第76話 寄り添う時間


「折川、今からと明日、武道場の手伝いをよろしく頼む」


 茶会の開催日が明後日にせまった最中、無遠慮に部室の扉を開いた遠畑とおはたがそんな事を命令した。

 少々乱暴に開けられた扉の音に、華実かさね先輩と春日野かすがのが話している途中でびっくりした表情を浮かべている。


「俺はかまいませんけど」

「いきなり不躾じゃないか遠畑とおはたさん」

「茶道部は女所帯だ。写真部の男手を借りようしたら、一人しかいなくなったから仕方ないだろう」


 遠畑とおはたの嫌味な物言いに、華実かさね先輩が悲しそうに何も言えなくなってしまう。この人は本当に人の嫌がる部分で嫌味を言って黙らせるのが上手い時がある。最低な能力だ。

 俺はどうせ言っても聞かないのだからと諦めて立ち上がった。


「部長、春日野かすがの、申し訳ないけど手伝ってきます」

「……まあ、折川がそうするんなら私は止めないけど」

「いってらっしゃい」


 春日野かすがのがため息をつきつつ投げやりにいって、華実かさね先輩がしょんぼりと落ち込みながらそういった。


 廊下でイライラと待っている遠畑とおはたと向き合う。


「俺と会ってイライラするなら会わないほうが良いんじゃないですか」

「チッ。……ならこの高校をお前が辞めてくれたらイライラしなくなるんだがな」

「はぁ、無理ですね」

「そういうところがイラつくんだがな。もう少し謙虚になれないのか?」


 ……いや、自分を排除し蔑ろにしてきた人間に対してかなり謙虚な対応をしているつもりだったのだが、目の前から消えろと言われても純粋に困る。

 本当にこの人は、昔から周りに目がある時と無い時で態度が違いすぎる。男友達が全く居ない俺では莉念りねんが傍に居ない時は一人が多く、この人の態度はいつだってこんな感じだった。

 クラスで表向き気さくに穏やかに他人に対応している姿を見てる時は、別人かと思ったほどだ。


「それで何を手伝えば良いんでしょうか?」

「うん、ああ、まずは明日畳を搬入して敷いてもらうために今日は武道場の徹底掃除だ。頑張ってくれ。明日も畳を搬入したら掃除だがな」


 そう言って遠畑とおはたは、やれやれと言いつつ武道場がある方角ではなく生徒会室に向かって歩いていく。……丸投げされた。俺は大人しく武道場へ向かう。

 二日も武道場を使えなくなる運動部には申し訳ないな。大会も近い時期だろう。こういうのを考えると、茶会というイベントのタイミングと場所の確保というのは難しいなと思う。特に茶道部は女子しかいないので、生徒会が挟まらないと毎年のことでも揉めるのだろうなと思ってしまう。

 茶道部の女子たちがすでに集まっていた。俺はそこへ走り寄る。

 鳳蝶あげはとせんりがびっくりしていた。ついでに、茶道部部長が困ったような表情をしている。


「尚順さん、どうかしましたの!?」

「ああ、生徒会の遠畑とおはた先輩に女性しかいないから手伝ってこいって。まあ俺が鳳蝶あげはと知り合いだしね」

「まあ、そうなんですの!? お手を借りれるのは助かりますけれど、武道場の掃除をするぐらいですし」

「良いよ。迷惑じゃないところで、鳳蝶あげはの指示待ちでもさせてもらおうかな」

「部長、よろしいでしょうか?」

「あーうん、まあじゃあ、住道すみのどうさんよろしくね」


 この部長もなんだか対応に困ると言った表情でそのまま丸投げしてしまった。しかし、それに反して鳳蝶あげはは張り切っているので、大丈夫なのだろう。

 しかし、彼女の周りに集まっている女子は張り切っている鳳蝶あげはをみて苦笑いを浮かべていた。まあ、たしかに、お嬢様に掃除させるのも……。


「じゃあ、指示役が鳳蝶あげはで、俺たちが鳳蝶あげはの指示で動けば良いんだね」

「そうですね」「わかりました」「それがいいですよね!」


 鳳蝶あげはが自分も動きますと言う前に、他の女子から賛同の声が被せられて、鳳蝶あげはが困惑していた。下っ端なのに良いんですの? という顔だ。

 確かに鳳蝶あげはは一年生で後輩だが、住道すみのどうを下っ端扱いできる人はそうそう居ないだろう。莉念りねんはお嬢様対応しない時は、ほぼ誰にでも下っ端扱いを余裕でする。


