第17話 住道家ご令嬢の婚約者

Side 鳳蝶あげは


 私は赤を基調にしたパーティードレスを着て両親から離れて会場を回っていた。未だに本来のホストである四條畷しじょうなわての御老公は姿を見せていない。そのため会場はまだゆるい雰囲気で、顔見知りやビジネスを啄みたい烏たちがあちらへふらふらそちらへふらふらと小規模な集まりを作っては解散を繰り返していた。

 ホテルの窓から見える庭園は優美だが、もはや見飽きたか団子を求めた実業家たちには楽しむ時間等存在していない。


 両親がいる会場で、両親のそばから離れて佇む私に話しかけてくる大人はいない。ビジネスパートナーの両親がいるところに、それらを無視して十六の小娘に話しかけに行く大人など、悪目立ちしかしない。そんな事をしては周りの烏共に自身のみっともなさを喧伝する輩が四條畷しじょうなわて家の集まりの呼ばれるはずもなく、同年代もなく逆に浮いた存在となった私は会場の中を彷徨い込んだ蝶のようにふらふらと会場を飾ることしか出来ずにいた。

 結局、ホストであるはずの四條畷しじょうなわての御老公は開始から十五分も遅れて姿を表した。入り口からひときわ大きな声を響かせながら、堂々と歩く姿は年齢を一回り以上若く見せている。

 その背後を大人しくついてくる二人の妙齢の男女と美麗な少女の姿。しかし、その三名はあたかもこの場が自分たちにふさわしくないというように存在感が希薄であった。


「やあやあ、遅れてしまったかのう」

「これはこれは御老公」「お待ちしておりましたぞ」


 次々と大人たちが四條畷しじょうなわての御老公へ挨拶に向かう。いつ頃か私は知らないけれど、四條畷しじょうなわての御老公はずっと名前も呼ばれずにパーティーや集まりがある場合には、常に御老公や四條畷しじょうなわての御老公と呼ばれていた。

 両親が私を早々に捕まえに来て、私と連れ立ってわらわらと挨拶のために集まる集団の中心へと向かう。

 君子危うきに近寄らずという風に人垣がゆっくりと割れていき、四條畷しじょうなわての御老公と呼び出された現在の住道すみのどうグループの当主と家族の顔合わせを遠巻きに眺めながら、徐々に距離が広がっていった。


四條畷しじょうなわての御老公、此度は四條畷しじょうなわて家の集まりに初めてお招きいただきありがとうございます」


 住道すみのどうの名前はこの地方であれば二百年あって老舗と認識されるが、大きくなったのは祖父母の頃からであり成り上がり扱いを受ける家だ。そんなビジネスとして徐々に大きくなってきたライバルの家自体を、四條畷しじょうなわては今まで自身の開催するパーティーには呼ぶことはなかった。

 もちろん顔合わせ自体は初ではない。四條畷しじょうなわてがホストでない集まりであれば何度も顔を合わせているが、呼ばれたことがないので父は初めてを少しだけ強くして言った。


「はっはっはっ、なんのなんの。この地に住むものであれば、もっと早くに交流してもおかしくなかったが、我が家は住道すみのどう殿とは縁がなくてのう。急な招待にも関わらず来てくれたことを感謝する」

「我が家自身は四條畷しじょうなわて家とはビジネスで中々糸が絡まず残念ですが、互いにこの地に根を下ろしている者、同じ水を飲むこともこれから更に多々ありましょう」

「そうさなぁ、同じ水を飲む若木が枯れた時ほど寂しいものはあるまいて、朝露だけでは大木になるまいし、なれば、川の水がいかな器量よしか知れるものよ」


 ニコニコと笑顔で言う御老公は、今までの顔合わせが全く縁にもなってない集まりであったのだが、お前さんたちは何をしていたのかなと遠回しに告げてくる。父親は宗家とは直接の取引関係はなかったけれど、根自体はしっかり張っているが? と答えれば、過去にこの地にビジネスで名前を上げた家は枯れてしまったと言ってくる。

