100話 華実「エッチしないの?」


 夜、外を窓際から外を見れば、月の光が落ちた海が見えた。鳳蝶あげははまだ戻ってきてないが、皆が自室のベッドで行った。俺はスマホを確認する。


尚順ひさのぶ君、ベッドに来て』


 ……ただそれだけが乞うように送られて来た。俺は既読したままずっと返信をせずにいた。彼女は俺が居間に居てすぐに確かめられるのに、確認しに来ない。

 迷って迷って、俺は和室へ戻ってから、彼女にメッセージを送る。


『和室に来て下さい』


 おずおずと和室の扉が開いて、浴衣姿の華実かさね先輩が身を滑り込ませる。常夜灯だけにした部屋は思ったよりも明るく、華実かさね先輩の表情が見て取れた。


尚順ひさのぶ君、エッチしよ?」


 華実かさね先輩の声が俺の鼓膜を震わせた。俺は是非を答えずに、彼女の手を掴んで抱き寄せてただ布団の中に埋まる。


「……エッチしないの?」

「しません」

「何で!? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで?」


 強く黙ったまま抱きしめていると、俺を抱きしめ返していた華実かさね先輩が不安そうに何度も尋ねるが俺はただ黙っていた。

 何で? と聞かれても、応えられない。嫌だと言ったら傷つけてしまう。

 シクシクと彼女が泣き出す。何でどうしてと腕の中で暴れるように動く彼女に俺の手の中に答えはなかった。


「だったらせめてキスしてよ!」

「ごめんなさい」

「嫌だ! 嫌だ! なんで! 私、恋人なのに」


 答えず俺は抱きしめる。華実かさね先輩が一時的に気持ちよくても、他のみんなが傷ついてしまう。俺は、鳳蝶あげはをまた傷つけてしまうのが恐ろしかった。

 だから、俺は華実かさね先輩とは今何もせず抱きしめるだけしか出来ない。

 暴れて、喚いて、諦めたのか、俺の胸に顔を押し付けて彼女は泣き続けた。


 疲れ果てた華実かさね先輩が眠って、起こさぬよう静かに部屋を出ると、春日野かすがのが今から続く窓際に椅子を置いて座っている。

 離れたところに置いてあった椅子を、俺も持ち出して彼女に向かい合う形で座った。春日野かすがのがバカにするように笑う。


「……なんでこんな事するの?」

「……するつもりはなかった。あの日も」

「だったら、言い訳すればよかったでしょ」


 その問答は君と初めてキスした時に終わっている。俺は黙って、彼女を見返した。彼女は俺を数秒見つめて、視線を窓の向こうにやった。


「私、恋人だった。私のこと好きじゃなかった?」

「……告白されたから、付き合った。その時がどうだったかもう答えられないよ」

「ひどい奴」

「そう、だね」

「そうよ。本当に、そう」


 目の前の春日野かすがのがふいと自然に感情が高ぶったせいで涙が溢れ出したように泣き出す。


「エッチして。私も、したい。あいつも部長もしてるのに、私だけしてない。ズルい。ズルいよ。こんなに折川おりかわの事好きなのに」

「……出来ない。ごめん」


 立ち上がって近づいてきて、パンッと平手が俺の頬を叩く。俺は座ったままポロポロと涙を流しながら俺を見下ろす彼女を見返した。また彼女の平手が叩く。

 何度も何度も叩いて、彼女はその度に俺に問い返した。


「叩かれたくないなら、私とエッチしてよ」

「しない」


 パシッ。


「私としてよ」

「……しない」


 平手と繰り返された問答に、彼女が疲れて願った。


「抱きしめて」


 黙って彼女を抱きしめる。


「なんで抱き締めてくれるの。それならエッチしてよ」

「ごめん、しないよ」


 彼女もまた昨夜の寝不足と相まって泣き疲れ、あっさりと眠りに落ちて俺の身体にもたれかかった。

 彼女のベッドに連れて行くと、薄暗い部屋の中でせんりが起きて俺を出迎える。

 ベッドに春日野かすがのを横たえて離れると、せんりが俺を背後から抱き締めた。


「清算のつもりですか?」

「そういうのじゃないよ」

「だったら、春日野かすがのさんにも手を出せばいいじゃないですか」

「……聞いてたのか」

「ねえ、尚順ひさのぶ、キスして」


 脅迫されている俺は、彼女をベッドに横たえて、莉念りねんを思ってキスをした。嬉しそうに彼女の舌が俺の舌を絡め取る。莉念りねんに会いたい。だけど、莉念りねんは会ってくれない。毎日会うと約束したのに、旅行先に来た俺に、彼女からの連絡はない。莉念りねん莉念りねん。心の中の声が溢れてきて、言葉にならない声が絡み合う舌の上で踊った。

