第74話 ギュッとしてもらっていいですか


 悩み深き土日からしばらく経った。二度ほど週末を越えた俺は、未だに華実かさね先輩と鳳蝶あげはへ答えを出せずに、体を重ねることで誤魔化していた。


「手伝い、ですか?」


 俺が放課後、せんりがちょうど帰るために出ていくのを見送るタイミングで、教室にわざわざ遠畑とおはたが顔を見せた。俺が驚きと嫌な気持ちを表情に出すと、せんりが自然と俺の手を取ったが、恥ずかしそうにすぐに手を離す。


「珍しいですね」

「ふん。暇だろう? 雑用を手伝ってくれ」

「生徒会ですか?」

「そうだ。写真部の部長の顔を立てるなら受けるんだな」


 せんりが失礼な先輩を見てびっくりしながら、俺を心配そうに見た。この人はこういう人なのでどうしようもない。手伝いをするなら部室へ行けない。しかし、ここでわざわざ写真部の話を出したということは、受けなかったら華実かさね先輩に悪し様に言うんだろうなと思って、げんなりする。中学時代の話をされると困る。なぜ言わないのか。……いや、俺がどうだったとか興味がなくてまともに覚えていないのか。


「……わかりました、手伝います」

「よし。じゃあ、とりあえずこの通り倉庫の片付けしておいてくれ」


 紙を粗雑な態度で渡される。場所は文化部の部室棟の離れた場所にある所か。俺に雑用を押し付けたことで満足したようで、せんりをちらっと見てそちらへ向き直る。とっとと行けばいいのに。


「あー、井場だったか。そいつ、折川と仲が良いのか?」

「え!? あの、」

「ごめんね、手伝ってくれる?」

「あ、はい! わかりました!」


 俺は遠畑とおはたがせんりに声を掛けたのが不快で、せんりを連れ出した。

 帰る準備が終わっていてよかった。遠畑とおはたはこういう時に追ってくることはない。彼はそういう他者から見てみっともない行動を他人に見せないからだ。


「巻き込んでごめんね」

「い、いいえ! 頼られて嬉しかったです。それに私も助かりました……」


 せんりは優しい。唯彩さんが居たら唯彩さんに助けを求めたんだろう。タイミングが悪かった。しかしながら、


「前にも連絡先を交換しようって言われた時はもう少し紳士的だったんですが、今回とても乱暴でびっくりしました」

「まあ、あの人は、俺のことが嫌いだから。あと、せんりは可愛いから連絡先の交換のお願いはひっきりなしだろうな」

「そういうのじゃないですけど。まあ、良いです」


 せんりに一言断って、また用事があるから行けませんと華実かさね先輩に謝罪する。内容は言わないほうが良いだろう。遠畑とおはたが持ってきた雑用で、華実かさね先輩は自分の影響かもしれないと気にしてしまう。

 俺が嫌われているだけだ。

 部室棟の端にある倉庫と化した部屋は定期的に物を出し入れされて使われているお陰でホコリは無かったが、物が雑然としすぎている。もう一度遠畑とおはたから渡された紙を見た。

 確かに物を整理整頓しろと言われたがこれでは一日で終わらない。

 せんりも覗き込んで困った顔をした。


「これ、今日だけで終わりませんね」

「そうなんだよね。まあ、仕方ない。頑張るか」

「! 大丈夫なんですか?」

「うん、頑張るよ。じゃあ、せんり、また明日」

「もう何言ってるんですか!」

「え?」

「当然手伝いますよ。あの、先輩の前で、手伝ってって言ったの折川君ですよ!」


 それは彼女を連れ出すための言い訳で、こんな大変そうな作業をさせるつもりはない。俺が困っているとせんりは明るい笑顔でさっさと倉庫に入っていく。


「じゃあ、頼らせてもらおうかな」

「丸投げは止めてくださいね!?」


 彼女の冗談に軽く笑って作業を始める。今日はこの区分だけというあたりをつけて棚を整理していく。おそらく過去はもっと活発に使われていたのだろう。定期的に人が入るのでホコリは少ないが、あまり使われた形跡が無いものばかりだ。


