。

 これ以上深く考えても今の俺には解決策が見いだせない。華実かさね先輩のメッセージに目を移した。


『こんばんは。春日野かすがのちゃんと一緒に帰ったのかな? 私も一緒の方向に帰りたいなんて思ってしまったよ。家に帰ったら母上から、夏のシーズンに出すお菓子をもらったんだ。尚順君の夏のフルーツのイメージは何だろうか。スイカがぱっと出てくるのだけれど、残念ながら焼き菓子にスイカはあまり合うことがないんだよ。今回のお菓子は桃味で少々甘めだね』


 六月は初夏なので喫茶店に出すお菓子の初夏シーズン物を考えているということだった。初夏からは数量限定でアイスも出すということで、そちらはスイカ味らしい。俺自身が思いつくのはかき氷だが、六月にかき氷は早すぎるかなと思う。

 色付けされているのかほんのりピンク色をしているパウンドケーキだ。さらに写真には華実かさね先輩の手が一緒に写っていた。

 彼女のほっそりした綺麗な手についつい視線が行ってしまうが、今は真面目なお菓子の意見を返すべしと自分を律する。


『コーヒーと一緒なら少し甘くても俺は合うと思います』

『コーヒーは香りと味も強いから桃のパウンドケーキは個人的に楽しみにくいかなー。尚順君は休憩の時に飲むのもコーヒーだよね。今度紅茶と一緒に出すよ』


「お兄~、お風呂~」

「了解。ありがとう」


 嬉しいを表すスタンプを送った瞬間に扉の向こうで妹が声をかけてくる。頬が緩みきっている気がして、妹の声に慌てて気持ち悪い顔を取り繕うが、妹は入ってこないので大丈夫だった。トトトと妹は足早に自分の部屋に戻ったようで俺も風呂に向かった。



 再度短い時間、勉強を行う。

 ほどよい疲れが来たところで寝ようとしたところでスマホが震えた。メッセージではなく通話だ。

 こんな時間に誰だろうと思っていたが、珍しいことにメッセアプリでの通話ではなく電話だ。未登録の番号をディスプレイに表示させている。

 俺は疑問に覚えながら、ボタンを押す。もうすっかり遅い時間で、近くの部屋の妹の迷惑にならないよう声をひそめて応じた。


「もしもし」

「もしもし、折川で合ってるよね」

「……合ってるけど、春日野かすがのか」

「そう」


 沈黙が落ちる。どうしたとか、そういう言葉は自然と出てこなかった。

 ふと思い出されるのは、中学の時も、そういえばこんな風に夜遅くに一方的な電話をしてきたのだったなという記憶だ。その記憶にどんな色と感情が付随しているのか、俺のことなのに分からなかった。


「あのさ」

「うん」

「朝、一緒に通学しない? 同じ方向で同じ高校だし、問題ないでしょ」

「なにか話したいことでもあるのか?」

「……そういうことじゃないけど」

「お互いに時間合わせるのは大変だろうし、朝の通学時間は一緒にしなくても良いんじゃないか。俺は朝にランニングしていて通学時間がズレることもあるんだ」

「……っ」


 春日野かすがのが俺のそんな答えに息を呑んで驚いたようだった。沈黙が落ちて、俺は彼女の答えを待つと、彼女は努めて取り繕った冷たい声音で俺に不満を見せた。


「部活仲間じゃない。だったら一緒に行くのも良いでしょ?」

「……うーん、確かにバスケ部の時に朝早い時は近くのやつと一緒に通学したこともあるけど」

「そうでしょ。そうよね。だったら構わないでしょ?」

「でも、それは事前に約束もしてなかったし偶然顔合わせたからだから、別に今回みたいにわざわざ合わせなくて良いと思うんだ」

「……っ! もう良い」


 乱暴にボタンが押されたのかこっちの答えを待たずに通話が切れる。俺はそのままベッドに倒れ込んだ。春日野かすがのの意図はわからないが、俺はやはり答えを見つけることができない。明日、唯彩にでも聞いてみるかと睡魔でぼんやりとした考えの中眠りに落ちた。


  φ


 冬、俺が莉念に押し倒された翌日だった。約束していたのだ。初詣に行こうって。

 だから、俺が連絡もつかず、来ないので俺の家に彼女は来た。来てしまった。

 そうして、出迎える莉念に叫んでいた。


「私の物なの! あんたじゃなく、私が! 私に向かって! 可愛いって綺麗だって! 誕生日を祝ってくれた! クリスマスにデートだってした! そこでプレゼント交換だってした!!! あんたじゃなく、私が! 私、私がこいつの彼女で、私の物なの!」


 怒りに彩られた彼女の声が俺の体を叩くのと同時に、莉念りねんの少し気だるげな声が雪のちらつく中で嫌に俺の耳に響いた。


「尚順は私と過ごすから帰って」


 それ以上莉念りねんは何も言わず有無を言わさず、俺の腕を抱いて無情に迷いなくただ淡々と扉を締めた。閉められる扉の向こうで、彼女が俺に言葉を求める顔をしたが俺はその時何も、何も言わなかった。


 莉念りねんの唇が俺の唇と合わさって俺の声を塞いでいたから。

 春日野かすがのとは一度だってしたことがないキスを、彼女に見せつけながら、扉はあっけなく閉まり、もう春日野かすがのが尋ねてくることはなかった。

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