第48話 キスして
テスト期間を無事乗り切った俺は、今、誰もいない部室で椅子に座ってぼーっとしていた。スマホのメッセには、今日は友人との約束があるのでという連絡があったので
二人きりの時に泣かせたくない。
そして、泣かせたくなくて二人きりになるということは、するということで、俺の望む鳳蝶との過ごし方ではなかった。女友達と体を重ねる時間を過ごすのは、ありえない。
電話番号を少しだけ睨んで、俺は通話ボタンを押した。コール音が鳴って、相手が出るかどうかを待った。
しかし、俺の緊張はすぐに解消された。
ガチャリ。
ドアノブが動く音と共に扉が開く。
「なによ」
「……こんにちは。座ってくれ」
「……こんにちは」
俺は近くの椅子を取って俺の側に置く。
「
「う、うん」
「中学の頃、すまなかった」
「……うん」
彼女はがっかりといった具合の顔をしてから落胆したように椅子に深く座り込む。俺が迷っていると早く言ってと投げやりな声がほうられた。俺は覚悟を決めて口を開く。声が少しだけ震えた。
「
バチンと音がした。ジンジンと頬が痛む。彼女の平手が俺の右頬を平手で叩いたのだ。俺は素直にその痛みを受け入れた。
彼女は黙って受け入れた俺の行動が気に食わないのかもう一度平手で叩いて、その行動に疲れたのか力なく椅子に座り込む。
「私、何がダメだったの? あの頃の私に可愛いって綺麗だって言ってくれた。私、わかんないよ。どうしたら良いか分からなかった」
「ごめん」
「ねえ、言ったじゃない。謝って欲しいんじゃなくて、言ってよ。私の方が
「……俺が言えた立場じゃないから、ごめん」
痛々しい沈黙がお互いの体を刺していた。
ポロポロと溢れる
下校時間が近づいた頃、
「もう半年も前の事で私、泣くことは思わなかった」
「ご――」
「今、口を開かないで。謝られるとみじめでみっともなくて泣きたくなるから」
「お願いを聞いてくれたら、中学時代のこと黙ってあげる。私も中学時代の事言って説明するの、大変だしね」
「ありがとう。それで、何を? 俺なんかができることなのかな」
「うん、簡単だから」
彼女は立ち上がって俺の前に寄って、少しだけ躊躇した。
「クリスマスの時にしてくれなかったでしょ。ねえ、キスして」
俺の顔から表情が抜け落ちた気がした。ストンと何処かの底に俺が放られて転がった音だ。
『キスして』
目の前にいる
ぷるぷると震える彼女の手を空いた手で握った。
「んっ」
彼女の吐息が漏れて、一度口を離す。彼女はわずかながらに興奮したような顔をして、一歩俺から離れようとしたところに俺は彼女の体を抱きしめた。
「え」
戸惑いの声を上げた彼女に、そのまま今度は少女らしい彼女の体をどんどん強く抱きしめながら、もう一度唇を合わせる。
一方的で強く何度も唇が合わさり、どれぐらい経っただろう。ようやく抵抗が止み、彼女の緊張がわずかにほぐれ、唇の隙間があいたところに俺の舌が彼女の舌を捉えた。
「んんっ!?」
驚きが伝わってきても、彼女は逃げようとせず俺を受け入れて、荒い吐息を返してくる。
「嘘」
彼女は顔を真っ赤にしながら呆然とした顔でうるんだ瞳で俺を見上げた。ゆっくりと俺が体を離すと、名残惜しそうな甘い声を出してぺたんと背後にあった椅子に座り込む。
「これで、良いか?」
ハッとしたような顔をして、彼女は顔を隠すようにうつむく。
「う、うん。これでしばらくは黙っててあげる」
そして、慌てて立ち上がった彼女は俺の返答を待たずに部室を飛び出していった。俺は疲れた気持ちで部室を締めて職員室に鍵を返して帰宅する。
自転車でどれほど頑張って速度を出しても、いつか感じた初夏の爽やかさを感じられないまま家にたどり着いた。
パタパタと足音がやってきて俺を出迎える。
「おかえり、尚順。キスして?」
家族が近くにいる時のキスは、いや、おかえりのキスは軽く唇と唇を合わせる程度だ。
「今日の、ご飯、チキンときのこの、クリーム煮。健康、志向、鶏胸肉」
「シチューと違うのか?」
「食べてみたら、わかる。早く、着替えて、きて。家族で、食べよう?」
φ
どうやって家に帰り着いたか覚えていない。ただただ頭がふわふわしていた。制服のままベッドに倒れ込む。
何度も何度も感触が蘇ってくる。
「あいつ、私のこと、今でもこんなに好きなんだ」
そうじゃなきゃ、キスしてなんて横暴な願いにあんな愛情深く熱烈に答えるわけ無い。体が熱い。あんなに激しく好かれていたなんて思ってもみなかった。
あの冬の日から、逃げっぱなしだった。
でも、同じ高校に姿を見つけてしまった。ついつい目で追っていた。どうしたら良いか分からなかった。言い訳を作るためにカメラが買えてようやく顔を合わせられた。
再会した帰り道、強がって出会った頃みたいな突き放したような遠巻きな冷たい態度で接していた。
平手で叩いたこと、嫌われると思って、ぐちゃぐちゃな気持ちになって泣いたのに。
キスの感触が、何か考えようとしたところで度々思い出されて、もうそれだけで胸がいっぱいになってドキドキして息が荒くなる。
私の手が自然と動いていた。
スマホに保存していた写真を開く。
「ひさのぶ! ひさのぶ! そんなに、私のことが好きっなら、許してあげる」
繰り返し何度もあいつの、ううん、尚順の名前を呼んだ。あの頃は塾から帰ってもデート後にも、いつだってしていた。冬のあの日の後は、できなくなってずっと辛かった。
でも、もう大丈夫。尚順が私を求めてくれると、何度だって思い出せる。
今日を記念日にしよう。
私と尚順の秘密の記念日。
わかってる。色々あるんでしょ。こんなに私のことが好きなのに、あんな事が有ったのは、つまりあいつに逆らえないようにされてるんだ。
でも、大丈夫。わかってあげるから。なんて、ひさのぶは、かわいそうなんだろう。
思考がどんどん不明瞭になって、キスの感触と共にグツグツと熱が私の体をめぐり続ける。
最後の瞬間、私はその言葉を言った。半年ずっとずっと言えなかった。
「好き」
目から溢れた私の涙は、きっととてつもなく甘いのだと思った。
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恋人に話されたくないけど、自分のせいで傷つけた相手に、ビビリでヘタレだったのでようやく二人きりで話した折川に襲う突然の春日野のお願い。
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