 枯らしたのは四條畷しじょうなわて家なのを知らぬ者はこの場にはいない。


 父は本来こんな会話をするのが好きではないが、立場というものがあるのでわざわざ御老公に合わせていた。祖父母は御老公が嫌いだったので顔を出していればもっと盛り上がっていただろう。

 聞いていて疲れてくるので、早く終わってほしいと思いながら、澄まし顔で御老公が会話遊びに満足するのを待っていた。


「さてな、では、儂の方から家のものを紹介しよう」


 そういって御老公は、四條畷しじょうなわて莉念りねんの両親と莉念りねん自身を紹介してきた。入り口に姿を見せたときと同様、その三名は落ち着いていてもこの場にいる気が無いようなそんな雰囲気を内包している。

 その理由自体は理解しているので、うちの両親も彼らへの挨拶は必要最低限だけである。

 四條畷しじょうなわて莉念りねんは絹のような艶の黒髪が美しく輝き、整った顔立ちが学校では見かけたことがない穏やかな笑みを浮かべ、静静と頭を下げて挨拶を送ってくる。


「御老公、我が娘の鳳蝶あげはです。鳳蝶あげは、御老公へ挨拶なさい」

「はじめまして、鳳蝶あげはと申しますわ。本日はお呼びいただきありがとうございますの」

鳳蝶あげは殿、よろしくのう。孫と同じ年の娘さんがいるということで、此度は参加嬉しく思う。きっとお互い仲良くできるじゃろうて。はっはっはっ」


 御老公はじろじろと私を見てから気楽に告げる。合わせて四條畷しじょうなわて莉念りねんと両親に挨拶を送った。

 莉念りねんに関しては、見た目でこの花に勝てる女性を見たことが無い私は少しだけ気後れしながら彼女へ挨拶を返した。

 変な圧もない挨拶を終えて、私がほっとして両親共々この場を少し離れようとしたところで、御老公が思い出したというようなわざとらしい動作をして、楽しげに口を開きひときわ大きな声を発した。


「おおう、そういえば、住道すみのどうご令嬢の鳳蝶あげは殿の婚約者はまだ来ておらんのか?」

「は?」


 両親はなんとか声をだすのを飲み込んでいたが、私は出来ずに間抜けな声を周りに人がいる中で発してしまった。先程この老人は何を言ったのか、私はぐるぐると言葉が回る頭の中で必死に考えていると父が口を開いた。


「ははは、どのような勘違いか、そのような関係の者は鳳蝶あげはにはいませんよ」

「ほほう、鳳蝶あげは殿、そうなのか?」

「え、ええ、どのような誤解があったか存じませんが、私にはおりませんわ」

「なるほどなるほど、儂が聞いている話と違っておるのう」

「何を――」


 私が御老公へ食ってかかろうとしてしまうところへ、父が私の肩に手を置いて押し留める。そのような人間は居ないのだから、変に突っかからないほうが良いというのはその通りなのだ。


「いやいや、我が孫も鳳蝶あげは殿と同じ高校へ進学しておるじゃろう? 儂も孫娘が心配でのう。ついつい昨日も孫娘の近況を知り合いに聞いたところ、なんとなんと!! 住道すみのどう家ご令嬢が男子学生と仲睦まじくしている姿を見かけたというではないか。

 住道すみのどう家といえば、傍に立ちし異性とあらば決して誤解を生まぬという家柄であって、儂もその話を聞いた時にはなんと清廉な者だと感心したものよ。

 なれば、それまで一つとして噂もなかったご令嬢の隣に侍る男子と考えれば、これは親も認めたさぞ立派な人物に違いなし! と儂は思い、ぜひ住道すみのどう家ご令嬢の婚約者を見るために呼んだのじゃが。

