第18話 住道鳳蝶とお出かけ

 俺のスマホが通話を知らせる音を静かに鳴らしたのは、すっかり夜遅く、すでに時計の針は十一時を半分以上回ってからだった。

 俺はディスプレイに表示された名前を見る。そこにはたしかに住道すみのどう鳳蝶あげはの名前が表示されていた。

 彼女がこんな遅くに通話をしてくるとは思わなかったので、純粋に驚いていた。九時頃に来なかったので今日は来ないかなと思っていたのだ。

 通話ボタンを押して耳に当てると、凛とした声が緊張したように聞こえた。


「こ、こんばんは」

鳳蝶あげは、こんばんは」


 そう俺は応じて、沈黙が落ちる。さてどうしようか。これはある意味で彼女の練習なので、ここで緊張のせいで会話が続かないと彼女自身の、「次に友達に連絡する」時にハードルが上がってしまう。俺が口を開こうとしたところで先に口を開いた鳳蝶あげはが何度も言い直しながら尋ねた。かなり頑張っているのが伝わってきた。


「そそそ、それ、それでですわね。ひっ!」

「ひ?」

「ひ、尚順さんは今日。何をされてたんですの?」

「ああ、俺はお昼に唯彩ゆいささんと繁華街でバイト探すために出かけてたんだ」

「あ、唯彩ゆいささんと、それは、その、二人で?」

「うん? そうだよ。俺も唯彩ゆいささんもバイトをしようと話していたんだ。中学の時は意識してこなかったら、バイト先はどこが良いのかって考えながら回ってみた」

「……そうですの」


 鳳蝶あげはの緊張が消えた代わりに、何故か意気消沈したように声が沈んでいる。

 彼女はバイトをしなくても良い、またはしたくても出来ない立場だろうが、俺も唯彩ゆいささんももしも鳳蝶あげはと遊びに行くときにこちらの財布が少なくて遊べないということになっては、仲良くなるために遊ぶに言ったのに勿体なさすぎる。


「それで、中学時代にたまに使っていた喫茶店がアルバイトを募集してるから、やろうかなと考えてる」

「それは、唯彩ゆいささんも一緒に……?」

唯彩ゆいささんはどうするかは分からないけど、ちょうど入れそうだから一緒のところにするかもしれないね」

「……そうですの。……あの!」

「どうかした?」

「あの、その、えーっと、その喫茶店はどのようなお店なんですの?」

「普通のお店だと思うけど、そうだなー」


 少しだけ悩んでから、すぐに理解する。もう遅い時間だ。まだ鳳蝶あげはの話も聞けていないので、あまり長い時間話しすぎることも出来ないだろう。


鳳蝶あげはが問題ないなら、明日の十四時ぐらいに一緒に行ってみようか?」

「ほょぇ!?」

「嫌だったら」


 鳳蝶あげはが謎の声を上げてから再起動するまでに少々時間が必要だった。


「いえ! 行きます。行けます! 明日ですわね」

「ああ、と、もう十二時を回ってるね」

「その、遅くなりすぎて申し訳ないですわ」

「いや、俺は大丈夫だけど、さすがに夜遅すぎて妹から苦情が来るかもしれないから、今日は終わっていいかな? 明日、もう今日だけど十四時に鳳蝶あげはの土曜日の話を聞かせてよ。繁華街の駅前でいいよね?」

「わ、分かりましたわ!!!! た、楽しみにしてますわ!」


 想像以上に大きくて、耳がキーンとなった。びっくりした。おろおろとごめんなさいと言った彼女に笑って、大丈夫と答えて、また明日と電話を切る。



 十四時の駅前で俺は少しだけ早めにきて彼女を待っていた。パタパタと慌てたように少女が一人駅から飛び出して、駅前にある広場に姿を現した。

 彼女はキョロキョロと周りを見渡してから、俺の姿を認めると小さく手を振って小走りで目の前にやってくる。慌てながらも綺麗な彼女をちらっと見る男が周りにいるのは彼女の見た目を考えれば仕方がない。

