第65話 すごかった

せんりside


 私は一人、ぼーっと風呂に浸かる。


「すごかった」


 何がすごかったって、ぐいっと力強く引き寄せられて男性に体をあずけるという行為が、すごかった。二度もされた。何がすごいって言葉にできなくて、思い出すと顔が自然と真っ赤になって、母親に風邪かと心配された。食欲も気づいたら全然なくて、あまり食べられなかった。

 でも、別に風邪ではない。


「すごかった」


 背中を髪とともに優しく撫でられながら抱きしめられる感触が思い出されて――。


 ほわほわと心がどこか飛んでいきそうな気がして、もうクラクラする。自分の部屋でもそんな状態で勉強も全く手につかない。明日の授業が本当にまずい。

 でも、思い出してしまう。

 ただクラスメイトの男子を頼っただけだったのに。

 なんだろうあれは。

 彼氏か。

 恋人ってあんなんなんだ。

 すごい。

 何がすごいって、もう体を抱きしめられた時の多幸感がすごい。


「バカにしてごめんなさい」


 私はつい謝った。中学の頃やこの前会った友達に、恋人との触れ合いが緊張するけどすごく幸せがどうのこうの言われてほへーとか思って聞き流して、そこまでじゃないでしょうと冷めた気分だったのが吹っ飛んでしまった。

 あれが恋人に抱きしめられると――。


「違う! 付き合ってないから!!」


 バシャバシャとお湯で顔を洗う。そもそも彼は住道すみのどうさんとキスとかしちゃって女癖が悪いって一部の男子が噂してて。

 ぐいっ。トクン。ほへー。

 何か考えたつもりなのに、腰に腕を回されて支えられて、ぐいっと引き寄せられて、彼の胸に頭がひっついて、心臓の音を聞いたのを思い出して、脳みそが火照って飛んでいきそうだった。


「手、思ったより大きかった」


 気づいたら電車に乗った後からほぼずっと手を握っていた。感触が全く消えなくてすぐに思い出される。ほえほえと思考がどこかへ定期的に飛んでいってしまう。

 バシャバシャと何度顔をお湯で洗っても、ダメだった。

 あまりにも長風呂で母親に心配された。お風呂から上がり髪を丁寧に乾かす。

 部屋に戻ってベッドに倒れ込む。髪をいつもよりつい丁寧に洗って乾かすのにも気を使ってしまった。


「髪撫でるの、好き、なのかな」


 優しく撫でられた感触が思い出されて、ぶんぶんと頭を振る。何を考えているのだ。思考がループして熱暴走しかねないので、スマホで何か見て別の思考に逃げようと私はスマホを開いて。

 指が勝手に動いて、男友達、連絡、話題、とか謎の検索を始めてしまう。


「って違う!!!」


 スマホを投げようとして止めた。投げようとした先に高級感のある紙袋がある。中身をおずおず覗きこむ。折川君と買いに行った物が入っている。かなり良さそうな小物なのに、折川君が伝えてくれた値段はとてもお得だ。着物が高いが小物はお手頃価格というお店だったのかもしれない。

 どれが似合うかなぁと時折女性の店員に呼ばれて、比較して、うんうん悩んでくれて、提案して最後はちゃんと私に選ばせてくれた。

 汚してしまわないように、丁寧に片付けておく。

 着物を着る機会なんて、茶道部の行事ぐらいでしか無いけど、貰い物だけじゃなくて買えるならあそこで着物でも買ってみようかな? 小物でお手頃な物があるなら着物でも予算を伝えたらあるかもしれない。

 ベッドの上でスマホを抱えてゴロゴロ何度も往復しながら頭が冷えないかと転がる。


「どうしよう」


 スマホを見る。また、何故か検索欄に男友達、夜、連絡、迷惑、とか謎の単語が入っている。なんだろうこれは。

 ピコンと通知が来た。こんな時に誰だろう。友達につい男友達と続く会話って何? とか変な返信しないか不安だから見ないほうが。

 そんな事を思いながらアプリを開いて、胸がドキドキした。

 夕方は家まで送ってくれたのに、さらにメッセージが来るなんて。確かに最近連絡を交換した時に、偶に連絡が来るようになって他愛もない話はした気がするが、こんなにドキドキしたことがない。


「えぇ、ちょ、えぇ?」


 私は心臓があまりにドキドキしながら、指を震わせつつ、恐る恐るトーク画面を開く。

 たまに来てた文章となんとなく一緒だけど、全然違うものに見える。

 今日あったことを振り返りつつ、お礼の言葉があるだけで、何故かひどく嬉しい気持ちが襲ってきた。


「なにこれ」


 嬉しい。


「バカにしてごめんなさい」


 私はやっぱりつい謝った。

 好きな人からの連絡が来るか来ないか、来たらどうかとか緊張してすごく幸せになるとかどうこう友達が盛り上がって会話していた。

 それに対して、ええ、連絡だけでしょ。自分のために時間を使いたいのにそんな待つわけないよ、とか思って聞き流して、文章にそんなドキドキしないと思うと冷めた気分で対応してごめんなさい。