 鳳蝶あげはが先輩から受け取った紙をみながら、さっさと割り振っていく。まずは俺自身中学時代に慣れたモップがけである。

 茶道部でも中学時代は元運動部がいたので、慣れた人が教えていた。


 せっせと鳳蝶あげはの言う通りに無心で働けば何も悪いことは起きずに仕事が片付いていく。空気の換気を徹底的にして、武道場と外をつなぐ扉を入り口にするため、その周辺の土払いとどこに靴を置いてもらうかの確認。

 周りの女子とも必要なコミュニケーションしか取らなければ、鳳蝶あげはの機嫌が急転直下することもない。


 ……まあ、すでに三週間ほど鳳蝶あげはの機嫌はすこぶる良い。なぜ良いのか分からない。

 あの、「私のほうが華実かさね先輩よりもあなたを好きだとわかった」と宣言した日から、鳳蝶あげはは余裕が見えた。とりあえず俺は今までよりも学校内での生活は格段にしやすくなった。ちょっと女子に話しかけられて席を外しても不満も見せず、女子との会話に割り込んでこない。

 本当に変わった。唯彩は不思議そうに鳳蝶の変化を見ていたが、周りのクラスメイトや、今、鳳蝶あげはの反応を伺っていた茶道部の女子たちも、ホッとしている。



 明日のイベント用の敷畳の搬入に向けた武道場の掃除が終わり、茶道部の女性達も早々に打ち合わせのために茶室という名の部室へ帰っていく。俺はそちらへ行くわけには行かないので写真部に行こうと思ったが、華実かさね先輩から遠畑とおはたが来るのが嫌だから春日野かすがのと一緒に出掛けちゃうねと言うメッセージで、バイバイされてしまった。

 本当に先輩は変わってしまった。どうしてだろう。

 すれ違ってしまう。肉体関係で彼女の中では俺との関係がすべて円満に回っているということなのか。だったら、俺は恋人のその考えを尊重しなければいけない。つぶやく言葉は力がなかった。


「家に帰ろう」



 物足りない気持ちのまま家に帰れば、心地よい足音が俺を出迎える。いつも居てくれることでホッとする。嬉しくなる。居てほしいと願ってしまう。


「おかえり、尚順、今日、料理、頑張った」


 楽しみにして? そんな顔でコテンと首をかしげた可愛い莉念りねんを俺は笑顔で受け入れる。



 夕食後、いつものように莉念りねんが俺の部屋に入ってきて、ベッドに並んで座る。こうやって座る時の部屋は薄暗い。莉念りねんが明るくしないでと言ったから、この座り方をしている時は薄暗い部屋で二人きりだ。

 真っ暗にするわけにも行かないので、莉念が勝手に間接照明を持ち込んで設置した。部屋のこの薄暗さが莉念の好みなんだろう。


「茶会、明後日だな」

「うん、ちょっと、面倒」

「まあ、無関係なのに人もたくさん来るし」

「お嬢様モード、面倒」

「ははっ、モードって何」


 つい笑ってしまった。自身の冗談への俺の反応が嬉しかったのか、莉念りねんも可愛らしく笑う。莉念りねんの手が俺の手を握った。

 どんどんとこの時間が大切になっている気がする。どうしてだろう。今はどうしようもなくこの二人きりで寄り添う時間が大切なんだ。

 写真を撮りたいと言った。


「いつでも、良いよ」


 莉念が笑顔で応じる。

 俺たち幼馴染の家族同然の毎日の生活。

 たとえ毎日繰り返されるものであって、ありきたりと言われるようにるかもしれないものであっても、寄り添い合って過ごしているという大切な思い出の一枚の写真。

 手を繋いだ。俺は君が好きだ。だから、好きな人の思い出をこんな風に毎日大切にしていきたい。

 毎日、惰性でも会話もない一瞬でも良い。好きな人とただ毎日顔を合わせて、二人きりでそばにいる時間を作るのが、俺が好きな人と望む過ごし方だから。

 それを君が教えてくれた。

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