 茶色に見える髪がハーフアップにまとめられている。清楚なレースブラウスにロングスカートをあわせており、色合いも綺麗にまとめられていた。


「お、おまたせしてしまいまして」

「時間通りだよ、落ち着いて」

「け、けれど、電車の到着時間が十四時でしたわ!」

「俺も今来たところだから、息を整えたらゆっくりお店に向かおうか」


 鳳蝶あげはを伴って丸宮珈琲に入れば、愕然とした表情で女子中学生に見える小柄な写真部部長が今日も出迎えてくれた。


「あれ、写真部の部長さん?」

「部長こんにちは、空いてますか?」

「……ああ、私は絶望しているよ、折川君。こちらの席へどうぞ」

「?」


 部長の発言がよくわからないと鳳蝶あげはは頭の上にハテナを浮かべていた。ふらふらと幽霊のように力なく俺たちを席に案内した部長はメニューを置いて無言で離れる。そんな部長の姿を不思議そうに首をかしげて見てから、


「あの、どうして写真部部長さんが」

「ああ、ここ部長の家がやってる喫茶店らしくて」

「そうなのですね。部長さんがやっているからここをアルバイト先にしたのですか?」

「いや、そういうことじゃないんだ。とりあえず紅茶で良いかな?」


 鳳蝶あげはが聞きたい事の意図がよくわからないが、とりあえず部長に迷惑にならないように注文を行った。

 昨日と同じ俺はコーヒーにして、今日のおすすめお菓子と、カステラは追加で頼んでおいた。今日は食べ歩きしたわけではないので、俺と鳳蝶あげはそれぞれにカステラ自体を追加注文してもいいだろう。


「そういえば、尚順さんはどうしてアルバイトを? お、お金に困っているのでしょうか」

「どうしてアルバイトをしようとするとお金に困ってる人扱いにされてしまうんだ」

「え!? 学生でバイトをされるというのは、そういうことではないのでしょうか? 苦学生が必死に学費を含めた生活費を少しでも稼ごうと」

「ドラマや漫画の見すぎじゃないかな? 俺がアルバイトしたいのは、写真の撮影旅行をするためだよ。自分の趣味でしたいことのために一般家庭の親からお金をいつも貰うのもわがままかなと」

「わがまま、私……」


 シュンと顔を下げてしまう。彼女にそんな顔をさせるつもりがなかった。言葉選びが悪かったと反省しながら、明るい声を発する。


「いや、一般家庭の場合の話だよ。鳳蝶あげはがアルバイトをしようとしても、家族が止めるでしょう」

「どう、でしょう。提案したことがないのでわからなくて」

「提案しなくても俺には止められる鳳蝶あげはが見えるから、気にしないで良いんじゃないかな」

「けれど、尚順さんがされるなら」

住道すみのどう家ご令嬢には申し訳ないけれどね、さすがに同じ学校から何人も必要ないよ」

「ど、どうしてでしょうか!?」


 コーヒーと紅茶、そしてお菓子を持ってきた部長が割り込む。部長の物言いに不満げな顔をする鳳蝶あげはに、部長はやれやれと言った表情をする。

 そもそも鳳蝶あげはは保護者が認めないだろうから、部長が止めなくても大丈夫だと思っていても黙っていた。


「だって、同じ学校の学生ばかり雇ったら、平日や土日に学校のイベントがあったら休みを取るのが被るじゃないか」

「ほ、本当ですわ!」


 驚愕の事実みたいな顔をする鳳蝶あげはが可愛いのか、そうだろうそうだろうと部長が偉そうに頷く。そうして満足した部長は、あまり騒がしくしないでくれたまえと告げて離れていった。