 せんりはあたかも自身が求められているのに満足するように、俺の身を剥がす。


「エッチは、しないでおいてあげます」

「……おやすみ」


 ――莉念りねん。俺は彼女の唇に優しくキスをしてから彼女たちの部屋を出ていった。

 気分を変えるために身体を洗おうと浴室に向かう。

 少女が俺を待っていた。


「また一緒に入りませんこと?」

「ああ、一緒に入ってくれるかな」



 今日も彼女を腕の中に収めながら海と月を見る。彼女は今日、集まりで会ったことをポツポツと雑談のように話してくれる。俺はそれに頷いて会話を続けた。彼女の鎖骨ラインを指で撫でる。覗き込んだ身体のラインはとてつもなく綺麗で、彼女の肌を撫でていると彼女が身を震わせた。

 腕で、手のひらで、彼女の肌を感じる。彼女の背中に密着した。

 莉念りねんと一緒にお風呂に入るのが好きだ。小学校の頃は無邪気だった。中学の頃、こことは違って自分の家の浴槽は、成長した俺たちの身体にはすっかり狭くなった。もっと強く莉念りねんと密着し、俺は必死に我慢していたけど、自然と興奮してしまい、莉念りねんはそれに気づきながら妖艶に笑って、だけど一線を越えなかった。

 俺は恋人じゃないとダメだと思ったからだ。今は、そんなことはない。俺も莉念りねんも確認し合った。家族同然の幼馴染とエッチするのは普通なんだ。

 俺が黙って鳳蝶あげはを撫で回しているのを疑問に思ったのか、鳳蝶あげはが悩ましい声を吐き出す唇を開いた。


尚順ひさのぶさんは」

「何?」

「んぅ。なんでもありませんの」


 大切な彼女の存在を全身で触れて、願う。



 彼女の髪を丁寧に乾かし、俺は昨日と眠る場所は違えど、今日も彼女と抱き締め合う。

 華実かさね先輩が俺の和室の布団で眠っている関係上、今日は鳳蝶あげはのベッドで俺たちは抱き合う。


「今日も、良いんですの?」

「こっちこそ、良い、かな。鳳蝶あげはと一緒に眠りたいんだ」

「構いませんの」


 もう少しで唇が触れ合うほど近い距離で鳳蝶あげはが笑顔になる。


「おやすみ、鳳蝶あげは

「おやすみなさい、尚順ひさのぶさん」


 辛い時に、お互いを確かめ合うように抱きしめる。

 こんな簡単なことを、今日も俺と君は出来ている。



  φ


 鳳蝶あげはまだ眠っている。彼女の髪を優しく撫でて、俺は部屋を辞した。スマホを起動して、田中にメッセージを送る。


『起きてるかな、棚田君も含めて話をしよう』



 夏の朝の海が発生させる波は穏やかな音を繰り返し立てている。そこに二人の足音が穏やかな波音に雑音として乗ってきた。


「やあ、おはよう、二人共」

「……よく顔を出せたな」

「委員長が俺の連絡先を知ってるとは思わなかった」

「ああ、クラストークから連絡先を登録させてもらった。不快だったら消してくれ。お互い連絡をする仲でもなし」

「まあ、そうだな」


 田中が納得して頷く。棚田が疲労を隠さぬ顔で俺を睨んでいた。


住道すみのどう様に何を吹き込んだ」

「……何かあった?」


 鳳蝶あげはから聞いている。鳳蝶あげはもとても疲れていた。夕方の集まりで鳳蝶あげはは許せず、棚田の構築しようとした極小のグループを解体させるために、明確に棚田を含めて別邸の入り口に来ていたメンツを非難した。

 棚田がそれをしどろもどろで自分のグループの中にいる人物を指して、この男子に誘われたと言って、わざわざ棚田の作ったグループ内の人間で言い合いになるようなことを自身でしたのだ。

 それを密告と捉えられても困る。


「……お前は、俺から住道すみのどう様を奪ってあまつさえ住道すみのどうグループ内で少しでも立場を作るのさえ邪魔をして」

「それは棚田君の責任だ。鳳蝶あげはの気持ちを考えてない行動で距離を取られている」

「違う! 俺は、中学時代ずっと住道すみのどう様と仲が良かった!」

「あははは、だったら、何で住道すみのどう様って呼びなのかな。俺は鳳蝶あげはって呼んでるよ」

「お前! 本当に、何なんだ! 昨日は大人しく」

「……人が来るかもしれないところだったら、当然物言いぐらいは大人しくするよ」

住道すみのどう様は新しくグループに入った俺にも別け隔てなく関わってくれった、そんな人なのに、お前が、お前なんかが!」


 彼が腕を振る。また顔か。俺は腕で彼の拳を受ける。当然慣れていないのか、腕に当たった拳はそれほど力は無いが、パチンと皮膚を叩くが鳴る。だが、昨日とは違い彼は殴ったことに怯むことはなかった。おそらく昨日の夕方からずっとストレスを貯めていたのだろう。実際に寝不足もあるのか、高校生なのに目の下に隈が見える。


