第75話「良い、よ?」

 倉庫片付けはすでに三日目だ。しかし、三日も放課後を潰せば無事、終わりが見えてくる。昨日の時点でものはほぼ片付いて、俺たちは最終点検する程度だ。無事片付けられたが、放課後すぐに報告したらまた遠畑とおはたに新しい雑用を与えられかねない。


「報告は明日にしましょうか」

「うん、そうだね。ありがとう」

「いえいえ、それで、……協力したお礼というか、ずっと話せなかった事を、話し、たいんです」


 俺はびっくりしてせんりを見る。どこか覚悟を決めたような彼女は、きっとせんり自身が理由もいわずにぎゅっとしてと言っていた事を思い悩んでいるんだろう。

 俺は少し悩んでから、ここで断ると覚悟を無視し傷つけることになるから、頷いた。


「わかった、どこで?」

「本当に、人に聞かれたくないので、私の家でもいいですか?」


 家族が居るなら、誤解を生まないから大丈夫だろう。俺は素直に了解を示した。



 彼女の家に着いて、彼女が鍵を開ける。家の中は静まり返っており人の気配はない。


「すみません、母がまだ帰ってないみたいです。それでも構いませんか?」

「そう、か。せんりが良いなら、大丈夫だよ」

「ありがとうございます。今日言えないと、また言えなくなってしまいそうで」


 俺は彼女の勇気を無下にしたくなくて、なるべく明るい笑顔でわかったと答えてあげた。


 彼女の部屋に通される。手狭な部屋だが、女の子らしさに満ちていた。せんりが冷たいお茶をコップに入れて、ガラステーブルの上に乗せる。

 アロマデュフューザーの電源を彼女が入れる。夏なのに、湿度を考えると必要ないと思ったが、せんりの部屋なのに俺が止めさせようとするのも変な話だ。


「……その、」

「うん」

「陸上、の話です」


 彼女はそう言ってから、ゆっくりと話しだした。

 中学の時、陸上部で長距離走に挑戦していた。二年生の頃に路上を走っている時に、確認不足で角を曲がった瞬間、車に引かれそうになった。

 怪我自体はなかったし、事故も起きなかったが、それ以降、路上で走って角を曲がろうとすると、進めなくなった時期があって、陸上をやめてしまったのだという。


「あ、今はそんなのは無いんです。ただ、あの時、事故が無かったのに、夢で、私、飛び出してそのまま引かれてって、夢を見ちゃうことがあって。あ、毎日ってわけじゃないですけど!」


 せんりがだまりうつむいて、悩むようにしてから、口を開いた。


「…………私! 電車で折川君に支えられた日、悪夢、見なかったんです。飛び出そうとした私、夢の中で抱き止めてくれたから。だから、ずっとわがまま言ってごめん、なさい」

「そっか。せんりが良い方向になったらそれは良かった」


 だが、個人的にこれで良いのだろうかと疑問に思う。結局、高校でも陸上は辞めたままだ。しかし、実生活ではもう影響が出ていないのに、夢では見ていたという。良かったのだろうか。

 俺の心配を大丈夫ですと言うようにせんりが笑う。


「もうしばらく、助けてもらえ、ませんか?」


 不安そうに彼女がそう言うけれど、そんな事は問題ない。俺は笑顔を向けた。


「前にも言ったけど、大丈夫だよ。そんな事があったの話してくれてありがとう」

「はぁ。良かったです。それで、今日も帰る前にギュッとしてもらっていいですか?」

「もちろん、良いよ」


 ホッと安堵した表情をするせんりが、そんなお願いをするので俺はもちろん了承する。……悪夢なんて見ないほうが良い。本当は別の何かで解決できた方がいいと思う。俺はいつまでもせんりの傍にいることはないんだから、そもこういう行動がなくても夢見が悪くないのが一番だ。

 ……そういうのはカウンセラーだと思うけれど、彼女自身日常生活自体に問題は無いということだし、俺が無理に言うわけにも行かないな。


 テーブルで向かい合って床の上に座っていたが、せんりがベッドの縁に座り直す。あまり女子のベッドに上がるのは良くないんだが、じっと待っているせんりにこっちでと言うのも可愛そうだ。それに、せんりを抱きしめるのも短い時間で、すぐに終わる。


 俺は可愛らしい色のシーツを使った寝具が敷いてあるベッドの縁に座り、うつむきながらこちらを時折チラチラと見やる恥ずかしそうに待つ少女に手を伸ばした。


「あの、じっと見られてると恥ずかしいので、目を閉じてもらっていいですか?」

「……ああ、分かった」


 あまり目を閉じない方が、良いが。彼女の望みを聞いてあげないと。目を閉じると香りがよくわかる。分かってしまう。

 あれ、アロマデュフューザーも同じ香り、かな? 俺は日頃彼女が付けている香水と同じ香りが部屋の中に満ちている気がした。

 ドキドキする。何故。

 手を伸ばして、俺を待っている少女の体を腕の中に収めて抱きしめる。

 髪が肌に触れる。サラサラとした髪だ。少女自身にも付けられた香水の香りが、俺の鼻孔をくすぐる。


『家族同然の幼馴染、抱きしめる、当然』


 莉念りねんはそんな事を言った。そうだ、当然なんだ。俺は腕に力をこめながら、


『手、もっと、下げて』


 ゆっくりと手の位置をかえていき、腰というには下により過ぎた位置まで動いて。莉念りねんが黙ってそれを受け入れながら、俺は中学時代に腕の中にいる少女への欲を抑えるのに必死で。

 少女の顔が動いた感触が、少女の頭の上に置いた手の平から伝わる。

 俺の耳元に顔を寄せてさらに密着した少女が、


「良い、よ?」


 そう、囁いた。


――――――――――――――――――――――――――

次話は明日18時更新予定です。

ガンガン攻めてる井場せんりさん。練習した結果、偶然にも莉念の「良い、よ?」という言い方に似てしまう。尚順の理性は

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