 お菓子と紅茶を頼んで感想をお互いに言い合って、ほっと一息ついた。


「このカステラ、とても美味しいですわ」

「昨日食べて、俺も個人的にとても気に入ったよ。鳳蝶あげはの口に合って良かった」

「あ、昨日」


 何故かシュンとする鳳蝶あげはにまた首をかしげてしまう。


「いえ、何でも無いですの」

「そう? それで俺は電話で話したけど、鳳蝶あげはの話も聞かせてよ」

「私の話?」


 何だろうという顔をしているが、昨日電話で話したことをすっかり忘れているのだろうか。


「いや、今日喫茶店に来るのに合わせて鳳蝶あげはの土曜日の話を聞かせてもらうからって話だったでしょ」

「あっ! そ、そうでしたわね。ちょ、ちょっと喫茶店に行くということばかり考えてしまって」

「そんなに喫茶店気になってたの? 嬉しいな。鳳蝶あげはが通うようなお店は知らないけど、俺が中学生の頃から通えたのが分かる通り、学生でも通いやすい値段なんだ。その代わり、長居はあまりしないほうが良いけどね」

「とっても素敵なお店だと思いますわ! 私もあまり大通りから外れた場所を歩き回ったりしてこなかったので、というより友人とその、出歩くということがなくって」


 中学時代に周りが楽しそうでしたの。など、悲しい鳳蝶あげはの発言にどんどん空気が重くなる。彼女の中学時代のクラスメイトたちの距離感について、たまに出てくる話で考えると学校ではクラスメイトとして比較的友好的な話が出てくるのだが、プライベート寄りになると途端に話題が減るのは何があるのだろうか。


 先日の学級委員の集まりで顔を見せた伊藤さんという女性は、ぐいぐい来そうなタイプだと思ったのだが。しかし、よく考えると入学後にぐいぐい来るタイプの伊藤さんが別のクラスの鳳蝶あげはに顔を出しているのを見ていない事を考えると……、ちょっと悲しいので考えを打ち切る。俺の中学時代も人の事は言えないけどな、自嘲してからなるだけ鳳蝶あげはに向かって優しい声音で話しかける。


「とりあえず、俺が言うのも失礼かもしれないけれど、今日は休日に友人と遊んだってことで良いかな?」

「い、いえ! 失礼なんてそんなことありません! ありがとうございます。私、嬉しいですわ」

「良かった。俺は中学時代友達少なかったから、高校では心機一転頑張るつもりだし、鳳蝶あげはも一緒に楽しもう。まだ高校が始まって一週間も経ってないんだから」

「はい、そうですわね! 入学から一週間もしてないのに、大変濃い日々で」

「ははは、俺も濃い日が多かったよ。朝ランニングしていたら柴犬を助けたり」

「柴犬を? 何かあったのですか?」


 そこで唯彩ゆいささんとの出会いを語れば、彼女はそんな事があったのですのねと相槌を打つ。俺の話も一段落して、俺はまた横道に外れすぎた話題を軌道修正する。

 今日はあくまで鳳蝶あげはの土曜日の話を共有してもらうために来たのだ。ちょっと俺が話しすぎたかもしれない。


「俺の話ばっかりになっちゃったね。鳳蝶あげはは昨日の土曜日何かあったの?」

「き、昨日!?」

「うん、元々その話だから、……もしかして嫌なことでもあった?」

「い、いえ! ど、土曜日はパーティーがあって、そこで大人に混じって話したぐらいでしたわ! と、特に変な事も起こらず、お、穏やかに終わりましたの!」

「そうなんだ」

「そ、そうですの!」


 そうして言葉が途切れて会話が止まる。さて鳳蝶あげはがこのように切ったということは、本当に何もなかったのか。

 莉念りねん自体はパーティーについて、会った時も朝のランニングで顔を合わせた時にも話題に出さなかったので、俺自体は土曜日のパーティーで何が起きたかは知らない。しかし、下世話な爺さんがわざわざ呼び出したと莉念りねんが語ったのを考えると、鳳蝶あげはに関して何かしら話題に出さなかったのはありえないと思うのだが。