「棚田! まずいんじゃないか」

「……田中、大丈夫だ。こいつ、昨日言ったじゃないか、見えないところなら殴られてやるって」

「だから、顔は辞めてくれって言ってるだろ」


 俺がそう言うと、棚田が酷薄な笑みを浮かべて、試すように俺の胴体に向かって拳を振るう。俺はそれを素直に受け入れて殴られた。力はない。田中がそわそわしているが、棚田は俺が真実無抵抗なのがわかったのか、何度も拳を振るった。


「ハアハア、これで十分だろ。お前、いい加減住道すみのどう様に近づくんじゃない」


 なれない行動で疲労している棚田君に俺は愛想笑いを浮かべる。莉念りねんの時にしていたことと同じだ。俺は鳳蝶あげはの隣に居るために同じことをしよう。高校生だ、中学とは違って出来ないこともあるだろう。それでも、鳳蝶あげはのために莉念りねんに教わったことをしよう。

 俺の愛想笑いに、実際に殴っていた棚田とそれをおろおろ止めもせず見ていた田中が、心底気持ち悪いものを見るように俺を見ていた。中学の頃によく見ていた顔だ。


「……満足かな? 俺は鳳蝶あげはの隣にいるから、棚田君こそ大人しく知人の距離を保つんだね」

「お前! お前は、住道すみのどう様の何のつもりだ! 住道すみのどうの集まりにも呼ばれない、外野のくせになんで!」

「俺は鳳蝶あげはの誰よりも一番仲の良い友達だよ、今は。それじゃあ、もう近づかないでね」


 棚田と田中の肩に手を置いて、お願いだからねと言って笑顔を向けると、押しても居ないのに一歩、二歩と後ろへ下がる。

 彼らはそれ以上俺に何も言わなかった。彼らはこれからどうするだろうか。棚田はまた俺を苛立ち紛れに殴ってくるだろうか。田中はおろおろ見るだけか、今回の事を見て次は殴ってくるようになるか。

 あまりにひどいようであれば、高校ではお遊びではすまない。俺たちも背が伸びて、暴力を震えば冗談とは言えなくなる。俺だって子供の喧嘩だと言って済む傷でなければ、病院に行かなければならない。


 帰り道、進んでいくと、黒髪の少女が朝の爽やかさに似合う笑顔で俺を見ていた。


「また朝の散歩ですか?」


 長い髪が海風に舞う。鳳蝶あげはのために頑張りたい。でも、鳳蝶あげはは俺がこの子に手を出していると知ったら、彼女は俺をどうするだろう。


「だんまりですかー。折川おりかわ君はひどい男ですね。……ねえ、尚順ひさのぶ、キスして?」


 話しちゃいますよと脅しがあって。さらに、莉念りねんに請われたら俺はキスをしたくて、どうしようもなくなってしまう。俺は目の前の少女に、優しくキスをした。


「……本当に、ひどい人」


 彼女の小さなつぶやきが、どんな色を持つのか俺には聞き取れなかった。


  φ


華実side


 朝、思ったより早く目が覚めた私は、一人ぼっちの布団の中で恋人のぬくもりが無くて、声を出さずに泣いていた。

 一晩中抱き締めていてくれたはずだ。だからこそ、抱きしめられて目覚めたかった。


 君が好きだ。

 君を愛してる。


 なのに、どうすればこの気持ちが伝わるんだろう。

 私には分からなくて、君の優しさをどうすれば独占できるかわからないんだ。


 住道すみのどうさんに君を取られたくない。たまにはわがままを言えばいいよと響花にアドバイスされた。

 無理やり呼び出してみれば、香水の残り香が付いた君を、たった二週間の間に何度抱き締めただろう。直前まで残り香が付くほど住道すみのどうさんと会っていたということなんだ。


 私は嫉妬に狂いそうで、君を求めてしまう。住道すみのどうさんが絶対にしないであろう、ゴムをしないで行為をしないと削られてしまう。

 お腹に君の熱を蓄えても、君が離れてしまうとあっという間に氷のように冷えていく。


 君が好きなのに、私が恋人なのに、こんなに君を受け入れているのに、君がこんなに私を愛してくれるのに、たくさん時間がある夏休みに、会う時間が取れなくなってしまう君の事が分からなくなる。

 だけど、手放したくない。

 手放したら私が壊れてしまう。


 愛されているはずなのに、優しさを他人に振りまく君を見ていると、愛が分からなくなるんだ。

 エッチしても、していない時にどんどんと乾いてしまう。

 どうすれば、君に愛されていると安心できるんだろう。

 私は泣いて、答えは見つからなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る