101話 宝物が本物かどうか

 撮影旅行から帰ってきた夜、土砂降りで外は雨音で騒々しかった。一向に待てども莉念りねんの姿は見れなかった。莉念りねんが今日も居なかった。母が俺に顔を向けて残念そうに言った。


莉念りねんちゃんのお母様の身体の調子が悪くて代わりをするために忙しくなって大変らしいわよ」

「そう、なんだ。今日は家に来なかったんだね」

「どうも、もう夏休みいっぱいはお母様のかわりに頑張らないと行けないから、来れなくなりますって言われたのよ。ごめんなさいって言われたけれど、早くお母様が良くなると良いわね」


 俺はそれから何を話したかよくわからない。部屋に一人ぽつんと戻って、何度もスマホを見直した。だけど、莉念りねんから連絡が全く入っていない。そんな連絡をもらっていない。家族同然の幼馴染は俺に相談をしてくれなかった。

 電話を掛ける。当然通話は繋がることはなかった。そもそも、と俺は気づく。


「そういえば、いつからか莉念りねんとメッセージのやり取りも通話もほぼしたこと、無かったな」


 いつだって彼女は家に居た。メッセージを送るのは晩御飯の時間に遅れそうと、デートの待ち合わせ時間の連絡ぐらいだ。

 メッセージの内容を振り返る。あまりにも数が少なくて、今は八月なのにあっという間に春まで戻れてしまう。……会えないなら返事がほしい。少しでもメッセージをまた送るようにしようか?

 バイトに入る前の、デートの約束をしたメッセージを見た。

 デートに呼び出された。だが、すぐにラブホに行った。雨の日だ。

 ……あの頃は徐々に華実かさね先輩が気になって、莉念りねんに呼び出されてひどく傷ついていたはずだ。

 秘密のフォルダを見返せば、その月のフォルダはちゃんと存在している。保存された写真データの日付もぴったり一致している。

 綺麗な幼馴染の淫靡な写真が何枚もあった。フォルダを閉じる。


 撮影旅行の写真を整理して、俺は、今あるべき思い出を整頓しようとした。なのに、俺を寂しさが襲う。


鳳蝶あげはの写真ってこんなに少ないんだな」


 本当に鳳蝶あげはの写真は淫らな物ばかりで、俺は撮影旅行で出来た鳳蝶あげはとの関係を構築するための思い出の鳳蝶あげはが少なすぎた。ようやく朝に送られた私服の写真を入れるぐらいしか出来ない。

 感情と写真の思い出が不一致になる。

 いや、そもそもそれを受け入れるための写真の思い出、構築された物語だったはずだ。

 なのに、俺は今、鳳蝶あげはの思い出を構築出来ないことに寂しさがあった。


 莉念りねんにフラれてから、春日野かすがのと受験を目指して一緒に過ごした。

 冬はフラれた莉念りねんと家族同然の距離感で過ごせるようになり、春は鳳蝶あげは唯彩ゆいさという友人と高校で出会い友達として仲良くなった。

 そして、写真部の部長である華実かさね先輩と出会い、付き合うことになった。

 そんなありきたりな物語だったはずだ。たった三ヶ月、時間が経っただけで、もうこの他人に話せる範囲がめちゃくちゃになっている。


 幼馴染にフラれたのに、幼馴染が誰かへ行くのを許容出来なくて惨めな自分が、彼女と一緒に俺の部屋で仲が良さそうに肩を並べて写真を撮っている。思い出に入れたのだ。フラれたはずの幼馴染と、あたかも恋人だと自分が主張するような写真が並ぶことで、破綻している。

 そして、恋人となった華実かさね先輩の写真がどんどんと減り、俺は華実かさね先輩と恋人のはずなのに、気づけば、俺にとって好きな人の夏の写真は、たくさんの莉念りねんの思い出しかない。