「想像以上に文化部だけじゃなく部活が減ってるんですねぇ」

「そうだね。これとか何部だろう」


 そんな事を話しながら、気づけば下校時間に迫っている。俺はせんりに声をかけた。


「もう時間だし帰ろう。明日も頑張るかなぁ」

「そうですねぇ」


 二人でキョロキョロ見てから、そんな事を離して苦笑いを浮かべる。互いに服にみっともなくホコリがついてないか、汚れが無いかチェックした。

 さあ、帰ろうかと倉庫の扉の前でおずおずとせんりが口を開いた。


「あの、倉庫に来る前にしてもらったんですけど、……ギュッとしてもらっていいですか?」

「うん、良いよ。手伝ってももらったんだし。せんり、ありがとう」


 せんりの細い手首を掴んで、中学生の頃の莉念りねんを思い出す背格好のせんりを腕の中へ抱き寄せる。目を閉じながら強く抱きしめると、何度だって俺は思い出してしまう。中学生の頃は色んな事に我慢しながら、莉念りねんの望むやり方で抱きしめていた。最初は、女友達にしても普通、だったのか幼馴染にするのが普通になったんだったか。

 いつか恋人になれるのではと思っていた頃は、それが一番の幸せで、それを思い出させる感触と、香りで。我慢しなくてはと思ってしまうのも同じで。

 いつの間にか、せんりの使う香水が、あの頃の莉念りねんがよく使っていた香水に変わっている。

 もっと強く抱きしめてしまう。あの日から、ほぼ毎日、せんりに願われる形で繰り返していた。


「んぅぅ」


 せんりの声が満足げに漏れ出す。俺はゆっくりと彼女を腕の中から開放した。彼女が髪を整える。


「ふぅふぅ、あ、ありがとうございます」

「いや、こちらこそ俺が任された雑用なのに助けてくれてありがとう」

「また明日も頑張りましょうね?」

「本当にありがとう」


 何の見返りもなく助けてくれるせんりに頭を下げた。せんりが過剰ですよ! と言うが、こんな俺が嫌われている影響で一方的に押し付けられた仕事を一緒にしてくれるのだ。


 せんりは急いで帰りますねと倉庫前で分かれて俺もまっすぐ家に帰る。明日からしばらくは部活に行けないが、……構わないだろう。実際に最近平日に部室へ行けない日が増えた。前は週五で通ったが今は二週間ともに週二だ。

 しかし、恋人である華実かさね先輩がわがままを言うことは無かった。土曜日の朝にホテルに言って、愛されてるって感じるよと笑顔で言う。それで、埋められるんだ。

 俺は華実かさね先輩と写真を撮って、写真を見てもらって、話したいのに……。

 華実かさね先輩が愛を強く感じるのは、日々の放課後のデートではなく土曜日の朝にホテルに行けば、分かってもらえるのだ。……俺は寂しさを感じながら、それを表に出さずに華実かさね先輩にメッセージを送る。


『すみません、しばらく生徒会からの仕事があって時間が取れないので部室行けません』

『そうか、残念だけど、仕方ないね。でも、土曜日は約束だよ』


 わがままを言ってほしい。けど、彼女が発露するそのわがままは、土曜日の朝にホテルに行こう? で十分となってしまったのか……。



  φ せんりside


 また私はぼーっとしてしまう。最近、中学の頃の友達とよく盛り上がってしまう。

 私が気になる人に抱きしめられると嬉しい気持ちがわかったのを語ると、すごく食いつかれた。だけど、彼の悪い噂もしどろもどろ伝えたら悩んでいた。


「女遊びしてるんじゃない? 大丈夫? 騙されてない?」


 そんな心配をされてしまうけど……、私は一時の安息が嬉しすぎて、それらの善意の言葉からついつい目をそむけてしまう。というか、騙されてるって言うけど、私が抱き止めてって言わなければ折川君はしてこないのだから、騙しているのは私では?

 ……折川君は優しい。

 本当は理由を聞きたいだろう。私がなぜ抱き止めてほしいか。

 だけど、彼は毎日放課後にこっそり人気のない場所で私をギュッと抱きしめてくれる。

 ……つい、最初の頃に、キスされたらどんな感じなんだろう? とか考えて、キスをお願いしようとしてしまった時もある。

 折川君がすぐに体を離してしまったから、我に返ってしまいされなかった。私のファーストキスはまだだ。……してみたい……。


 今日もお風呂で丁寧に髪を洗って髪を乾かす。お母さんにお願いして、茶道部の綺麗な先輩に聞いて参考にしたシャンプーとトリートメントへ変えてもらった。

 前に使っていたものより効果を実感する。


「綺麗になったわねー」


 お母さんも気づいたらそんな事を言ってくれた。茶会までに効果が出てきて私は大満足だった。


 折川君は撫でている意識があまりなさそうだけど、私を腕の中に収めると、優しく頭から長い髪を撫でていく。

 あまりに心地良く手慣れているのは、その、まあ、女遊びしてるんじゃないかって友達が心配する、まさしく手管な気がしないでもないけど。


『今日の数学、ここの小テスト分からなかったんですよ!』『そこはね』


 夜、同じクラスだからこそできる授業ネタなどで、折川君に送るメッセージの文章も増えた。私はネットや友達から聞いた「男に趣味があるなら趣味に理解を示して、話を聞け!」も実践している。