 どうやらまだ来ておらぬみたいでのう」

「な、なんっ!?」

 私は驚愕声が漏れるだけで言葉にならない。顔を赤くした私を楽しそうに目の前の老人は見つめてくる。


「婚約者というような者はおりませんし、そのようにしている人がいるなどと娘からは言われておりません。言いがかりは」

「おやおや!! もしや娘さんは婚約者ではない者に懸想しているところを内緒にしておったのかのう。それは申し訳ないことをした」

「け、懸想!?!? わ、私と彼はそのような関係ではありません!!!」


 学校、男子学生、住道すみのどう家、婚約者、ぐるぐると単語が回る中で、必死に口を開いてそう叫んでいると思われるほど大きな声を発していた。父親が私を止めようとするが、楽しそうに笑っている御老公は間髪入れずに私に尋ねる。


「ほほう、なるほどな。では、どのような関係なのかのう」

「お友達ですわ!!」

「友人、なるほど、友人とな。はて、住道すみのどうのご令嬢には今まで男子の友人はおったかのう。ついぞ集まりで見かけたこともなかったが」

「高校からのお友達が出来て何か問題でもありますの!?」

「いやいや、鳳蝶あげは殿、何も問題なぞ無いとも! 新たな場、若人のうちに多くの友誼を結ぶのは大切なことよな。いやしかし、今まで鳳蝶あげは殿の友人に殊更仲睦まじくする男子が」

「わ、私とあの方は、ですから、仲睦まじいと評されるような関係では」

「おおう、そうじゃったか。じゃが、儂が聞いたところ、お互いを名で呼び合っていると聞いたので、男女でそういうのであれば仲睦まじいと表現する以外に儂はわからんくてのう。年寄りには難しいのう」

「な、ななななな!?」

「お爺ちゃん、いい加減うるさい」


 父が私にそんな人がいたのか? と困惑したような顔を向けて、私が答えられずにわずかに顔を赤くしながら混乱の極みにいるところで、冷え冷えとした綺麗な声がピシャリと刀を振るっていた。慌てたように御老公が言葉を発した少女へ少々情けない表情を向ける。


莉念りねん~そんな冷たいことを」

「お爺ちゃんうるさい。挨拶終わったなら、私帰ってもいい?」

「おおう、すまんのう莉念りねん。儂が悪かった、ほれ、他の者達に挨拶をせねばならぬ」

「挨拶終わったら、帰ってもいいの?」

「いやいや、そんな冷たいことを言わんでくれ。今日一日居てくれると言ったじゃろう」

「うるさくなかったら良いけど、お爺ちゃんうるさいから」

「悪かった。儂が悪かった」

「おっと、住道すみのどう殿すまぬ、他にも挨拶をしておかねばならぬのでな。では、ゆっくり楽しんでくれたまえ。先程の件はどうも儂の“勘違い”だったようだからの。はっはっは!」

住道すみのどうの皆様まことに申し訳ございません。私の祖父は耳も遠いしボケも入っているのか」

莉念りねん~ひどくないかのう?」


 この御老公に本来彼女はこんなこと言える立場では無いだろうに、そのように言いのけてスタスタと進む。私をからかうだけからかった御老公は、四條畷しじょうなわて莉念りねんを追いかけるように私達から離れていった。

 遠巻きにしていた参加者たちは、御老公の発言で先程までの内容があたかもなかったかのように振る舞ってくる。御老公の態度と一声で、先程までのあの行動をなかったことに強要してくるのだ。しかし、この場を離れれば人の噂に戸口は建てられないだろう。

 私達も御老公が言ったせいで周りの四條畷しじょうなわて家にかかわる者たちは、それ以上話題に上げることもない代わりに、私達が話題に上げて釘を刺すなんて事も出来ない。


「家に帰ってから、しっかり聞きますからね」


 父ではなく母がそんな事を楽しそうに言うので、私は困りながら、はいと言うしかなかった。

 それからは表向きつつがなくパーティーが終わって、両親とともに車に乗って家に向かう。さあ、どう説明すればわかってもらえるのだろう、私はそんな事を思いながら傾いていく夕日を眺めていた。

 母親はなぜかわくわくと楽しそうだった。

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