 そんな考えから、ハッとする。


「き、ききき、既読ついちゃった。どうしよどうしよ」


 すぐ返信しないとダメだよね。嫌な気持ちになっちゃうよね。ああ、でもどんな返信しよう。すぐ返信すると暇人だってつまんないとか思われないかな。

 ありがとう。だけって、冷たすぎないかな。ええ、でもどんな話しすれば良いんだろう。か、髪の手入れ頑張るから? って何をいきなりいうんだ。違う。あの香水大丈夫だった? 違う! ああ、学校だから日常的に使いやすい物を使ってしまった。もっと良いのを使えばよかった。

 き、着物似合うかな? ってもう今日小物選びの時にこんなの着るからって特にそこまで考えずに見せたから。


「あああああ、あの写真見せたんだった。ええ、どうしよ。全然、そんな、可愛く撮れて無くて、参考用にって棒立ちにスマホでなんにも考えずに撮っただけの見せちゃった。

 あああああああああ。どうしよう。って、既読! 既読にしちゃってるから、ああああああ、どうしよ。時間! え、絵文字入れたほうが明るく見えるかな。文字だけって冷たいよね。す、スタンプも合わせて送る? このスタンプ可愛いかな、変なキャラとか思われたり、私のイメージと違うとか」


 頭を抱えながら、私が返信出来たのは既読をつけてから一時間後だった。


「お、怒ってないかな。一時間も既読無視って。ああああ」


 彼からは想像よりもすぐに返信が来て、最後に良かったと文字とおやすみスタンプが来て会話が終わる。


「や、やっぱり私、どうしよ。怒ってるのかな。うぅぅぅ、わ、話題ってどうやったら続けられたんだろう」


 私がうんうん唸って壁にぶつかりかねない勢いでベッドの上でごろごろしていると、母親がノックしてからすぐに扉を開けた。


「な、なに!?」

「あのねぇ、夜遅くに壁をゴンゴンしたら家の中に響くからやめなさい。早く寝なさい、もう零時回ってるのよ」

「えぇぇ!?  いつの間に!?」

「夜中にうるさいわよ。静かにね。さっさと寝なさい」


 私はもんもんとする気持ちを布団の中で必死に抑えながら、目をつむると今日一日の事が何度も思い起こされて、真っ赤になって頭がぼーっとしてしまう。ぼーっとするんだから寝れそうなのに、うとうとすると、ギュ。とされた感触が何故かものすごく鮮明に思い出されてしまうのだ。


「ね、寝れない」


 そして、何度もスマホを開いて彼とのトーク画面を見て、過去の自分が彼に送ったメッセージを見て、声を抑えながら、なんて可愛げのない文章で返してるんだと頭を抱えてしまう。

 今からでも、と思って、時間を見てこんな時間に送るなんて迷惑すぎると立ち止まった。

 スマホが危険すぎる。


『男友達、連絡、タイミング』『男友達、メッセージ、会話』『男友達、仲良く、話題』『おはよう、メッセージ、迷惑』『おはよう、写真、送る、おすすめ』『おはよう、メッセージ、嬉しい』


 とか謎の単語を何度も検索して、SNSでも似たような単語を検索しては、男がどうのこうのという話題をついつい見てしまう。けれど、文字を延々読んでたのが功を奏したのか、自分が思ったより早く寝れた。

 その日の夢見はとても良かった。ただ安らかだった。夢はいつだって私をいじめるのに。

 いつだって現実とは違う結果に飛び起きたことが何度もあった。両親にはとっくに大丈夫だと誤魔化していた。

 だけど、今、私は安心に包まれて。


 そして、思ったより早く起きてしまい、すぐにまた何度も検索したけど。


『女友達から、おはよう、メッセージ、迷惑』『女友達から、おはよう、メッセージ、嬉しい』


 謎の言葉を検索していろんなサイトを見て、迷いに迷って、私は、おはようとメッセージを送った。

 ずっと待った。未読だ。未読。朝ごはんを食べてる時もスマホを頻繁に見た。

 そうして、見ていると、ポコンと通知が来て、彼から気楽におはようと挨拶が来て、ランニング途中の川の写真というのが送られてきた。彼は写真部だから、写真を撮るのがやっぱり趣味なのだ。

 おはようメッセージすごい!

 私は感動に指が震えながら、その写真に綺麗だねとすぐに送った。すぐに送って、引かれないかすごく不安になった。秒も経ってない! 気がする。彼からすぐに簡単にありがとうとランニングに戻るねという文字が返ってきてトークが終わった。

 メッセージでの会話ってどう続ければ良いんだろう。ああ、でも延々続けたらうざい女だって思われたり……。

 早めに着替え終わって学校に行く準備が終わってからも、私は悩んでいた。


「はあああああああ。どうしよ」


 スマホで何度も検索してしまう。

『教室、女子から、挨拶、嬉しい』『教室、女子から、挨拶、迷惑』『クラスメイト、男子、話題』


 そうして、気づいた。


「自転車、駅の駐輪場だから家に無いんだった!!」


 慌ててバタバタと家を出て行く瞬間に、母親から女の子なのにドタドタみっともないとお叱りを受けてそのとおりだが、遅刻の危機なので、謝りながら飛び出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る