 なのに、莉念りねんは、夏はもう会えない。

 好きな人に会えない。莉念りねんにも、華実かさね先輩にも会えない。


 カラカラと心が空虚に回って音を立てる。パソコンをいつの間にか消していた。スマホに残った写真の一覧では、空っぽな思い出が俺を出迎える。

 恋人と女友達の写真は、どうしてこんなにも感情と乖離しているんだろう。


 じゃあ、次に俺が大切な人は誰だろう。撮影旅行の中で自覚した俺は、もう分かっている。

 写真の整理を終えて、通話を掛ける。疲れているだろうに、すぐに彼女は出た。スマホ越しに彼女の声が俺の鼓膜を震わせる。可愛い声だ。


「こんばんは、尚順ひさのぶさん」

「こんばんは、鳳蝶あげは


 短い時間でも彼女と会話する喜びがある。朝、帰宅のために別れの挨拶で会話をしていたばかりなのに。

 明日朝、最近全く出来ていなかったデートをしようと誘う。彼女はスケジュールが難しいと断念しようとしていたため、俺は提案した。


「迷惑でなければ俺が鳳蝶あげはの家に行ってお茶でもしよう。そうであれば、鳳蝶あげはが出歩くための移動時間も無くなるし、そのまま出掛けられるんじゃないかな」

「それは、そうですが」


 彼女は迷ったが、おずおずと俺に宝物が本物かどうか尋ねる。


「わ、私に会いたいということですの?」

「旅行中にも言ったけど、そうだよ。俺は鳳蝶あげはに会いたい」

「ひょぇ」


 鳳蝶あげはが素っ頓狂な声をスマホの向こうで上げる。俺はびっくりして耳からスマホを遠ざけた。しばらく彼女のなんだかよくわからない声が何度か繰り返されて、落ち着いてから耳に当てる。


「落ち着いた?」

「ハアハアハア、あまりに驚きましたの。それで、お家に伺いたいとのことですが、申し訳ありませんの。今、私が家にいる時間というのが、つまり父も母も居ることになってしまい、紹介してしまうことになって……、その、まだ早いですの」

「……そっか、そうだよね。気を使ってくれてありがとう」

「い、いいえ、良いんですの。会いたいと言われるだけで、すごく嬉しくて……」


 結局、俺は鳳蝶あげはに会える確約も出来なかった。


「そういえば、写真、見ましたの。井場さんの写真が多いんですのね?」

「あぁ、髪が長いと海風にちょうど髪が映える動きをしてて、挑戦してみたんだけど、どうだったかな?」

「綺麗でしたの。でも、画面いっぱいに髪がまとまりが無く埋まってると、ちょっとホラーですわね」

「あー、やっぱりそうだよね。難しいなぁ。風のコントロールなんて出来ないからな」

「ふふ、そうですわよね。……私も撮ってみて欲しかったですの」

「うん、タイミング合わなかったね。俺もすごく鳳蝶あげはを撮りたかったんだけど、鳳蝶あげはだけをモデルにした写真撮れなかったの残念だった。でも、」

「でも?」

「来年でも二人で行けるなら、写真撮ろうね。友達の鳳蝶あげはが良ければ、だけど」


 悩んだような声を鳳蝶あげはがあげている。意図は伝わっているようだった。俺は現状、恋人は華実かさね先輩だ。だから、鳳蝶あげはをモデルにした撮影をするために旅行に行くなら、セフレではなくモデルに協力してくれる友達としてのみ旅行に行きたいと思った。

 今日振り返ったたくさんの写真に鳳蝶あげはの思い出は少ない。だから、やましい気持ちの無い友達としての鳳蝶あげはと出掛けてやましい事がないモデルとして写真を撮りたいと思った。

 鳳蝶あげはは結局悩んだまま答えを出せずに、話題を変えて少し話しておやすみなさいと電話を切る。


「……やっぱり鳳蝶あげは華実かさね先輩やせんりみたいにエッチの方がしたいのかな」


 だけど、旅行先ではキスもせずに俺たちはただ仲の良い友人として話すことが出来たと思う。俺の気持ちを聞いて、彼女は泣いて考えてくれたと思う。だったら、まだ俺が望む関係を鳳蝶あげははもう一度選んでくれるのではないだろうか。


 鳳蝶あげはの出してくれる答えはまだわからない。だけど、俺は期待が湧いてその日、鳳蝶あげはに希望が持てた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る