 折川君の写真の話。撮影旅行の話。毎日の朝の写真。気まぐれに取った晩御飯の写真。

 たくさんの写真があって、その中には女子を撮った写真もたくさんあってしょんぼりした。

 けど、それは、彼にとって仲良くなった人と過ごした大切な思い出だからという話を聞いた。


「大切な思い出だからね」


 どこか寂しげに通話越しだけど彼がそんな事を言ったのが印象的だった。

 同じクラスメイトの鯰江なまずえ|さんが飼い犬のコンタロウと一緒に散歩しているのによく同伴すると言って、写真も見せてくれている。たくさんあった。顔を合わせている時に見せてもらった際には、そのどれも大切そうに見ていた。


 もちろん、キス騒動のあった住道すみのどう鳳蝶あげはさんとの写真も見せてくれた。恥ずかしそうにカフェでティーカップを持った彼女の写真は、デートの一場面にしか見えないが、彼にとって女友達との思い出だそうだ。写真撮ってないけど、私も前にこんなシチュエーションあったよね? あれってつまり他人からみるとデートなのか……。

 写真部の部長が藤棚の下で撮影された写真。


「これどこなんですか?」

「ゴールデンウィークに写真部の撮影旅行に行ったんだ。その時に撮ったんだよ」

「おお~」


 その写真だけは、この人は折川君が好きなんだなと、私はなんとなーくわかってしまった。茶道部に彼女が来ている度に茶道部部長に見せていた笑顔と全く違う。

 折川君は私が聞きたくないと一瞬思ったのを感じたのか、説明を手短に流していたけど、写真部の部長とはどんな関係なんだろう。折川君からの態度だと読み取れなかった。すごい美人と校内デートをしていると噂を聞いたけど、本当かな?


 たくさんの写真を見せてもらった。私は想像以上に折川君の内に入れるのだなと思った。こんなに写真を共有して教えてくれるってことはかなり関係が近づいてる気がする。

 私が写真の話を、思い出の話を聞いて理解を示すごとに、日ごとに折川君が私をギュッとする力が強くなっていく。時間がわずかでも伸びていく。それがたまらない。

 あんなたくさんの美人に比べて、私は地味だ。そんな人達よりも求められてるんじゃないか、そんな気持ちが湧いてくる。ギュッとされるたびに感じるそれがたまらない。


「私、勝てるかなぁ?」


 ついポツリと言ってしまったけれど、でも、私はどうしたいんだろう。

 折川君は私に……その、女として興味があるんじゃないかとずっと思っている。ギュウッと抱きしめられ方が、初めてお願いした時は本当に純粋に優しく抱きしめられただけだったのだが、徐々に回数を重ねて行くごとに、私を抱きしめる手や足の位置が、言うなればちょっとエッチな位置にある。

 私は熱になって、実はすごくドキドキしてるんだけど、彼はどうにも無意識っぽくて。


 色々試しているとどうにも好み? の香水の時に自然と手と足の位置がこう、男子って感じになる。でも、抱きしめられてる時間が短いから、すぐにハッと気づいたように体が離れるのだ。なんとなく買って偶然持ってた香水に感謝だった。

 ……これ、もしも時間を気にしないところで人目が絶対入らない場所で、お願いしたら、もしかしたら――。


「初めて気づいた時はドキドキしたなぁ」


 でも、嫌じゃなかった。

 最近の夢は、悪夢が全くない。

 彼にギュッとされる。

 エッチな手の事があってから、その……ひどく彼を意識する夢になっていた。純粋に優しい男子だって思っていたけど、彼もしっかり男だとさらに思わされたと言うか……。

 写真の話を、あたかも私とのイメージに置き換えて、藤棚の下で私を撮る折川君が自然と夢となって、そして。

 ギュッとされながら、言われるのだ。


「好きだ」


 そしてその力強い腕で激しく求められて――。

 ボッと顔が真っ赤になる。

 悪夢で起きる事が完全に無くなった代わりに、今はあまりの羞恥で朝目覚めたこともあった。


「折川君、良いんですよ」


 違うかなぁ? 無意識に動かしてる感じだからあまりに長々言うと、ハッとまた理性を働かせてしまう気がする。


「良い、よ?」


 少しだけ恥ずかしそうにしながら、後押しするように、たったそれだけの方が良いかもしれない。


――――――――――――――――――――――――――――――

次話は明日18時更新予定です。

さりげなくガンガン攻めてる井場せんりさん

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