 ふぅーむと少々長く考えすぎてしまった。俺の顔を伺いながら、とてもしょんぼりした鳳蝶あげはが声をしぼませる。


「うぅぅ、ごめんなさい。私、面白い話題がなくって」

「いやいや、パーティーは鳳蝶あげはと同じ年の人は参加していたりしないの? 大人とだけ話すのは大変そうだよね」

「そう、ですわね。今回は四條畷しじょうなわてさんがいましたが、他は茶道部の副部長さんでしょうか。彼女自身とは話す機会がありませんでしたの。住道すみのどうグループの集まりでは、両親が気を使うのか、もう少し同年代が居ることが多いのですが、昨日はその、住道すみのどうグループではなかったので」

「そうなんだね。茶道部の副部長さんもそんな集まりに顔を出す家の人なんだ。……その割に丸宮部長はすごい馴れ馴れしかったような」


 ちらりと別のテーブルのオーダーを受けている部長を見れば、俺の視線に気づいたのか、こちらを見て人形のように可愛らしく首を傾げてくる。首を横に振って、何でもないですアピールをしておいた。


「そう、ですわね。でも、私、羨ましかったですの」

「羨ましかった?」

「ええ、副部長さんが丸宮さんと話される姿はすごい気さくですわ。でも昨日のパーティーで見かけた時は、やはりそんな姿を少しも見せてなかった。学校で気さくに話せる友人がいらっしゃるのがとても羨ましいのですわ」

「そっか」

「そうですの」


 鳳蝶あげはは残ったお菓子と食べてから、紅茶を飲み終える。空っぽになったカップの中を見ながら、もう一度小さく、「そうですの」と呟いていた。

 時間を見ればもういい時間だ。

 俺は鳳蝶あげはの手をトントンと指で柔らかく叩いて、顔をあげさせる。


「もういい時間だし、出ようか?」

「え! もうこんな時間ですの!?」


 会計を済ませて部長に見送られながら、外に出る。出る直前、修羅場に巻き込むような使い方はやめてくれたまえと言われたが、心外ですとだけ答えておいた。友人同士で使う時にそんなことになるわけがない。

 実際俺は中学時代に莉念りねんと利用していた頃は、そんな雰囲気で使用したことはない。俺がフラレて空気が悪くなってから、利用することもなくなった。

 部長は信用できないと目で語っていたが、それ以上は何も言われなかった。


 外に出て、ゆっくりと駅に向かって鳳蝶あげはと並んで歩く。鳳蝶あげははキョロキョロと周りを見てから、あそこが気になりますわと言っては、俺も彼女の要望に答えてお店をのぞいたり楽しむ。

 鳳蝶あげはの興味に合わせて立ち止まったりしたため、駅に戻るのはまっすぐ帰るよりもひどく時間がかかった。けれど、本当に楽しそうにしていた鳳蝶あげはを見て良かった良かったと思う。


「あの、ついつい気になって寄り道してしまってごめんなさいですの」

「俺も鳳蝶あげはの好きなものとか楽しかったよ。ありがとう」

「!!! わ、私も尚順さんと過ごせて楽しかったですわ。ありがとうございますの!」


 彼女と俺は反対方向だ。改札を通り抜けてから、鳳蝶あげははちょうどホームに滑り込んだ電車へ向かう。恥ずかしそうにしながら、可愛らしく手を振れば、ちょうど電車の扉が閉まる。俺も鳳蝶あげはに手を振って電車を見送って、ちょうど来た自宅方向に向かう電車に乗り込んだ。

 夕食に莉念りねんと顔を合わせたが、やはり彼女から土曜日のパーティーについて話題が出ることはなかった。

 今日も撮った写真を何枚も保存する。鳳蝶あげはは恥ずかしがるが嫌がらず素直に受け入れてくれて、スマホとはいえたくさんの写真が保存された。俺はその写真を振り返って満足して睡魔にまかせて眠りに落ちた。


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